「炎拳ッ!」
「炎の化身―フレイム・ボディ―!」


ラグナの炎の拳を、サディークが体に炎を纏ってガードした。
どちらも一歩も引かぬ、互角の戦い。
ラグナは仲間のために、サディークは自分の為に。
その激闘の最中、何者かが『Alece』に何かをセットしていた。


「っと……。こんなモンで良いかな?」


その場から去る謎の人物。
声からして、女性という事はわかるが……。
一体、誰なのだろうか。
しかし、二人はそんな事に気をやれる程余裕が無い。


「サディーク! テメェの目的は何なんだよ! 何で、こんなモンに執着すんだ!」
「俺には生き返らせたい奴が居るんだ! 貴様なんぞに、邪魔されてたまるかァ!!!」


拳と拳、蹴りと蹴り。
二人の激しい攻防には、決着など見えない。
だが……徐々に、ラグナがおされてきていた。


「吹っ飛べ……! 火炎竜!」


サディークの創り出した炎の竜が、ラグナを包み込んで飛んでいく。
竜は、『Alece』に激突すると同時に消滅した―――









†第二十七話『タイムリミット』





「くっ……そ……!」
「俺が本気を出したとでも思ったか? ガキが……ナメんじゃねェよ」
「!?」


サディークが高速で次々と攻撃を加えていく。
誰が見ても、サディークがラグナを圧倒していた。
これが、世界を救った大魔道師の血を引く者の力なのか……。
あまりの速さに、目がついていかない。


「この野郎……ッ!」


ラグナが自分の周囲に炎を撒き散らすが、掠りもしない。
それほど、サディークはすばやかった。
そして、圧倒的なスピードから繰り出される攻撃―――
その一撃は、重い……。


「ぐあ……ッ!」
「どうした? その程度か?」
「くっそ……!」


フラフラと立ち上がるが、立っているのもやっとの状態。
サディークに気づかれないように後ろに下がり、『Alece』のスイッチを押した。
すると、ルウの閉じ込められていた箇所が開き、中からルウが出てきた。


「あ……れ……?」


目をぱちぱちさせ、辺りを見回すルウ。
それを見て安心したのか、ラグナは一息ついてサディークに向き直った。


「これで……『Alece』は止まったな」
「貴様ァ……!!!」


ルウはまったく状況が飲み込めない様子だ。
サディークは怒り、魔法を詠唱し始めた。
その膨大な魔力に大地が震える。


「な、なにこれ!?」
「ヤベェ……あの魔法は……!」


ルウを庇うようにしてラグナが立ち、それと同時にサディークが彼等に両掌を向ける。
膨大な魔力が凝縮され、彼の両掌に集まっていく。
大地を、天をも二つに割るほどの超上級魔法……。


「出でよ、地獄の業火! 皇炎波!!!」
「ぐあああぁあぁぁあああぁぁあっ!!!!!」


炎が、ラグナの体を包み込んで今にも彼を灰にしそうな勢いで燃え上がる。
炎が消えたと同時に、ラグナは黒焦げになってその場に倒れこんだ。


「ラグナ!? ちょ……大丈夫!?」


未だに状況が飲み込めていないが、ヤバいという事だけはわかる。
そして、再びサディークが先ほどの魔法を放とうと両掌を構えた。


「消えろ、ルウ・アフマリア……! もうAleceは起動した! 誰にも止められない!」
「……サディーク、アンタの目的は?」


ラグナを庇うように覆いかぶさり、ルウがサディークに問う。
それを見てサディークはニヤリと笑い、話し始めた。


「俺の目的? 決まっているだろう……俺の祖父……大魔道師が倒した悪魔を復活させ、世界を俺のものにするんだ! 悪魔だけの世界……最高だろ? 人間なんて、クソ食らえだ! 何故、同じ人間なのに奴等はアリスをあんな目にあわせた!? 人間なんて、消えれば良い……」
「アリス……?」


ルウがよくわからないような顔で呟くが、それより早くサディークが両掌をこちらへと向けた。
凄まじい魔力が凝縮され、再びあの攻撃が来る―――

終わりだ……

ルウがそう思ったときだった。


「雷光一閃!」


一筋の光が炎をかき消し、サディークを吹き飛ばした。
ルウが目を開けると、そこには金髪の少女が立っていた。
自分より年上……そして、その少女の出現に、ラグナが、サディークが目を見開いている。
とても、驚いた様子で。


「アリス……?」
「よー、ラグ。久しぶり~」


と、この場に合わない陽気な声でボロボロのラグナに話しかける少女。
そう、彼女は六年前、死んだと思われていた……アリス・フォーチュンシンガーだ。


「なん……で……?」
「生きてたっつー事ァ、その心臓、ちゃんと機能してんだな。よかった……ほら、ケガ治してやるよ」


目の前に居るのが誰だかはわからないが、ラグナの知り合いのようなのでルウがアリスに歩み寄った。


「えっと……ありがとうございます」
「ん? あぁ、さっきの女のコか。悪ィな、さっき見てたんだけど……助けてやれなかった。ちょっと、別の事やらなきゃいけなかったんで」


見る見るうちに、ラグナのキズが癒えていく。
彼女は雷魔法の使い手だが、少し魔力の放出量を変えれば治療にも使えるらしい。
六年前、ラグナの心臓を作り出したあの魔法は、いわゆる『禁術』だ。


「あたしの能力をコピったマシンか? まさか、サディークが完成させてたなんてな……正直、驚いた。あたしにとって、地獄とも呼べるような日々の成果の結晶が、こんなトコに完成してたなんてな」


思い出に浸るかのように『Alece』を見つめる。
そんな彼女の隣で、ラグナが立ち上がった。


「ルウ……奥の廊下に龍を寝かせといた。連れてってやってくれ。アリスも、ルウの付き添いついでにこっから出てってくれ。コイツの曲がりきった心……俺が叩きなおす」
「……わかった。あたし、ラグに助けられてばっかだな……ごめん……」
「謝る必要なんかねェよ。俺だって、お前に二度も助けられた。んじゃ、後は頼む」
「……おう。絶対、かえってくるよな?」
「当たり前だ」


静かに返事をし、アリスがルウと龍を連れてその場から立ち去った。
ラグナとサディーク。
二人の戦いが、再び幕をあけた。




「うらああぁぁああぁぁぁぁあああ!!!」


サディークが次々と、ラグナに攻撃を加えていく。
復活したはいいものの、勝てる見込みなんて、まったく無い。

でも、諦めちゃいけねェんだ。
アイツと……アリスと、約束したから。
生きて帰るって、約束したから。


「うおああああぁああぁぁッ!!!」


ラグナの拳が、サディークを吹っ飛ばす。
壁に激突し、瓦礫の中から立ち上がるサディーク。
その眼には、驚きがこもっていた。


「バカな……! 何故、俺に攻撃が当たった……?!」


ラグナは、かつてなく気を落ち着かせていた。
全身に力がみなぎる。
気を抜けば、狂ってしまいそうなほどの大きな力が。
そして、彼の額には……瞳が現れていた。
燃え盛る炎をその身に宿し、サディークをにらみつける。


「何だ……貴様、その姿は……!!!」
「……さぁな? テメェに応える義理は無ェよ」


昔、聞いたことがある。
アリスにはたった一人、人間界で『友達』と呼べるものが居た、と。
それが、サディークだ。

そして、今この場にあるバカデカい装置……。
アリスの名を冠した、生命復活装置『Alece』。
これは、なんとしてでも破壊しなければ。
悪魔が復活する、その前に―――


「もう遅い! 悪魔達は復活する! ランクAの悪魔達が! 貴様一人では、相手にならんほどの数でなァ!!!」


ゴボゴボと装置から妙な音が聞こえ、悪魔が大量に現れる。
それがラグナにいっせいに襲い掛かった―――


「フハハハハハハハ!!! 俺の勝ちだ!!!」

サディークの高笑いが、要塞内に響いた……。
そして、外……。
要塞は空に浮かび、移動している。
『Alece』が完全に起動した影響だろう。
このまま行けば、行き先は……魔法学校。
しかも、ラグナ達が散々暴れまわったお陰で、今にも落下しそうな勢いだ。


「アリス……さん、このまま行けば、ヤバいですよね?」
「敬語じゃなくて良いっつの。まァ、確かになー……。ッ!?」


ゾクッ……


強烈な殺意を、要塞の奥のほうから感じる。
この感じ……一度かんじた覚えがある。

そう、これは―――


「ラグ……?」









―――中心部―――


悪魔共が群がり、山が出来ていた。
悪魔の山。
それをサディークは楽しげに見つめている。
だが、それは一瞬のうちにかき消された―――


「―――失せろ」


禍々しい殺意をこめた一言……。
たったそれだけで、悪魔は消えうせた。
「失せろ」という言葉の、そのとおりに―――


「何!?」
「……サディーク、その装置ごと、吹っ飛んでもらうぜ」


ドガァッ!


ラグナの強烈な拳が、サディークにヒットする。
サディークは吐血し、その場に崩れる。


「何故……何故、俺に攻撃が……ッ!」


拳、蹴り、また拳……。
連続で、息をする間も与えないほどの攻撃を加えていく。
さっきとはまったく別の状況……。
サディークは怒り、狂い始めた。


「何故俺が……何故、俺がァッ……! 俺は最強なんだ、死者を復活させる力を手に入れた、地獄の業火も扱える。なのに……なのに、何で……!」


頭を抱えてフラフラと立ち上がり、狂ったように笑い始めた。


「ハハハハハハハハハハハ!!! 俺が最強なんだ! 俺が、俺が最強なんだァァァァァ!!!」


死者の魂が、サディークの身体に終結していく。
それと同時に、アリスからテレパシーで通信が。


『ラグ、聞こえるか!? 今、魔法学校ってトコの真上にこの要塞が浮いてる! スラスターもぶっ壊れてっから、あと五分もすれば落下する! お前の仲間っつー奴等が、今生徒とかを避難させてる! だから、お前は早く決着をつけろ!』
「……」
『ラグ、おい!』
「―――わかった」


静かに呟き、テレパシーを切断した。
目の前に居る者は、既にサディークではなかった。
死者の魂を吸収し、巨大化し、まさに巨人のような姿だった。
『魔人』とでも名づけようか。
だが、今はそんな悠長な事を考えている場合ではない。


「タイムリミットはあと五分……それまでに決着つけてやるよ、サディーク!!!」
「グガアアアアアアアアアア!!!」


ラグナの叫びと、サディークの咆哮が響いた。


―――魔法学校―――


「生徒の皆は、早く校舎から離れろ! ここは俺たちに任せて、早く!」


バンが生徒を先導し、他の生徒らもバンの手伝い等をしている。
明らかにパニック状態……。
それもそうだ、あんなバカデカイ要塞が落ちてくれば、魔法学校の結界といえどひとたまりも無い。
魔法で破壊するにも、時間がかかる。
なら、避難させるしかない。
校舎はいくらでも建て直せる。
だが……失った命は、二度と戻らないのだ。
『Alece』という禁術を使わない限り―――

                     つづく

少し雲がかった空……。
こんな空を、俺は何度見たんだろう。
いや、一度だけか。
こんなにも哀しい空は……。


「……アリス」


空を見上げ、愛する人の名を呟く。
その人が、もう居ないとわかっていても。
この空を見ると、呼びたくなる。
だって、今自分が見てるこの空は……。
―――俺が一度死んだ日と、同じ色の空だから。


「急ぐか……」


自分の精神世界に行ってから、一日ぐらい経ったのだろうか?
いや、もしくはもっと……。
どちらにせよ、校長が俺の死を確定させたことは容易に想像できる。
まぁ、信じない者が多いのも想像できるが。
とにかく、要塞の方から弱弱しい魔力を感じる……。
属性は、炎、草。
サディークは炎だが……こんなに弱いはずは無い。
だとしたら、サディークの手下の誰かか?
いや、ここまで弱いはずは無い。
だとしたら……。


「急がねェと……! 今のアイツじゃ……サディークには勝てねェ!」


そう言って、走り出した……。
要塞へ向かって―――
仲間を助ける為に……。
そして、アイツに会う為に―――



†第二十六話『燃え滾る炎』




「くっそ……」


龍は、廊下を歩いていた。
要塞の中、どこまでも果てしなく続きそうな廊下。
この先に、ルウが居る。
もう身体は限界だけど……諦めきれない。
たとえ、この身体が朽ち果てたとしても、俺はルウを守る。
そう誓ったから。
だから、立ち止まるわけにはいかないんだ。


「待ってろよ、ルウ……! 今すぐ、助けてやる……!」


ボロボロの体を動かし、要塞の奥へ奥へと歩んでいく。
一方その頃、雪は……。


「ルセア、大丈夫かな……」


ハァハァと息を荒げながらも、大切な彼氏の心配をする雪。
その手には、敵から奪い取った刀が握られている。
雪の服は、敵の返り血で紅く染まっていた。


「こんな時、ルセアや皆が居てくれたら……」


などと呟くが、肉体の疲労も、何もかもが既に限界。
とてもこれ以上戦える状態ではなかったが、それでも敵は休ませてくれない。
まるで終わりが無いかのように、敵が出てきた。


「クッ……!」


雪が諦めかけた、その時―――


「雷刃―サンダー・ブレード―!」


誰かの声が響く。
一瞬で敵が倒れ、その場には雪だけしか残っていなかった。


「え……?」


閃光の如き一瞬の出来事。
今、目の前の敵を倒したのは誰だったのだろうか……?
それはわからないけれど、助けてもらったことに感謝し、その場から離れ、ルセアを捜しに行った。


―――要塞中心部―――


「ルウ・アフマリアをつれてきたか?」
「あぁ」


偽ラグナが、気絶したルウを抱えてサディークの前へと。
そして、彼女をサディークの前に横たわらせると同時に、偽ラグナは……消えた。


「フッ、奴のデータを使ってみたが……微妙だったな。まぁ、良い……『Alece』を発動させるには、生贄が必要だ……。じゃあな、ルウ・アフマリア」


サディークが、玉座の後ろの巨大なマシンの前へとルウを抱えて歩いていった。
ガコン、という音と共にゲートが開き、そこにルウを入れた。


ウィィィィィィン……


マシン『ALece』が起動し、膨大な量の魔力を取り込んでいく。
それを見て、サディークは笑みを浮かべた。
これでやっと、目的を達成させることができる―――


「フハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!」


サディークの高笑いが、要塞内に激しく響く……。
それを天井から聞いてた者が一名。


「ヤッベェな……あのコ、『Alece』の生贄に……いや、今なら助けられっか……。でも、今出てくわけにもいかねェし……うーん……」


腕を組み、天井に張り付いているなぞの人物。
コイツの目的はわからないが、『Alece』について詳しく知っているようだ。
幸い、サディークには魔力を感知する能力は無い。
そのお陰で、ラグナが高速で要塞に向かっている事も、天井に居るこの人物のことも知らないのだろう。
そして、レンとエンドは……。


―――要塞、広間―――


「うおあァァァァァァァァァァッ!」


レンが大剣でエンドを吹き飛ばし、追撃を加えようと走り出す。
だが、それより少し早くエンドが態勢を立て直してレンの腹から大量の血を噴出させた。


「兄さん、忘れた? 僕の能力を……!」
「ぐぁっ……!」


大量出血で、頭が回らない。
貧血だ……。
もう、あと一、二回あの攻撃を食らったら死ぬだろう。
だから、この一撃に全てを賭ける。


「いくぞ……! 蒼龍の双激波!」


レンが大剣を振るうと、それが蒼き龍となってエンドに襲い掛かる。
レンの攻撃は、エンドの体を破壊し、打ち砕いた。


「がっ……あ……!」
「エンド、この勝負……引き……分け………だ………」


二人が同時に倒れ、決着がついた。
広間には、血まみれで倒れる三人の少年。
レン、エンド、そしてルセア……。
それら三人を抱え、雪は外へと出て行った。


「待っててください……今すぐ、治療します……」


ボロボロの体で外に出た瞬間、隣を見覚えのある少年が走り去っていった。
まさか……彼がこの場にいるはずが無い。
だが、間違いなく、彼だ。
私が最も敬愛し、ルセアと同じくらい頼りにしている存在……。


「兄上……?」


風を切り、ラグナが走っていった。
その身に紅き炎をまとって。
その炎は、怒りの炎。
先ほど要塞の中に入る途中に、血まみれで倒れているレンとルセア、そして雪を見た。
もう一人は……自分を消そうとした、エンドって奴だ。
でも、龍とルウは何処だ?
気配が弱すぎて感じられない……。
その代わり、強い魔力を三つほど感じる。


「……待て」


ラグナの目の前に、仮面の人物が現れた。
細身だが、結構筋肉質っぽい。
その男とラグナを囲むかのように、大量の敵が。


「ヤッベェな……囲まれた」


仮面の男の合図と同時に、周囲の敵が十名ほど、ラグナに覆いかぶさるように襲い掛かる。
ラグナはそれを回避し、高くジャンプした。


「うわっ! 危ねェッ!!!」


ポケットには大量の回復薬が入っており、ラグナが動くたびにそれがガチャガチャと音を鳴らす。
そこを狙って、仮面の男がビームを放ってきた。


「おわっと!」


炎でビームをかき消し、なんとか着地する。
そして、一気に雑魚を蹴散らした。
『蹴散らす』という文字の通りに、蹴りで。


「弱ェな……。残りはテメェだけだぜ? 鉄仮面」
「黙っていろ……。ラグナ・ウィング……お前の力は、この計画に実に役立った。良い素材だよ、お前は。ありがたく使わせてもらったぞ、貴様の魔力を」
「俺の魔力……? ッ!!! エンドって野郎……あの瞬間にそんな事を……」


思い返せば、エンドの攻撃はラグナがレンを庇うことを予想して放たれたようなものだ。
そして、その全ては何かに使われた……。
精神世界から出るとき、スカーがキズも何もかも回復してくれたのはその為だったのか。
じゃあ、『ALece』ってのは、やっぱ……。


「おい、鉄仮面、『Alece』っつーのは、何なんだ?」
「フ……敵にそう容易く教えると思うか? 教えて欲しければ……」
「力ずくで、って事か」
「ご名答」


鉄仮面の低い声が聞こえるか聞こえないかのタイミングで、ラグナが襲い掛かる。
勝負は、どちらも互角……。
互いに吹っ飛ばされもせず、まったく互角の攻防を繰り広げていた。


「強ェな……!」
「当たり前だろう。これでも俺はかつて、世界一の格闘家と言われた男だぞ?」
「『かつて』……?」


『かつて』という事は、昔彼が世界一の格闘家だった事を意味するのだろう。
ならば、今は何をしている?
『世界一の格闘家』……幼い頃、魔法学校の図書室の本でそんな言葉を見た。
今から百年前、世界一を誇った格闘家……クロア。
まさか……な。
いや、でも……俺の読みが正しいとしたら、『Alece』は―――


「人を復活させる装置、か……」
「!?」


ラグナの呟いた言葉に、仮面の男が驚いたように立ち止まった。
図星か……。
その一瞬のスキに、ラグナは男に一撃を加えた。


「が……あ……ッ!」
「残念。俺、本気じゃなかったんだわ。アンタの実力どんなのかと思ってよ……遊んでた」


「悪ィ」と笑顔で言うと同時に、男が消えていった。
ふぅ、と一息つき、再び走り出す。
要塞の中心部を目指して―――


―――廊下―――


「くそ……意識が……」


フラフラとしつつも、その中心部を目指す。
そして、到着した。


「……サディーク! ルウはどこだ!」


ついにたどり着いた中心部。
龍の怒声が、巨大な部屋に響き渡る。
それを、サディークは楽しげに笑っていた。


「遅かったな? 既に『Alece』の生贄となったぞ、アイツは」
「テメェ……!!!」


怒りのまま、本能のまま、サディークに突進していく。
もはや彼には、何も見えていない。
だが、それで良いのだ。
迷いがあれば、力は消えうせる。

『ルウを助ける』―――

たった一つのその気持ちだけで、龍は動いていた。
だが―――


「―――遅い」
「ぐあ……ッ!!!」


本気で腹を殴られ、嘔吐しながらその場に倒れこむ、龍。
そんな龍の耳に、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。


―――龍


「ル……ウ……!?」


もう完全に体は動かないが、耳や口は動く。
まだ、ルウは生きている。
その希望に目を光らせるが、既に体は動かない―――
だが、彼には希望があった。
巨大な魔力を二つ感じる―――
一つは見知った魔力。
そしてもう一つは、知らないが巨大な魔力。
両方とも、サディークではない。
誰かは知らないが、まだ戦える人間がここに残っていたようだ。
その彼の笑みに苛立ったのか、サディークは……


「キモいんだよ! テメェは!!!」


本気で、龍を蹴り飛ばした。
廊下の奥のほうへと、龍の姿が消えていく。
だが、それは何かにぶつかって止まった。
龍がボロボロの体を何とか動かし、顔を上げると、そこには―――


「ラグ……ナ……?」


見知った顔があった。
自分のライバルであり、目標としていた、親友。
いつか彼のようになりたいと思っていたが、それも無理だった。
大切な人一人、守り抜く事もできない……。
自分に腹が立ち、自然に涙があふれ出た。


「龍……悪ィ、遅れた」
「……ごめ゛ん……俺……誰も゛守れなぐで……」


泣きじゃくりながら龍がしゃべる。
これ以上喋れば、死ぬかもしれない。
まだ、サディークに襲われたときのケガもあまり癒えていないというのに。


「安心しろ……。後は、俺に任せて……ゆっくり休め。な?」
「……ありがどう……」


そう言うと、龍を壁に立てかけ、傷口に回復薬を塗り、一通りの手当てをした。
パキポキと拳を鳴らしながら、ゆっくりと中心部に向かっていく。
そして、部屋に入ると同時に猛ダッシュし、サディークの目の前へ―――


「!?」


ドガァッ!


炎を纏った拳が、サディークを吹っ飛ばした。
血を大量に吐き、フラフラと立ち上がるサディーク。
そして、殺気を込めた目でラグナをにらみつけた。


「何故生きている! ラグナァ!!!」
「うっせェよ……! 俺の仲間を傷つけた事、その罪は絶対に消させねェ……かかってこい、サディーク! 死者を蘇らせるなんて馬鹿な考え、俺がかき消してやらァ!!!」


ブチギレたサディークに向かって、同じぐらいの大声で叫んだ。
二人の体には既に炎が宿っており、高熱で壁が溶けている。
『Alece』は、魔法に耐性のあるバリアを張られているらしく、平気なようだ。
ルウの体力がいつまで持つか、それがタイムリミットだ。


「いくぜ、覚悟は良いか? サディーク!」
「来い……! 殺してやる! ラグナァァァァァァァ!!!」


炎と炎。
怒りと怒り。
二つの炎、二人の感情……。
それぞれが今、激しくぶつかり合おうとしていた―――

                     つづく

「ねェ、龍……」
「何だ?」


要塞の中を走りながら尋ねるルウ。
その双眸には、悲しみが宿っていた。
まだ、ラグナの死を受け入れられないでいるようだ。
それも仕方が無いことかもしれないが……戦いに『迷い』があれば、負ける。
それをルウにわからせてやろうとしたが、やめておいた。
まだ12歳の、小さな少女にツライ現実を突きつけるのは、あまりにも酷だと思ったから―――


「ルウ……」
「何……?」
「いや、なんでもない」


結局、言葉の一つも伝えられない。
ラグナだったら、こんな時どうしたんだろう?
俺と同じようになんのか?
それとも……ツライ事とわかってても、その現実を突きつけるのか?
教えてくれ……。

結局、迷ってるのは俺だった。
だから、あの悲劇を巻き起こしたんだ―――







第二十五話『光の向こうへ』







要塞に潜入した龍、ルウ、ルセア、雪の四人は、二手に別れてサディークを捜すことにした。
龍、ルウの二人はとりあえず、サディークの手下を捜すことにした。
後からレンも合流し、三人で要塞を探索していたが……そこで、思わぬ人物に出くわした。


「よお」
「……!?」


目の前に現れたのは、見覚えのある銀髪の少年。
だが、いつもと何か雰囲気が違う……。
否、何故彼がここに居る?
彼は消えたはずだ、レンの目の前で。
レンの弟である、エンドに。


「ラグナ……生きてた……のか……?」
「生きてた? 当たり前だろ……俺があんな攻撃で、死ぬとでも思ったか?」
「ラグナ―――ッ!!!」


ルウが涙を流しながら、彼に飛びつく。
その瞬間、ルウの華奢な身体から紅い液体が飛び散った。
そう、血だ。


「なん……で……?」
「サディーク様の命令だからだよ。お前等を殺せ、ってな」
「違う……お前はラグナなんかじゃねェ……!」
「何を言っている? 正真正銘、ラグナ・ウィングだぞ? どこか違うんだ?」
「その喋り方とか、偉そうな態度とか……何より、ラグナは仲間を傷つけねェ!!!」


ドゴォォォォォン!


凄まじい爆音が辺りに響いた。
レンに彼女の治療を任せ、龍は目の前の、親友の偽者に向かって次々と攻撃を加えていく。


「どうだ! この程度か、お前はァッ!!!」


凄まじいラッシュ……。
だが、ラグナはそれをいとも容易く避ける。
まるで、初めから攻撃を見切られているよう。
そう、龍の知っている彼のように―――


「お前の動きは、全て見切っている。俺の脳内にインプットされてるからな」
「インプット……? マジで何者だよ、テメェ」


龍の質問に答える事無く、ラグナは龍を蹴り飛ばした。

「そう安々と、敵に情報を教えると思うか?」

「いや、思わねェな……」


拳と拳が激しくぶつかり合う―――
その衝撃に、レンとルウは吹き飛ばされた。
ルウの傷口がさらに開き、血がドクドクと流れ出る。


「ルウ! ……クソッ!」


回復薬を取り出し、傷口に塗りたくる。
だが、いっこうにキズはふさがらない……。
激痛に苦しむ彼女の姿を見てられなくなったレンは、思わず目をそらした。
その瞬間、何者かが彼の隣を走り去った―――
見覚えのある黄色い髪。
そう、ルセアだ。


「ルセア!!!」
「レン! ここは僕に任せて、レンは自分の戦うべき相手を倒して! ルウは、僕が治療するから!」


ルウを抱えて走りながら、治癒魔法を詠唱する。


「治癒―キュア―」


少しずつだが、確実にルウのキズが癒されていく。
そして、ルウのキズが癒えた瞬間……ルセアの身体から血が飛び散った。
エンドが、ルセアを攻撃したのだ。
何の前触れも無い攻撃―――
その動きの早さに、ルセアはただ、ルウを遠くへ投げ飛ばすことしかできなかった。


「へェ……僕の攻撃から彼女を逃がすなんて。なかなかやるねェ、君」
「うるさ……い……」


出血多量で倒れるルセア。
見たところ外傷は浅いが……。
何故、ここまで血が出ているのだろうか。


「ククッ、僕の能力……兄さんにだけ、教えてあげるよ。僕は今、ルセアの身体の中から『血』だけを抜き取った。僅かな傷口からね。だから、見た目はちょっとのケガでも、中身はものすごぉ~く痛いんだ……わかった?」
「お前……何がしたいんだ……!」


怒りを込めて言い放つレンに、エンドは「アハハッ」と笑いながら言った。


「何がしたい? ただ、人や悪魔を殺したいだけさ……殺人衝動ってヤツ? それが抑えられなくてね……でも、楽しいから良いだろ!? 兄さん!」


狂ったような笑みでレンに襲い掛かるエンド。
ルセアは自らのキズを癒し、ルウを連れて早々にその場から立ち去った。

自分の力じゃ、コイツらには勝てない……。
そう感じたから。
雪は今どこにいるだろう……?
はぐれてしまったから、わからない。
でも、無事でいることを祈ろう。
僕が無事なら、雪も無事でいてくれるはずだから―――


「ウラァッ!」


龍がラグナを吹き飛ばすが、まったく攻撃が効かない。
誰が見ても、龍の方がダメージを受けていることは明らかだった。
息を荒げ、がくんと膝を折り、既に魔力も底を尽こうとしていた。
目の前に居るラグナは……自分が知っている彼とは違うかもしれないが、自分の知っている彼より、遥かに強い―――

いや、もしかしたらこれが自分と彼の、本当の実力差なのかもしれない。
そんな事を考えていると、ラグナの猛襲が再び始まった。


「炎拳ッ! 炎蹴! 炎舞!」


次々と技を繰り出し、龍にダメージを与える。
瞬く暇も与えてくれない攻撃の連続。
既に、身体は限界だった。


「そろそろ終わっとけ―――」


ラグナが龍を吹き飛ばそうとした瞬間、龍はその攻撃を避けた。
彼……ラグナには、それがわからなかった。
確かにあたったはず……だが、目の前に龍は居ない。
キョロキョロとあたりを見回す……。


「ここだァッ!」


ラグナのわき腹に、叫びながら蹴りを入れる。
「ぐぁっ」という声を上げながら、ラグナがその場に倒れこんだ。
少し、ダメージが入ったようだ……。


「貴様ァ……ッ!!!」


怒りに燃える瞳で龍を見つめる。
今、目の前に居るのは本当に、自分の親友か?
だが、そんな悠長な事を考えている場合ではない。
相手が本物か偽者か、どうであれ今は敵だ。


(コイツを倒すことだけを考えるんだ! 大体、俺は何を迷ってる!? コイツが、ラグナと同じ姿だから? コイツが、本当にラグナかもしれないから? ……頭がこんがらがってきた、チクショウ……)
「遅ェよッ!」
「!!!」


龍の反応が遅れ、ラグナの蹴りが龍の腹に直撃した。
肋骨の何本かが折れた……。
恐らく、コイツはサディークの部下の中ならかなり強いほうなのだろう。
レンの目の前でラグナを消したエンドより、今の目の前に居るラグナは遥かに強い。


「テメェが本物か偽者かなんて、もうどーだっていい……! 俺は、テメェを倒す!!!」


高らかに叫び、次々と怒涛のラッシュを加えていく。
ダメージは少しずつだが、入っている。
このまま行けば勝てる―――


そう思ったときだった。
何か、とてつもなく大きなものを奪われた気がした。
気づいたときにはもう遅い―――

仮面の人物が、ルウを抱えていた。
一緒にいたルセアは、その男に気絶させられているようだ。


「ルウ!!!」
「―――隙だらけだな」


ラグナの炎が、龍の身体を包み込む。
ブワァッ、と炎が燃え上がり、龍を燃やしていく。


「……よし、ルウを連れて行くぞ。じゃあな、龍」
「ル……ウ……」
「あばよ、ゴミ野郎」


そう言って、彼等は姿を消した。








愛する人が遠い……。
何で、体を動かそうとしなかったんだろう。
何で、闘おうとしなかったんだろう。
ボロボロになったとしても、守ろうと思ったのに。
思うだけじゃ駄目なのか?
想いと力がなけりゃ守れない。
それぐらいわかってる。でも―――



俺は、大切な人を守ることもできないのか……。
あれから数時間が過ぎた。
体が、指の先すらも動かない。
あの時動いていれば、少し今は変わっていたのだろうか。
いや、今は動かないと。
軋む体がこれ以上壊れたとしても、動かないと。
大切な人なんだから、命はって守ってやる。
そう誓った。


「……ルウ、待ってろ……!」


壁に手を着き、奥へと歩き出した。
大切な人を捜して―――






―――ラグナの精神世界―――


「アリス……!!!」


涙を流しながらその場に立ち尽くすラグナ。
はだけた服の合間から見える胸には、イフリートの紋章が刻み込まれている。
アリスが俺の為に作ってくれた、心臓。
俺の命を繋いでくれている魔法の心臓。
あの時、死んだはずなのに、生きていられるのは彼女やスカーのお陰。
俺が今、ここに居られるのは、俺の最高の友達のお陰なんだ。


「……そろそろ、行くか?」
「……え?」


目の前の小さい頃の自分が話しかけてきた。
すると、みるみるその姿が変わっていく。
五年前、自分が浄化したはずの、親友へと。


「ス……カー……?」
「ったく、五年経っても泣くなんてよォ……まァ、アリスが記憶消したからだけどさ」


目の前に居るのは、間違いなくスカー。
だが、彼は確かに五年前……自分が浄化した友達だ。


「何……で……?」
「アリスに、来るべき時が来たら、ラグナの記憶の封印を解除してくれ、ってな。だから、ここに魂の一部を残しておいた。全部、見てたよ……俺が消えてから、今この瞬間までの全てを」


昔から……。
スカーもアリスも、俺と一緒に居てくれたんだ。
昔した約束を……まだ、守っててくれたんだ。


「なァ、スカー……一つ、聞いていいか?」
「……なんだ?」


涙を強引に拭い去り、スカーの目の高さになるようにしゃがみこむ。
スカーの毛を撫でながら、話しかけた。


「約束……守ってくれてて、サンキュな」
「当たり前だろ……肉体は無くなっても、ずっと一緒。『友達』だって、言ったじゃねェか」
「……あぁ!」


満面の笑みで返事をし、立ち上がる。
キョロキョロと辺りを見回したが……この場所から出る方法がわからない。


「ってか……俺、生きてんのか?」


確かにそうだ。
ここは自分の精神世界で、現実じゃない。
魂だけ、ここに存在している。
だから、自分が生きているのかどうかもわからない。
レンを庇って意識がなくなったと思ったら、ここにいたのだ。


「生きてるよ。エンドに殺されそうになった瞬間、魔法を喰らったように見せかけて、アイツが別の場所へとお前の肉体を飛ばした。少し要塞から離れてっけど、お前のスピードなら二時間ぐらいでたどり着くはずさ」
「アイツ……って?」


スカーの言う『アイツ』とは誰の事なのか?
ひょっとしたら……いや、アイツは俺の目の前で死んだはずだ。
間違いなく……目の前で。
俺に、この心臓を託して。
この心臓が、俺が生きてる事が、アリスの生きた証なんだ。

ふぅ、と息を吐いて、スカーはラグナに言い放った。


「会ってみりゃわかるさ、アイツも今、サディークの要塞に居る。


と……。
アイツが誰だかはわからない。
けど、行くしかない。


「スカー……ありがとな」
「気にすんな。俺はいつでも此処に居る。な?」
「おう!」


もう一度「ありがとう」と言った。
スカーが目を閉じ、魔法を詠唱し始める。


「じゃあ、お前の魂を現実世界に戻す。つっても、ここ、お前の精神世界だから、お前の中って事になるけどな。まァ、がんばれよ」
「あぁ! またいつか、会おうぜ!」


そして、ラグナは光の向こうへと歩いていった―――


                             つづく

なァ、ラグ……。
あたしは、お前の『友達』ってもんになれたのか?
なれたなら、嬉しい―――
お前とスカーは、あたしにとって……初めて、『絆』って呼べるもんが見つけられた二人だから―――




†第二十四話『いつまでもお前を愛してる』



「……一体、何が起きてんだよ……なんで、ラグナが……」


ただそう呟いた青年の声だけが暗く、深く、重く、哀しく……。
『敵』と指し示された者が消え、ようやく皆等しく胸に抱いていた想いが、彼の唇を通してこの場に姿を現した。
その言葉に開放されたかのように、ある者は力なくその場に座り込み、ある者はぶつける場所の無い憤りを大地に叩き込み……。
そしてある者は、祈るように天を見上げた―――
本当はこの場にいる者全てが理解しているわけではない……。
……否、理解できないだけ。


正しいとわかっていることを拒絶する……。
正しいとわかっているのに、『それは正しくない』と主張するその矛盾が……。
この場所に居るのは彼よりずっと大人の人間ばかりだったから―――
正しい選択のために『些細で、つまらない事』には目を瞑ることを当たり前に出来るようになった大人達ばかりだったから……。
もう、永遠にその事を理解する事は出来ないだろう―――

正しすぎる理屈が、時としてどれほど痛いかという事を……。


「ニジ、テメェ本当に何も知らねェのか?! 何も聞いてないのかよッ!?」


地面を殴り続けていた大柄な男が、修復ままならない血まみれの右腕でニジの胸倉をつかんだ。
だが、自分より一回り大きなその相手を、ニジは苛立ちをあらわに突き飛ばした。


「あぁ、何も聞いてねェよ! ついさっきまで一緒にいたのになッ!!!」


いつも飄々としている男が……いつになく、叫んだ。


「……知ってたら、とめたに決まってるッ!! アイツは、俺の親友だ! とめたに決まってんだろ!」


ギリッと奥歯をかみ締め俯いた彼を……それ以上、誰も咎める事はできなかった。


「やめておけ……ラグナの性格上、回りに迷惑をかけないように根回しをしているはずだ。ニジ・スピアにも話しているとは思えない」


場を納めるように、様子を見守っていたエンディアはそう言った。
そして……。


「『希望』か……」


そう、ぽつんと漏らした。
彼……魔王は珍しく感傷に浸るかのように彼が出て行った割れた窓を静かに見つめていた。


「ねぇ……ラグナ様はどこへ行ったんですか? すぐに帰ってきますかぁ?」


この場で最も圧さなく、物事を理解するまでに至らない者が、エンディアの腕を引っ張って寂しそうに聞いた。


「いや……。お前はもう休め、リリー」


優しくその短く柔らかい髪の毛を撫でると、エンディアは呼んだメイドの悪魔に押し付けるように託した。
すると……のけ者にされたように感じたのだろう、幼い少女は不服そうな顔をした。


「……じゃあ、ラグナ様が帰ってきたら教えてくださいますかぁ? 約束ですよぉ?」


見る影も無いかつての彼の部屋から消えた少女の一言に、ニジはハッとしたように顔を上げた。

『約束』―――

それは、一ヶ月前、修行をしていたときのことだった。


『もし俺に何かあったその時は……助けてくれるか?』
『その時は他の悪魔の事を考えたりせず……家族を……じいちゃんを守るためにだけ戦う、って……』


星空を見上げながら、珍しく感傷に浸るように呟くラグナ。
その双眸は、どこか哀しげな目をしていた。


『その時』って、今のことを言ってるんじゃねェのか……?
だが、『家族と魔王様を守るためにだけ戦う』って……。
家族と敵対する道を選んだアイツが無理に自分に誓わせたのは―――何故だ?
アレは何の約束だったんだ……?

確かにアイツの性格上、迷惑をかけて消える事はしない。
……だが、何か手がかりはどこかに残しているはずだ。
思い出せ、アイツの言葉を。
初めて出来た、最高の友達の言葉を。


『―――俺さ、雪景色が好きなんだ』
「雪……景色……」


ニジはぼそりと呟いた。
そしてエンディアの方へと振り返った。


「なァ、魔王様……アイツが、ラグナがよく行ってた場所……知ってるか?」
「……ラグナが? 確か……彼がよく行ってた場所は……」


エンディアがその事を伝えると、ニジは能面のように無表情になった。


『その時が来たら……俺を……』
「―――そういう……事か、あのバカ野郎……」


小さく口の中だけで呟くと、長い前髪を結っていたゴムを一度はずし、再び髪を綺麗にセットし直した。
乱れた襟元もきちんとただし、シルクハットを綺麗に被り、身だしなみを整えるニジ。
そんな彼を、周りの人間はいぶかしんで見ていた―――
エンディア以外は―――


「魔王様……もう一つ、聞いていい?」


ニジは一度呼吸してから、エンディアに自嘲気味な笑みを浮かべながら尋ねた。


「……ラグナを苦しめずに殺す方法って……あるのか?」






「―――ラグナ……このまま真っ直ぐで……大丈夫、なのか?」
「……もう少し、右。そう……そのまま真っ直ぐに」


ラグナは震えそうになる声を押さえつけながら、自分達を乗せて走る彼に教えた。
既に彼のグリーンの瞳には光が灯っていない。
いつも……自分とアリスを映してきたその瞳には今、何も映っていない。
それでも……どんなに言っても、コイツはその足を止めようとしないから―――
最期まで自分たちの為に走ると言って聞かないから……ラグナはそのまま、走らせていた―――


彼の命が燃え尽きる、その時まで……。


流れる星と競うように夜空を駆け抜けるスカー。
上に乗っている二人に吹き付ける冷たい風はあまりに強いから、アリスは背後からラグナを抱きしめるように支えていた。
だがなにやら焦げ臭いにおいがしてきたので、アリスはその視線を匂いの元へと落とした。


「……スカー?!」


目に飛び込んできた景色にアリスは思わず目を大きくした。
―――スカーの足が燃えていたのだ。
スカー自身は痛覚を破壊されているのでその事には気がつかず、一心に走り続けていた。
アリスはラグナにその事を指で指し示した。


「……!?」


ラグナはその事に気がつくと、強く唇をかみ締め、前方をにらむように見た。
目を凝らすと、薄っすらと目的地である町の明かりが見えた―――
因みに、ここは人間界。
悪魔達の追跡から逃れるため、ラグナがゲートを開いたのだ。
アリスを、人間達の下へ帰すために―――


此処まで来たら……もう、十分だ……。
ラグナは前かがみになり、スカーの耳に顔を寄せ、できる限り優しい声でささやいた。


「スカー、着いたぞ……ありがとな。ゆっくり下に……そう、このまま下りろ」


ラグナの声に促されるまま、スカーは大地に降り立った。
そこには何も無い……暗い夜の草原。
冬なので生命の気配すらほとんど無い、寂しい森の中―――
そこでスカーの尽きかけた命が、彼を灰にしようと燃え上がった。


「アリス……下りろ」


ラグナはアリスにすぐに降りるように促した。
火の勢いは予想したより弱く、だがじわじわとスカーを焼き始める。


「ラグナ……アリス、どこに居るんだ?」
「ここに居るよ、スカー……お前の目の前に。あたしもラグナも……三人一緒だ」


もう半分ほど炎に包まれたスカーの体に、顔に二人は優しく触った……。
その小さな手に触れられて安心したのか、スカーは光の灯らない目を薄っすらと閉じた。


「そうか……よかった……俺、ちゃんと二人の事、守れた……盾になれたんだな……」


ほっと息を吐くスカーに……二人はとうとう、感情を抑え切ることができなくなった。


「バカ野郎ッ! ……お前が、お前なんかが盾になるとか……調子乗ってんじゃ……ねェよ……ッ!!!」
「何で……何で、あたし達を庇って……! こんな大怪我するぐらいなら、庇ってもらわなくてよかった!」


その一言に……スカーは寂しそうに耳を下げ、口元だけで苦笑した……。


「お前は盾になんかならなくて良かったんだよ……お前は……俺の……俺達の……友達だから………ッ!!!」


そう言って、ラグナはぎゅぅっと強く彼を抱きしめた。
アリスも、ラグナと同じように、スカーを抱きしめた。
炎が自分の体を伝おうが、そんな事構わずに……。


「ありがとよ……二人共……」


思いもよらなかった彼らの言葉に、スカーの目からも涙が零れた。
ボロボロと互いの目から涙が零れる。
そんな僅かな雫では、スカーを焼く火を消すことなので着ないけれど……。


「ラグナ、アリス……ちょっとだけ、寝てもいいか?」


ぼんやりと、まどろみの中に居るような声で囁くスカーに、ラグナは見えて居ないとわかっていても頷くことでしか答えることができなかった……。


「ちょっとの間だから……俺が目を覚ましたら……ラグナ、傍に居てくれよ? 眼が見えなくて捜すの大変だから……」
「あぁ……ゆっくり……眠れ……俺もすぐに……アリスを人間に引き渡したら、すぐに俺もお前のとこに行くから……」


涙が止まらない。
目の前で消える友達に、何もしてやれないのか、何もできないのか、と自分を責める自分が居る。
そんな彼の手を、アリスが優しく握り締めた。


「……アリス………」
「なァ、二人共……。ここ、寒い……な……それに……真っ暗だ………」


炎に包まれたスカーが消えそうな声でそう言った。
その言葉に、ラグナは血が出るほど唇を噛んだ。
少し離れていたアリスも、たまらずスカーに抱きついた。


「駄目だって……俺の血は、人間のアリスには毒だから……」


そう言ってやんわりと笑うが、押しのける為に腕を上げることも出来ない。
アリスは……仕方なく手を離すと、ラグナの方を向いた。


「……ラグナ、お前……スカーを苦しめることなく送ってあげられるだろ?」
「……『浄化』か。わかった……」


相手を消すこと以外に使ったことは無いが……自分の能力が、悪魔の中で唯一『殺した相手を癒せる能力』と知っていた。
死の苦しみを味わうことなく、眠りに着くような気持ちで、冥界へ逝ける……。
痛覚は無いにしろ、スカーが苦しんでいるのは目に見えている。
だったら、送ってやるしかない。
痛み、苦しみを伴うことなく、眠りに着くように……。


「……大丈夫だ、安心しろ。今、温かい場所に連れてってやるから……」


ラグナは両掌をスカーの上に置き、アリスもその手の上に重ねるように自分の手を置いた。
一緒に送り出そう……。
そういうかのように細められた瞳に、ラグナも静かに微笑み返した。


「スカー……あっちに行っても、幸せにな……」
「ありがとう、スカー……」


二人の言葉の直後、ラグナの手が真っ白な輝きを放つ―――
光はスカーの身体からあがっていた炎を打ち消し、代わりに優しく包み込んだ。


「温かい……『楽園』に居るみたいだ……」


安らかなスカーの顔が……白い光の中、白紙に戻っていく……。


「一緒に……また、『楽園』で……あの木の下で、三人で一緒に昼寝しような……? 二人共……」


そう言って微笑むと、スカーの体は粒子となって消えた―――


「スカー……」


彼が消えると、気丈にその場に立っていたラグナはがくりと膝を折った……。
アリスもまた、涙を流しながらその場にうずくまった。
そして、スカーのつけていた鈴が音を立てて地面に落ちた……。


『ありがとう……』


その音は、彼の声でそう言われたように聞こえた―――
幻聴だろうけど……。

後は本当に静かな広い草原だけが残された―――

ラグナは無言で鈴を拾い上げると、それをアリスに手渡した。


「……それを手土産に……お前は、人間達の所に帰れ」
「嫌だ……ラグと一緒に居させてよ………。あたし……ラグが居ないと、もう駄目なんだよ……?」


泣きながら必死に嫌がる彼女の声が聞こえていないフリをし、勢いよく立ち上がった。
もう、立ち止まっている猶予は残されていない……。
ラグナは乱暴に涙をぬぐい、振り返ると、アリスに言った。


「お前は絶対に死なせねェ……!」


そう誓うように告げた―――

夜明けが近い……。
明るくなり始めた祖r内は、冷たい風に運ばれた分厚い雲がかかり始めていた。
田舎だが少し大きな街。
あの時は本当に楽しかったとラグナは街の中心部にそびえる大木を見上げた。
ここは、初めて祖父に連れてきてもらった、思い出の場所。
小さい頃、ここでよく遊んでもらった。
祖父が遊んでくれなくなってからも、一人で何度も来て、スカーやニジと来て、アリスとも来た。
感傷に浸っているラグナに、隣に居たアリスが何かを指差した。
ラグナが視線を送ると、まだ宵の淵だというのに木の根元に張られた柵に誰かが座っていた―――
まるで誰かを待っているかのように、タバコをふかして……。
足元には大量の吸殻。
その数からして、この寒空の中よほど長い間待っていたのだろう―――
シルクハットに仕立ての良いタキシードを纏った美しい青年。
彼はラグナとアリスを見ると片手を軽く上げて合図してきた。


「よぉ……ラグナ! 遅かったな?」


軽い挨拶をして、彼は吸殻を再びその場に捨てた―――
それを見てラグナは眉をしかめた。


「灰皿ぐらい携帯しとけ……ったく、格好だけじゃなくマナーもきちんとしたらどうだ? ニジ・スピア公爵」


厳しい口調で注意しながら、白い指でスッとその吸殻を指した。
だが、彼がそう言っている間にも吸殻は粒子となって散り、跡形も残らずに綺麗になくなったが。
あまり反省していないような笑みを浮かべ、軽く肩をすくめるニジの前にラグナは立った。
その顔は、先ほどの吸殻のことで目くじらを立てていたものとは違う、とても柔らかな表情だった―――


「思ったより早く気づいてくれたんだな……助かった」
「早いに越したことねェだろ? ……どうせ、結果は同じだけど」


フッと笑う悪魔に、ラグナは笑いながら「そうだな」と頷いた。
いつもと変わらないやり取り……。
アリスはラグナがとても楽しそうに見えたから、この青年がスカーから聞いたニジという人物だとわかった。


「その女の子がお前の人間の友達か? ……アリスだっけ?」
「お、おう」


アリスを値踏みするように綺麗な足の先から金髪頭の先まで無遠慮に見るが……アリスは深いな顔はせず、ただ穏やかな笑みを浮かべた。
それを見てニジはきょとんとし、ラグナはクスっと小さく笑った。


「―――どうだ? ニジも嫌いなタイプの奴じゃねェだろ?」
「……そうだな、面白くて素直な奴は嫌いじゃないからな」


ニジとラグナは傑作だと言わんばかりに、くっくっくと喉の奥で笑った。
アリスは何故二人が笑っているのかわからないという顔をしたが……。


「コイツ、まともに人と話したがらねェんだ……人間に『実験』された所為だと思う」
「は、実験!? そりゃまたお前も面倒な奴だな……? で、何? それを気まぐれで助けたら情が移ったっていう……スカーと似たケース?」
「……ニジのクセに鋭いじゃん」


ラグナが面白くなさそうに亜k玉湯を跳ね上げると、ニジは微笑みながら立ち上がった。


「これでも俺は、お前の警備をずっとしてきたんでね……」


ウンザリとしたような顔でため息を吐くニジに、ラグナはただ小さく微笑んだ。
そして……


「……場所を変えるぞ」


ラグナが短く告げると、その場に立つ三人は光に包まれた―――
ニジが眼を開けると、そこには何も無い砂漠の様な荒涼とした大地が広がっていた。


「ずいぶんと……寂しい場所を選んだな―――」


ニジとラグナは空を仰いだ。
そこは分厚い雪雲に覆われていて、今にも雪でも降り出しそうだった。


「なぁ……俺も一緒に魔王様に頼んでやるからさ……考え直さねェか?」

ニジの言葉に、空から彼に視線を移す。
まだ何も無い空を見上げているからその顔が見えない……。


「アリスを殺したことにして、逃がせばいいじゃねェか? ……魔王様だって、好きでお前を殺したいわけじゃねェと思うしよ……」
「ニジは優しいな……でも、そんな山門芝居が爺ちゃんにバレねェとでも?」


ふっと笑うラグナに、ニジは黙って首を振った。


「―――なら……俺が代わりにアリスを殺す……お前っていう友達を手にかけるくらいならそっちの方がいい。お前だって、そいつが居なければこの世界にこだわる必要は無くなんだろ?」


そう言い、アリスに向かって一歩踏み出すが……それはラグナに制された。


「俺のダチを殺す気なら、ニジも敵だ……、俺が相手になる」


深い殺意を込めた目……。
ゾクリと背筋が凍るような視線に、ニジは上げかけた手を下ろした。


「何で……人間なんかにそんな肩入れするんだよ?」


ぽつりともれたニジの言葉に、ラグナは哀しげに笑った。


「『人間』じゃねェからだ」


その答えにニジは眼を大きく見開いた―――


「俺の中でコイツは『人間』じゃなくて、『アリス』だから……。お前にもわかるだろ?」
「―――分かる」


そう、分かる―――
名前を覚えたら……それが一つの命として感じられるって―――
だけど……


「……だけど、俺は殺せる」


そう、きっと迷わずに、躊躇う事など無く―――
例えほんの数秒前まで一緒に笑いあって、馬鹿やって、ジョッキを打ち鳴らしあった相手でも、自分はほんの数秒で殺せてしまう。
失いたくないと願っても、どんな顔でそいつ等が死ぬのか想像するとワクワクする自分が居る。
それが時々たまらなく怖いが、とめられない―――

何故ならそれが悪魔の性だから……。


「―――どのみちスカーが死んだ……もう、俺はあそこに戻れない」
「俺が居ても……駄目か?」


その言葉に……今度はラグナが沈黙した。
どんなに強く振舞おうとも、彼はたった一人の……まだ十歳の幼き少年―――
何者にも揺るがないものなど、人間でも悪魔でも獣人でも、存在している限り揺るがないはずがない……。


「普通の人間のガキなら……好きな奴と一緒に居れるだけで満足すんのかな……?」


ぽつりと寂しげに呟いたその声は、先ほどまで殺意をほとばしらせていた人物のものと同じとは、とても思えなかった。


「でも、俺は……それだけは選べねェ……。選んだら……ただのガキになっちまう……そんな自分で生きてくのは、嫌だから……」


わかってる……。
どんなにたいそうな御託を並べても、これは所詮自分を正当化する言い訳……ただのわがまま……。
本当は何が正しいかなんて、多くを知りすぎた今は……。
守りたかったものの一つを守れなかった今は、わからなくなってしまったから―――


「―――悪ィ、ニジ……でも、他に方法が思いつかなかったんだ……どんなに考えても……策を巡らしても……爺ちゃんの、魔王の手から逃れる事が出来なかったから……」


ぽろぽろと涙を流し、震える声で必死に言葉を紡ぐ彼は見ているだけで苦しくなる。


「―――そうだな……魔王様から逃げるなんて、出来ないだろうな……」


ニジはシルクハットをもう一度深く被りなおした。
やっぱり、道は無かった―――


「ニジ……アリスを頼む。こいつを魔法使いに渡してくれ……魔法が使えるとうわさを流せば、きっと奴等は来るから……」
「魔法使いに? ……まったく、相変わらず注文がデカイ奴だな……お前は。ま、約束するよ……」


すまない。
そう小さく口の中で呟いたラグナに、ニジは思いついたように「あ」と漏らした。


「そうだ、一つ聞いていいか?」
「ん……?」
「その女の子の事、好きなのか?」


その質問にラグナはきょとんとして……そして、笑った。


「……あぁ」
「そっか……悪ィな、アリス。俺……ラグナを……友達を……お前の大事な奴を……消すから」


そう言って申し訳なさそうにしながら……ニジの手は、ラグナの胸を貫いた―――


「……ッ!」
「ラグ!!!」


アリスの悲痛な叫びが聞こえた。
痛みはまだ無い……。
だが体のうちで、ニジの手が中央に位置するモノに触れる感触がした。
視界の端で涙を流しているアリスが見えた―――
ラグナは口を動かして「来るな」と言った。


「アリス……、さよならだ」


胸にニジの手を突き刺したままニッと口端を吊り上げて彼女に告げると、その壮絶な姿にアリスは凍りついたように動けなかった。


「やっぱ……あんまし気分のいいもんじゃねェな……」


他人事のように呟くラグナの魔嫌疑の強さにニジは苦笑した。
―――最期の会話を楽しむ余裕など自分は与えていない。

自分に余裕が無いから―――

それでも、ラグナは途切れ途切れでも言葉を続けた。


「俺等……って………いつまでも………友達だよ……な………?」
「オイオイ、こんな時まで何言ってんだよ?」
「いいだろ……迷惑かけたんだから……俺……」

たとえそれが苦痛にゆがんでいても……ラグナはずっと笑っていた。

「何笑ってんだよ……?」
「ずっと友達で……居てくれる……んだろ……? だか……ら……」


血のついたてでニジの顔に触れる。
その指先は冷たくて……血は熱い。
ふいに彼が触れる頬に何かが流れた……。
それもやっぱり、熱いものだった。
目の前で笑ってたラグナの顔が……少し悲しげに変化した。


「ニジ……泣くな………後悔なんてしてねェから」
「誰も泣いてねェだろが……」


自分のものと思えない、低く押し殺したような声が唇からもれた―――


「―――そうだな……」


お互い他人事のようにこの時間がすぎていく……。
結局似たもの同士だったのだろうか、俺達は……。
ずっと握っていると、小さな心臓が段々と弱まっていく。


「ありが……と……ニ……ジ―――ごめん……な……」


ラグナがゆるゆると目蓋を落とすのを見計らい、ニジはその小さな心臓を引き抜いた―――
勢いよく上げられた飛沫が自分と彼の腕を、顔を、体を、大地を……全てを紅く染める。
血の紅さ……白い彼の肌に咲いた大きな華はバラのようだった。


「ラグナ……テメェが悪ィんだぞ………」


ニジは呟き、小さな彼の亡骸を前にただ呆然と立ち尽くした。
顔をぬらした紅い血が、自分の双眸から流れるものの存在を書くした。
だが感傷に浸る場合ではなかった。
自分の手の中の彼の小さな心臓が、その体の外にあるというのに再びドクっと唸った。
同時に、穴の開いた彼の死体がゴホっと血を吐いた。
血が溢れた口から隙間風のような音が漏れる……。
脅威の回復力―――

まだ完全に彼は死んだわけではなかった。

ニジはすばやくポケットから、エンディアから預かった銀の花の種のようなものを取り出した。
それは彼女の血を感じると、割れ、そこから発芽したようにつたの様なチェーンが伸びた。
チェーンは見る見る打ちに彼の心臓に拘束するように絡みついた。


『心臓の封印』……。
エンディアの言葉を信じるなら、これが彼が一番苦しまない殺し方らしい……。

これで全てが終わった……。
あとは……。


ニジは血まみれの顔を拭こうとはせず、そのままの顔を立ち尽くしているアリスに向けた。
アリスは生気の無い瞳で彼の大穴が開いた身体を見つめていた。


「おい、アリス……ラグナとの約束だ……連れて行ってやるからおとなしくついて来い」


怒りのこもったような声で声をかける。
反応の無いアリスに、ニジは苛立った。


「俺の機嫌がいいうちにしろ……! お前の所為でラグナが死んだんだからな……ッ!!!}


彼女の腕を強引に引っ張るが……アリスは逃れるようにその腕を振り解き、ラグナの前で庇うように手を広げた。

「……ッ!」
「……今更、盾になろうってのか? 遅いよ、もうラグナは死んだんだ」


苦しげに言うニジを見て……アリスはまたいつもの様に静かな笑みを浮かべた。
そして……彼は両手を合わせた。
ニジが不思議そうに見ていると、彼女の手が白光しはじめた。


「何……を……?」
「ラグはあたしの所為で死んだ……。だから……あたしがお前を殺す!!!」


稲妻のような閃光が彼女の体からほとばしった―――
激痛にわめき、眼から血の涙がすぅっと流れる、そして彼女の体から凄まじい電流が溢れた。


「馬鹿野郎、すぐに魔法を解除しろ! 死にたいのかっ!? ラグナの死を無駄にする気か!?」


ニジが慌てて彼女を止めようとするが―――遅かった。
天を貫くような光の柱がアリスを……そして、彼女の足元に横たわるラグナの死体を包み込んだ。
次の瞬間、禍々しい雷の化身がこの荒涼とした大地に降臨した―――


「くそ……何考えてやがるっ!?」


ニジははき捨てながらラグナの亡骸に手を伸ばすが、その前に雷の化身と化したアリスがそれをさらった。
ラグナを連れ、アリスは凄い速さでこの地から飛び立った……。


「……ラグナ!」


ニジはすぐに追おうと駆け出した……が―――


『―――ニジ・スピア公爵』


脳に直接語りかける魔王の声がした。


『人間は他の悪魔に追わせる……お前はラグナの心臓を持って帰ってこい』
「でもラグナが……」
『<死体>の回収ぐらい他の悪魔でも出来る。……違うか?』


有無を言わせぬその圧力にニジはうな垂れ……そして―――


「了解しました―――」


俯き、そう呟いた。
あの後……。
雷の化身と化したアリスに持っていかれたアイツの死体は……結局戻ってこなかった。
回収に行った悪魔達がどうやらアリスに返り討ちに合ったようだ。
―――あの少女のように全てを捨てることが出来たら……。
きっと、今もこの胸にくすぶる思いに悩まされる事もなかっただろう。
でも、到底俺にはできない芸当だった。
子供だからって馬鹿にしていたつもりは無かったのに……やっぱり、どこかで見くびっていたんだ。

アイツ等の底力―――



















―――……
―――ラグ……


……ラグ―――



自分の名を呼ぶ声に、少年はゆっくりと重たい目蓋を開いた。
―――その眼はまるで濁った死人の眼だった。
光を失った瞳に映ったものは、廃墟と化した世界―――


空には大きな月があった……。
それは恐ろしいほど大きく……黒い色の月……。
そこに彼は打ち捨てられた人形の様に横たわっていた―――


―――ラグ……


荒廃した世界、だが自分を優しく呼ぶ声は降り注ぐ透明な雨のようにいつまでも止む事はない。


―――誰……?


彼は動かない唇でそう問いかけた―――

どこで聞いたかは忘れたが……この声は聞き覚えがあった―――
とても優しい、同年代の女の子の声……。
そう……まるでアリスの笑顔のように、人の心に安らぎを与える声……。


―――そうだ、この声は……


ラグナは霞が買ったままの頭でその声の主に瞳を向けた……。


ラグ……


その人物は……やはり少女だった。


おまえ……何を……?


ラグナは口を意識して話そうとしたが……やはり、死体のように唇は動かなかった。
だが、彼女にはちゃんと通じたらしい―――
いつもと違い、生気が感じられない瞳を優しく細める笑顔を見せた。

―――目の前で笑う少女に……ラグナはとてつもなく嫌な予感を覚えた。


アリス……おまえ……?


問うように虚空のまなざしを向けられると、少女は自分の手から白く光り輝く物体を生み出した……。


これ……ラグの新しい心臓……。
魔法で造ったものだけど……ちゃんと動くから―――


そう言うと少女は彼の横にしゃがみこみ、胸に大きく開いた穴にそっと、その新しい心臓……魔法で生み出した心臓を埋め込んだ……。


とくん……


そこに……その命を失った身体の中心に、小鳥のように小さな命の躍動を感じた―――
ぴくんと、指先がはねるように動いた―――
それをきっかけに肺が酸素を求めるように活動を再開した。
熱き血潮が全身を駆け巡るのが分かる―――


光のように……命が満ちる―――

そして……その小さな背に……炎が宿った……。
それはとても温かく柔らかな炎……。
真っ赤で大きな炎の翼が天に向かって現れた―――


それと同時に、あの深い闇のような黒髪が白銀に染まっていった―――
光を取り戻した瞳は、吸い込まれてしまいそうな深い色から、燃えるように光る赤い左目と、光の角度で変化する美しく透き通る銀色の瞳へと変わった……。
それは正に炎を纏った天使だった……。
高配した世界に降り立つ天使―――
まるで生まれ変わったかのように、そこに居る彼はそれまでの少年とは異なる姿へと変貌した―――
だがその瞳は、未だに深遠なる闇を孕んでいた―――
とめようも無い大粒の涙が、次から次へとあふれ出てくる……。


「馬鹿野郎……」


そう呟いた薄紅色の唇は、深い悲しみに再び蒼ざめた。


「聞いたことねェぞ……心臓を造りだせる魔法なんて……」


ラグナは傍らの少女を力ない瞳で見つめた。


「そんな魔法使ったら……わかってんだろ……もう、自分が助からねェって……」


アリスはそんな彼の言葉を聞いてもただ笑っていた。
静かに、そして穏やかに……この世の全ての不条理も受け入れるかのように、ただ……優しく微笑み続ける―――


……分かってる。

その身体は……向こう側が透けて見えるほど希薄なものとなっていた。
それだけではない……、まるで細胞の様な六角形のヒビが全身に広がっていた。


「分かってるんなら何で!? ……そんな姿になって……お前の魂は……もう……」
いいっつの……だって、ラグに出会わなかったらあたしはとっくの昔にこうなってたんだから……。


表情を変えるたびに少しずつヒビが剥がれ落ち、その笑顔に穴が開いていく―――


……それに、ラグだってあたしの為に死のうとしただろ?
「でも……お前まで死んだら……俺は……何も救えなかったじゃんか……」


肩を震わせて涙を零すラグナを、アリスはそっと包んだ。
ぴきぴきと音がして、またヒビがはがれる……。
綺麗な足が光となって消えた。


そんな事は無ェよ……。
それにまだお前は終わってない―――そうだろ?

―――その言葉に、ラグナは頭を力なく左右に振った。

「……一人で……生きろと? お前もスカーも居ないこの世界でたった一人で?」
あたしもスカーも、ラグといつまでも一緒だよ……。
「思い出の中に居るとか言うんじゃねェだろな!? ……そんなのまやかしだ!」



苦しかった……。
奪われるよりも、与えられた命の方が苦しい―――
泣きじゃくることでしか感情を訴えられない赤子のように泣き続けるラグナを、アリスはずっと撫でていた。
まるで姉の様に……。
だが、そうしている間にも彼女の身体は風に飛ばされる砂粒のように失われていった―――


風化する思い出の中じゃない……あたし達は、ラグの命と一緒に居る。
「命……?」


顔を上げたラグナにアリスは力強く頷いた。


人は一人で長く続く道の上を歩くわけじゃない―――
現にあたしはお前とスカー……二人が居てくれたから、この道を進むことができた―――
一緒に居なくても……大切な人はいつもあたしの命を支えてくれた―――
だから、今度はあたしがラグの命を支えるよ……。


そう言うと、アリスの額に唇を近づけ、彼女はそっとその額に口付けた。
よく、ラグナの母親が彼にそうしたように……。
彼女の唇が離れると、額の眼は綺麗に消えていた……。
突然、激しい虚脱感が襲ってきた……。
がくっと膝が折れ、ラグナは再びその場に崩れ落ちた。


「何だよ……コレは……? ……アリス……お前、俺に何……を……?」


ラグナは閉じそうになる目蓋を必死にこじ開けようとした。
だが、思うように力が入らない……。


きっと今のお前は……道に立つこともツライと思うから……。
だから、あたしがその気持ちをしまっておくよ―――


その言葉にラグナはハッとなった。


「―――俺の記憶を消すつもりか!?」


その問に、少女はやはり優しい笑みで応えた……。


戦って、ラグ……。
あたしは戦うお前を必ず守る……お前が守りたいものの為に戦う限り……。
ラグは、この世界の……『希望』だから……。


少女の声が……とても近く……そしてとても遠くに聞こえる―――
頭が重い……。
多くのものが、ブラックホールに吸い込まれるように消えていく……。
魔王の一族としてすごした歳月―――
エンディアやリリー……家族の顔が消えていく……。
スカーの壮絶な最期も、ニジの涙も……そして、アリスの優しい笑みも……。
何もかもが闇に閉ざされる……。


「嫌だ……俺は……お前達を……忘れたくなんか……」
心配しなくていい……少しの間だけ、あたしが預かっておくだけだから……。
いつか、ラグが大切なものを守るために戦えるようになるまで―――


優しい声が遠くなっていく。


あぁ……お別れだね……ラグ……。
なァ……一つだけ、お願いしてもいいか?
もし、サディークって奴に会えたら……さ、『ありがとう』って伝えてくれるかな―――


そう言って微笑んだのは、右半分だけの顔……。
ラグナの双眸から涙が零れた……。
本当はもう、何が哀しいのかさえ分からないのに……それでも、胸が苦しくて涙が止まらない―――


ありがとう……ラグ。
大好きだよ……。


もうほとんど意識の無いラグナに向かって、少女は囁くような声で語りかけた―――


―――ラグ……。
あたしの……一番……大切な………


その言葉が彼に届く前に、意識も彼女の姿も……。
全てが跡形も無く消えてなくなった―――


消えていく……全てが消えていく……。
透明に……『無』に還っていく……。


……怖い。


誰か……。



―――誰か……って……?




そして、眼が覚めた。
いや、実際はずっと起きていたのかもしれない……。
ただ、ここはあまりにも白い世界だから……夢と現実の境界が酷くあいまいに感じた。
あまりに冷たく、白く、哀しいほどにもろい……美しい世界―――
大地には、自分の身が壊れてまで少女が彼を守るために戦った爪跡が残されていた……。


無数の悪魔達の亡骸……。
だがそれも、今の彼にはその意味すらも分からない。

だが、分からないことが……知らないことが凄く哀しい……。
何故だかは分からないけれど、何だか誰かの……。
それもたくさんの人の想いを踏みにじってしまった気がする―――


どうしようもなく寒くて、痛くて、冷たくて、哀しくて、苦しい……。
こんな世界で一人でいたら押しつぶされてしまいそうだ。
だが、呼びたいはずの名も分からない。


すぐさっきまで誰かが側にいた様なきがするのに、その人物の名も、顔も、姿も出てこない―――
すごく愛していた人がいた気がするのに、その人物の名も、顔も、その声も分からない―――


……誰か。


誰だかわからない……。
その相手に向かって、彼はただ助けを求めた―――


「―――?」
「? どうしました?」


ガタゴトと揺れる馬車の中で、乗客の若い男が外を眺めた。
馬車の外は吹雪というほどではないが、止む事のない雪がしんしんと降り続けている。


「いや……なんでもない、それよりここで馬車を停めてくれ」
「え……?! 止めておいた方がいいですよ!? 昨日此処で、大量の悪魔が暴れていたんですよ!? すぐ消えちまったけど、まだ生きてるかも……! 嘘じゃないですぜ?!」
「―――知っている……それを調べに来たんだ」


鋭い視線で馬を引いていた男を制すると、若い男は馬車を降りた。
全身を黒一色に塗り固めたようなそんな姿。
その中でその茶色い髪が結構目立つ。
張り詰めるような白に支配された世界を、男は真っ直ぐに歩いていく―――
誰かに呼ばれた気がしたから……。


しばらく行くと……この雪でも隠せない壮絶な戦闘の跡が見えてきた。
まるで巨大隕石でも落ちたかのような大きなクレータの中に……。
一つの小さな影が落ちている事に男は気がついた。


「子供……?」


ざくり……
深い雪に踏み込んだ音に、独り眠りに着こうとしていた少年は意識を引き戻した……。
倒れこんだまま少年が瞳を開ければ、見えたのは黒い靴、黒いローブ……。
いつの間にか、右胸に炎の神、イフリートの紋章を着けている怪しげな男が立っていた。
そんな風貌の中で吹雪の中揺れた茶色い髪が眼を引いた。
男は少年を優しく抱き起こした。


誰……?


凍えた唇は音を発することなく、わずかに震えるのみ……。
男は少年の胸元を見た。
ちょうど心臓の真上の位置。
そこには男のローブの右胸についているものと同じ、イフリートの紋章が埋め込まれていた……。
その紋章はやがて少年の身体の内部へと沈み、その背の炎の翼も消滅した。


「心臓自体が魔法で構成されている人間か……」


男の言っている意味が少年にはわからなかった。
だがその声に、心にぬくもりが宿る……。
男は少年のその瞳を見た。
哀しみに暮れた深いその瞳を……。


「―――魔法学校、来るか?」


男が少年を魔法学校に連れて行った……。
此処から、全てが始まった―――




                     つづく

まだ夜は長く、深く―――
黒い空は明けることを知らない。
夜の闇の深さの中では、振り続ける星明りなど見上げていなければ囁く程度のものだ。
だがそんなはかなき光にさえも感謝してしまう。
闇に浮かぶものは何もかもが不気味に見えてしまうから……。


―――それが己の慣れ親しんだ屋敷であろうとも

城とも呼べる巨大な屋敷を見上げ、ラグナは自嘲気味な笑みを浮かべていた。
普段どれほど引きこもっているのだろう……。
家に帰ってきたというのに、あまり見たことの無い外観の所為でここが我が家だという実感が少しも湧いてこなかった。


「外から見ると……やっぱ、感じが違うもんだな」


ラグナはそう呟いて……また、違う意味で自嘲的に目を細めて笑った。
外から見ているのは瞳ではなく、心なのかもしれない……と。


「ラグナ……ごめん……」


力ない謝罪の言葉に振り返れば、そこには大きな身体を小さくしている虎のような生き物の姿があった。
自慢の毛並みは血で汚れ、カッコいいその姿が深々と刺さったままの棘をより痛々しいものへと見せた。
そんなスカーの姿を見て眉を寄せると、ラグナは無言のまま手を翳した。
その手に光の束が産まれ、形を成し、銀色の杖となった。


「少し痛むけど……我慢してくれ」


ラグナが杖を振ると、鈴の音のような清楚な音がした。
一瞬、スカーは首元に焼けるような痛みを感じた。
……だが、それを最後にそれまでの痛みがウソのように引いていった。
まるで麻酔でも打ったように感じなくなったという方が正しいか……。


「……痛覚を切断した、痛みはこれで感じないはずだ。ちゃんと手当てができるようになるまでそれで我慢してくれ」


そういうと、今度は右肩の棘に杖を当てた―――
再び鈴の音のような音が響き、棘が粉砕された。
傷口から血があふれ出たが、鋭い衝撃だけで痛みは感じない。


「ラグナ……これからどうするんだ?」


痛みがなくなった為に少し表情が緩んだスカーは心配そうにラグナを見た。


「スカー、お前はここで待ってろ。アリスを連れ戻してくる」
「一人で……大丈夫なのか?」


グリーンの大きな瞳はますます不安げに揺れた……。
そんな彼に向けて、ラグナはふっと小さく笑みを浮かべた。


「さあな……」


さっぱりとした口調で他人事のように言うラグナに、スカーは限界まで目を見開いた。


「……コレは、爺ちゃんに対する裏切りだからな」


スカーは、一生懸命に彼の眼を確かめようとして、彼の顔を覗き込んだ。
そんなスカーの視線の高さに合わせるためラグナは中腰になり、彼の頭に手を触れた。


「だから……聞く、無理に答えなくても良い……例え、王である爺ちゃんと敵対する事になっても……それでも、お前は俺のダチで居てくれるか?」


問い……というより、確認するかのようにラグナは聞いた。
流石のスカーも、今回ばかりは迷った。
あまりに大変な自体、明らかに間違っていること……。
魔王にはむかうなど……家来として産まれた自分は考えただけで震えてしまうほど恐怖を覚える。
それでも真っ直ぐ見つめてくるその瞳にこめられたのは信頼―――
いつからコイツはこんな目をするようになったのだろう?
昔からまがまがしかったその瞳、でも昔の彼とは違い、今の彼の瞳は信頼に、希望に満ちている―――


「そんな聞き方……ずるくねェか?」


スカーはふぅ~っと一度深くため息を吐いて……そして、笑った。
親友だから……。
ラグナもアリスも……。
二人と一緒に暖かな木漏れ日の下で穏やかな夢に包まれるのが何よりも幸福だから……。
それを失う事よりも恐ろしいことなんてない……。


「―――俺が使えるのは魔王様じゃない。あの日から……助けてくれたあの日から、俺はお前の家来だ。だから……どこまでもついていってやるよ」


いつもと変わらぬ笑みでにっこりと微笑むスカーに、ラグナは苦笑した。


「悪ィな……スカー」


ラグナはそっと、その毛並みを味わうように頬を摺り寄せて、そして立ち上がった。
立ち上がった拍子に、頭に巻いているバンダナが外れた―――
その額にあったのは、三番目の「瞳」。
魔王として、力が目覚め始めている証。
正当なる王位継承者としての印だ。
まぁ、デッドも持っているのだが……。
そして屋敷に目を向けた。


「……アリスを奪還したら、呼ぶ。それまで走れるように休んでろ」


そういい残して、ラグナは屋敷の門に向かって歩き出した。
遠くなる小さき背中……。
いつもならそんな小ささを感じさせないほど大きく見えるその背が……なんだか、今日はとてもはかなく見える。
仕方が無い、相手は……神様に近い人……。
自分にとっても、ラグナにとっても―――
言い知れない不安を抱えながら、それでもスカーは言いつけを守って茂みに巨体を隠した。
いつでも走れるように。
いつでも……主の盾に、なれるように―――









†第二十三話『そこには必ず希望があるから』








舞う雪は……さながら綿毛のようだった。
暖かな気温の中でもけして溶けない、まっさらな雪……。
そんな雪を避け、地には白い花が咲き誇り、空には満天の星が瞬く幻想的な世界―――


「おやおや……これは素敵な場所だ」
「凄い……ここまで本物みたいに異空間を造れるの、魔王様とデッド様とラグナ様ぐらいですね」


御伽話の世界のような場所で、魔王と魔王の使い魔のキャンティの感心しきった声が響いた。
そんな二人から少し離れた大木に、アリスはキリストのように手を広げ、磔にされていた。
ここは苦痛も、哀しみも、争いも何も無い世界だった―――
ただ優しいときだけが流れる子供だけの大切な楽園―――
自分を癒し、満たしてくれた世界……それが、壊された……。
それも……よりにもよって魔王の―――何もかもを人間から奪おうとしている者の手によって汚された……。
悔しくても手に突き刺さった棘の所為で動くこともできない。
苦しくても、魔法の所為で声を上げることさえできない。

スカーは無事なのか? あたしを庇って酷い怪我をしちゃったけど……。
……ラグはどうしたんだろう、この事態をアイツは知っている?

考えるだけで、何もできない自分―――
まるで実験を繰り返されていたあの時に逆戻りをしたように感じる。

アタシハ……非力ダ……。

心に大きな空洞ができたように感じた。
それでも彼女は……少女は静かに魔王を……自分たちの世界の、敵を見た。
そんな彼女の視線に気づき……丸眼鏡の奥の双眸を細めた。


「面白い目だな。絶望しているようで居て、実は堕ちていない。……ラグナを信じて待っているのか?」


昔なら、Dランクの悪魔ですら怖かったけど、今は、目の前に悪魔の王が居るのに、ちっとも怖いなんて思わない。
―――でも酷く寒い。
気を抜くと、眠ってしまいそうだった。
閉じかけるまぶたの裏に夜の空のような黒髪が見えた。
即座に、魔王にかけられた魔法が解除された……。
そして、少女はその声を振り絞って……喜びに身を震わせて、その少年の名を呼んだ。


「ラグ!!!」


その時、漏らしたと息が風になって吹いたように、暖かい粉雪が……花びらが舞った。
吹く風は薄く開けられた扉から……。
そこには一つの小さく細い影が立っていた。


「……ラグナ」


魔王は険しい顔になり、そこに立つ彼を見た。
ラグナは……一瞬だけ魔王に視線を送った後、彼の前を横切り、磔にされている少女の傍らに立った。


「アリス……悪かったな。怖い思い、させちまって……」


謝罪し、ずるりと棘を抜くと崩れ落ちてきた自分より大きなその身体をしっかりと抱きしめ、頭を優しく撫でた。
そんな二人を魔王は感情の読めぬ顔で見ていた。


「……『アリス』、というのか。その人間は」
「……あぁ、コイツは俺の大切な……女だ」


それはまるで日常会話のような、とても静かで穏やかな会話だった……。


「いつからその人間と?」
「三ヶ月ほど前からだ……」
「三ヶ月か?……それはまったく気がつかなかった。流石はラグナだな。このエンディア・ウィングを三ヶ月もだましていたとは。……そうか、三ヶ月間も俺は人間と同じ屋敷に居たのか」


何度も何度も『三ヶ月』『三ヶ月』と、歳月を繰り返す魔王……。
―――突然、その体から受けるプレッシャーが強まった。


「―――実に不愉快だな」


穏な笑みを貼り付けていた顔が、ひび割れたように見えた。
隠し切れない自分より大きなアリスをその背の後ろに回し、ラグナは魔王と彼の前で両手を前へと突き出した。

―――激しい爆発が巻き起こった。
世界を破滅させ、悪魔だけの楽園を造ろうとする者、エンディア……その彼の内なる怒りを忠実に再現したような荒れ狂う炎―――
灼熱の炎が幼い二つの影を楽園ごと飲み込んだ。
少女の血がこびりついた木は一瞬に消し炭となり、薄っすらと雪の積もっていた大地もマグマのようにドロリと溶ける。
吹き付ける熱風に煽られるだけで、白い花も赤く燃え上がった―――


「賢いお前だから……自分で何を言っているか、わかっているよな?」


朱色に染まった世界でいつもと同じトーンの声が響いた。
轟音にかき消されるような声音なのに、その声は凍てつく空気を纏って地獄の業火のその向こうに投げかけられた。


「―――やはり見逃してはくれねェか、爺ちゃん……?」


応える者はいないと思われたその声に、静かな……冷水のような声が響いた。
紅蓮の炎の向こうに一筋の白銀の光が見えた。
ラグナの手だった……。
その場に渦巻くようにしてとどまっていた炎の固まりは、その手からあふれ出した光によって切り裂かれた。
赤き花びらのように散る火の粉―――
外見は圧さなく、頼りなき二人が……それでもそこにしっかりと立っていた。


「悪いとは思ってる―――家族と祖父であるアンタの期待も、これからアンタと作るはずだった未来も、俺達の神さえも……俺の個人的な意志で、裏切ることを……」
「その通りだ……。そのか弱き人間たった一人の為に、とても正気とは思えないな。何の価値があるんだ? 正しいと信じたものを捻じ曲げてまで、救う価値がどこにあるというんだ? ……人間などに」


理解に苦しむといった表情で頭を大きく振るエンディア。
普段から考えられないその饒舌な彼に、ラグナは小さく微笑む。


「確かに。人間っつー種族は本当に愚かで、醜い……」


そう教えられ、そう信じてきた。
自分の母親も、醜かったと。
そしてその原因はこの世界が偽りの世界だからだと……最初から、全てを諦めていた。
……絶望していた。

でも……。


「けど、それだけじゃねェ……その事を、この人間は……アリスは、俺に教えてくれたんだ。この世界には『絶望』だけではなく、『希望』があるって……」


その視線の先には魔王の最後のまだ焼かれていない楽園の姿―――
此処こそがこの世界の希望の象徴……。
命奪う者である悪魔と獣人、奪われる者である人間、そして支配する者でもある魔王……。
その三人で築き上げたこの世界……。
『楽園』は確かにここに……この世界に創り出せた……。


「―――俺は『絶望』の中でそれだけを見つめて嘆くより、ほんの僅かでもそこにある『希望』を信じていたい」
「希望……か?」


うんざりとした口調で繰り返すエンディアに、ラグナはそれでも語り続けた。


「……わかってる。アンタが造ろうとしている世界は何より俺達悪魔にとって幸福だ……そして、素晴らしい。でも、どんなに俺達にとって素晴らしい世界でも、人間達には絶望しかない。アンタも知ってるとおり、俺の半分は人間だ。だから、俺は……人間と悪魔が、共存して生きる世界に住みたい。それが俺の目指す世界だ。だから、アンタの計画に協力すんのは、やめた。何より、その世界に絶望は無いかもしれない。けど、今の俺には、その世界に希望があるとは到底思えない」


爺ちゃんが、ニジが、リリーが……家族が居る。
でもたった二人、足りない……。
足りない世界に、何を満たされるというのか?
後悔するとわかっているのに、その道を歩くことなどできるものか。


「希望の無い世界の為に戦うことなんて、俺には出来ない―――」


そう言ってラグナはエンディアに向かって右掌を向けた。
互いの顔から余裕が消えた。


「アンタにとってはクズかもしれない人間。でも、コイツは俺に光を見せた……。きっと、俺の親父……アンタの息子が俺の母ちゃんに出会ったときも、同じ気持ちだったんだと思う。俺は、アリスを守ると誓った……『俺の世界』に入れたんだ。だからこんな所で死なせはしない、アリスも……彼女の居る、この世界も……」


張り詰めた空気が極限までに緊張を高めた―――
口を動かして話さない魔王、そして背中越しで自分を守ろうとしているラグナ。
目の前の二人が睨み合っている。
小さな……とはいってもラグナより年上のアリスでも、その場に渦巻く空気は痛いほどに伝わってくる。


「―――実に……残念だ」


ふぅ、と魔王はため息を吐き、指をパチンと弾いた。
ざわりとした感触が再びアリスの頬を掠めた……。
魔王の背後に時計版の様な円陣が現れ、炎が五つ、その場に現れた。
その炎はやがて人の形を成し、それぞれが悪魔となった。
ランクDの悪魔とは異なる、ゴツゴツした体つきの悪魔達……。


「……本当に残念だな。お前とは、チェスの勝負がまだついてなかったのに」


そう言うと、魔王は悪魔五体に視線を送った。
―――彼らは無言の命に従って、跳躍した。
一体は正面から、二体は挟み込むように左右から、残す二体は上空から―――
巨大でまがまがしい姿の者達が、ラグナとアリスに襲い掛かった。
キュッと肩をつかんできたアリスの手に己の手を重ね、敵からは目をそらさずにラグナは僅かに体勢を低くした。
五体の波状攻撃に、この異空間が激しく揺れた―――
二人が建っていた場所には巨大な隕石でもぶつかったかのようなクレーターができていた。
粉砕した―――
そう思った悪魔達だったが……そこには衣服のカケラすら落ちていなかった。


「―――後ろだ」


魔王の鋭い声がして反応した悪魔達が振り向くときには既に遅く……。


「……ランクAとはいえ……この程度か? ……テメェら、それで俺を本気で止めるつもりか?」


冷酷な声が響いた。
その瞬間、悪魔の動きが止まった―――
何が起きたのか、自分達の体なのにわからなかった。
悪魔達はその異変に戸惑い、己の体に目を落とし……そして目を見張った。
体が……光に包まれ、どんどん消滅していた。
痛みも、感覚も無いまま―――
何が起きたのか……それは、ラグナの近くに居たアリスにすらわからなかった。
全てが……まるで光に目が眩んでいる一瞬の間に全てが終わってしまったかのよう……。
彼は僅かに血で汚れた短い黒髪を掻き……そして再び魔王を、エンディアを見据えた。
エンディアは楽しそうに彼を見ていた。


「『浄化』―――」


そうエンディアは一言呟いた。


「……久しぶりに見るな、お前の真の力……。『聖なる悪魔』、『断絶の破壊者』、『死の音色』、『聖なる瞬き』……その二つ名は目撃した者によって様々……。確かニジ君が名づけたのは『神の閃光』……だったかな? ありとあらゆる物質を、一撃の下に冥界へと送り、その魂を浄化する技……。絶対に避けられないお前の能力」


楽しそうに笑って語るエンディア……。
その余裕のある表情は、当然何か秘策があってのことだろう。


「爺ちゃん……俺を殺すつもりならランクSSの悪魔でも連れてくる事だな」
「まさか? お前の相手を悪魔にさせるのは少々無理がある。おまけに上位悪魔を使うのも勿体無い。……ただ、時間稼ぎになればそれでいいんだよ」
「時間稼ぎ……?」
「エンディア様!」


ラグナが眉を細めたその時、とても大きな声が響いた。
エンディアが振り向くと、コッ、コッ、と靴の足音と共に、妖艶な少女が歩いてきた。


「皆を呼んでまいりました」
「よくやった、リリー。いいタイミングだ。入り込んでいたネズミも見つけたし、今日は大手柄だな」
「ありがたき幸せ。ラグナ様も、誉めてくれますかぁ?」


ニコニコと無邪気に笑う幼いリリーに、ラグナは……一筋の汗を流した。
彼女が言った『皆』……それは……。


「……コレは一体どういう事なの、エンディア様? ……それに、ラグナ様?!」


厳しい女性の声がした。
声の方へと視線を向ければ、顎のラインで切りそろえられた綺麗な黒髪の女性が扉の前に立っていた。


「……オイ、そいつ人間じゃねェのか? 何で屋敷にいんだよ?!」


女性の後から扉を潜り抜けてきたのは、がっちりとした体躯の大柄の男。
褐色の肌、背中に生えた大きな翼、魔王の一族である事を示す体の一部に浮かんだ十字架の紋章。
他にも数名の兄弟達が戸惑いを隠せないような表情で、隠し扉から異空間へと入り込んできた。
魔王と七大魔将軍は、全て同じ一族で構成されている。
だから、苗字等は違っても、大元は同じ一族なのだ。
焼け焦げた異空間。
血にまみれた人間と、それを庇うように立つラグナ……。
それと対峙する様に立つエンディアの姿―――
答が目の前にぶら下がっているような状態でも、誰一人としてその答えにたどり着けないで居た。
認めることができないというように……。
長いコートの下に隠れたひざが震えた。
スカーの報告から、まだそれほど時間は経っていない。
やけに手回しがよすぎる、まるで皆を呼び出すまでに『悩む時間』など無かったかのようだ……。
もちろん、人間が屋敷に忍び込んでいたという異例の事態なら仕方が無いが……。
呼び出された人物達は皆若く、ニジは居ないものの一族でも戦闘力の高いものたちばかり。
逆に話し合いに欠かせない人物の姿が無い……。

―――これは戦いを前提にした人選だった。

先ほどの反応を見ても、エンディアがラグナの裏切りに気づいたのはアリスを見てからだ。
それなのに、何でこんな判断をすぐに下すことが出来た―――?
これはまるで……自分に何かあったときに対応する『マニュアル』が最初からあったかのようだ。
そんな事を考え、ラグナはその視線を冷たくした。


「爺ちゃん……そんなに、俺が離反する事に問題が?」
「だってお前は魔界の次期王なのだぞ? 問題があるに決まっているではないか」
「デッドが居るだろうが……」


以前なら寸分も疑わなかった彼の言葉が……今は酷くウソのように聞こえる。
それがウソであるのは根拠の無いことだが……。


(……やっぱ、俺も親父と同じなのか……)


そんな思考に陥っているラグナに構わず、エンディアはまだ扉の前で固まっている一族の若者達に厳しい視線を送った。


「ラグナ・ウィングを殺せ」


その命令に、命じられた一同は驚いたように目を見開いた。


「エンディア様? 何故、ラグナ様を殺すのですかぁ?」
「彼は多くを知りながら裏切ったのだ。……ここから生きて出すわけにはいかない」

リリーがわからないという顔をするが、エンディアは構わず言葉を続けた。

「彼は……我々の敵だ!!!」


その言葉に……躊躇いがちに……それでも若者達は動いた―――


「ラグナ……大丈夫かな? でも、俺が行っても足手まといだよな……」


その頃スカーはうろうろと城門の前を行ったりきたりしていた。
先ほどリリーに連れられた4,5人の一族の姿が見えた。
流石のラグナでもアリスを守りながら彼ら全員を相手にするのは不可能だ……。


「……やっぱり、行こう!」


キッと目を吊り上げて、スカーは覚悟を決めたように城門をくぐろうとした。
……その時だった。


「……オイ、スカー!!!」
「うわっ! ご、ごめん!?」


何者かにぐいっと尻尾をつかまれた。
別に悪いことをしていないのに反射的に謝りながらスカーが振り向くと……そこにはニジが居た。
―――走ってきたのだろうか?
息を切らし、いつもはきっちりセットした髪も今は崩れていた。
ニジは切羽詰った表情でスカーに詰め寄った。


「……一体、何が起きている……ラグナはどうした!?」
「へ?! あ……えー、っと……」


スカーが言うかどうか悩んでいると、ニジは痺れを切らしたかのように彼の頭を乱暴につかんだ。
ギチッと頭蓋骨を直接締め付けられるような感覚がした。


「……脳みそ、ぶちまけたくなかったらサッサと吐けっ!」
「ひっ……ラ、ラグナは……魔王様や一族の皆と今……戦ってんだよっ!」


酷く凄みのある声で言われ、スカーは鳴きそうな声で叫んだ。
その言葉にニジは目を見開いた。


「……なんでラグナが魔王様とかと戦ってんだよっ?!」


ギロッとにらみつけられ、より締め付けが強くなって、スカーはガタガタと震えた。


「と……友達のためだ!!! 人間だから……助けるのは裏切り行為だって……!!!」
「……なんだよ、ソレ? 何でアイツが……そんな事……」


よろめく様にスカーから手を離したニジは、わからないと頭を振った。
いや、認めたくないだけだったのかもしれない。
ラグナの半分は人間……。
だから、人間であるアリスを放っとけなかったんだ。
アイツは、昔から友達思いの良い奴だったから……。
その瞬間、屋敷の方で爆発が起きた……。
ラグナの部屋のあるあたりだ―――

ドクっと鼓動が高鳴った……。


「……ラグナッ!!!」


スカーは城門を飛び越え、爆発があった場所へと駆けた。


「……ラグナ……クソッ!」


しばし呆然とスカーが立ち去るのを見ていたニジだったが、彼もまた城門をくぐり、彼の……親友の元へと駆け出した。
ギュンとかぜのうなる音がして、ラグナは背後の少女を力任せに突き飛ばした―――
自分の掌を向かってくる音の方へと突き出せば。大砲のような拳を受け止めることが出来た。
しかし、そのものすごい重圧に足元の大地に大穴が開く。
華奢な彼の身体では、支えるだけで精一杯だった―――


「ラグナ! お前、何やってんだ?! 家族を裏切るって……あの人間の所為か?!」
「……その話はあとで爺ちゃんに聞け!!!」


大柄な男との攻防にばかり機を向けている場合ではない。
さっき庇うために突き飛ばした少女を横目で見ると、槍を片手にしたリリーが彼女の前に立っていた。


「アリス、逃げろッ!!!」


そう叫んでも、アリスの足はすくんで動かない。


「……人間如きが、ラグナ様に何故近づいたッ!!!」


幼いリリーにはこの事態がよく飲み込めていないようだ。
ただ『人間が嫌い』……、その想い一つで動いていた。


「……お前なんて、死んでしまえばいい!」


リリーの声が耳に響いた。
だが、幼くても自分とは次元の違う相手を前に、傷ついた身体を動かすのは不可能だった。


「ラグ……助けて……ッ!!!」
「クッ……止せ、リリー!!!」


ラグナは叫び、男を思い切り押した後……その銀と赤の瞳に暗い光をともした。
大柄の男は直感的に飛び退くが……繰り出していた右腕は浄化された。
腕を失った男がひるんだスキに、ラグナは落ちていた剣をリリーのすぐ足元に向かって投げた―――
驚いたリリーがしりもちをついている間にアリスの手をとり、彼女から一気に引き離す。
アリスを再び背後に回して壁との間に挟みこみ、すばやく辺りを見回した……。
囲まれていた―――


「……クソッ」


小さく毒づくラグナ。
その前にエンディアがすっと出てきた。


「……ラグナ、今ならその人間を殺せば、許してやる」


その申し出に皆真剣なまなざしで「そうしろ」というように見てくるが……。
ラグナは頑なに首を横に振った。
そんなラグナに小さく息を吐き……エンディアは赤いビー玉の様なものを地面に落とした。
それは地面に落ちると砕け散り、中から先ほどと同じ大規模の炎が噴出した。
ラグナは右腕を迫る炎に向け、炎を身体に取り込み、そのエネルギーをかき消す―――

細かい火の粉となって消えてく炎……。
そんな中、彼の細く綺麗な指先に、一匹の美しい蝶が止まった……。


「……ッ!!!」


魔界に住む食人の蝶だ。
その正体にザワッと肌が粟立つ瞬間……、肩までが熱くなったのを感じた。
ボトっとなんとも品の無い音を立て、ラグナの右肩から下、全てが落ちた。


「―――炎はカモフラージュかッ!」


腕の再生ぐらい、自分で出来る……。
だが、問題はさっきの攻撃で、自分の血肉を餌に食人蝶が増えたという事……。
一匹がラグナの横を通り抜けアリスへと舞う―――
それを破壊しようと注意を向けr場、他の蝶がラグナの身体にとまり、肉と血を喰らう。
そしてまた数が増える―――


「―――鬱陶しいッ!!!」


苛立つラグナが食人蝶を消滅し尽くすと……次は兄弟達の攻撃が待っていた。
蝶によって受けたダメージがまだ癒えていない。
二つ、三つと容赦ない猛攻をかわし、無効化し、それでも攻撃の雨はやまない―――
もう……限界だった……。
それでも……動かなくなった身体でも、盾にはなれる。
ラグナは庇うようにアリスの上に覆い被さった。

ガシャン―――……

突然頭上のガラスが砕け、月明かりを受けキラキラ輝く破片が星のように降り注いだ。
何が起きたのか……。
ただ何か柔らかい、温かいものに包まれる感触だけが伝わった。
グシャッと果肉がつぶれたような音がした―――


「ラグナ……」


酷く弱弱しい声で名を呼ばれた……。
ゆっくりと顔を上げれば、パタパタと音を当てて熱い液体が白い肌をぬらした。
鉄のにおい……赤い色―――


「スカー……」


ラグナが信じられないというように目を大きくしてみたものは、腹部を大きく抉り取られたスカーの姿……。
彼はグリーンの瞳を嬉しそうに細め……そして、ドサッと荷物のように横に倒れた……。
倒れたソコに赤い海が広がる。
どこまでも……どこまでも……。
彼の血を吸って潤う大地とは逆に、喉は一瞬で干上がった……。


「スカー……お前……バカがッ! ……なんで、なんで呼んでもないのに来やがった!?」
「大丈夫……心配すんな……痛くないから……それより、早く俺の背に……」
「……!? バカなこと言うんじゃねェ! そんな身体で走れるわけねェだろ!?」
「いいから乗れっ! ラグナ! アリス!」


獣のような唸り声でスカーが吼えた。
ビクッと震えたラグナを……アリスが後ろから抱き上げた。


「ラグ……行こう!」
「何でだよ、アリス! お前、スカーの怪我が見えねェのか!?」


驚いたラグナが叫ぶが、アリスは構わず血まみれの手で同じように血まみれのラグナを運び、体勢を低くしたスカーの背に倒れこむように一緒に乗った。


「やめろ! 痛みは感じないだけで……こんなキズで動いたら……死んじまうぞ!」


悲鳴染みた声で叫び続けるラグナに、アリスとスカーは互いに通じ合っているかのように顔を見合わせ……、そして彼に微笑んだ。


「大丈夫……あたし達は最期まで、お前の傍に居るから」


ラグナは……ただ、息を飲んだ―――


「……逃がすと思っているのか?」


そんな三人に、エンディアはあざ笑うように言った……。
再び攻撃を仕掛けようと兄弟達が迫る。
……と、そこに。


「ラグナ―――!!!」


戸を勢い良く開け放ち、ニジが飛び込んできた。
突然のニジの乱入に、皆の注意がニジに向く……。
そのスキをついてスカーは精一杯大地を蹴り上げた。
先ほど自分が飛び込んだ窓をくぐり、スカーは高く夜の空へと駆け上がる……。
星振る夜空へと―――


「待て! 俺との決着、ついてねェだろ! 逃げんのか、ラグナ!!!」


ニジが飛び立つスカーに向かって叫ぶ……。
ラグナは……親友の、ライバルの言葉に、振り返ることは無かった。



                           つづく

きっと、今となっては何を言っても信じてもらえないだろう―――
『裏切り者』の俺の言葉など……。
でも……それでいい。
何も、知らなくて良いんだ。
俺のように知りすぎたら、きっと皆は苦しむだけだから……。
……そう、何も知らなければ良い。
そうしたら、皆はいつまでも白くいられるから―――
皆は、何も知らないで居てくれ。
もし知ってしまったならば、全部忘れてくれ―――






†第二十二話『星降る夜に纏った深紅』




トントン……カンカン……


響く、板に釘を打ちつける音。
そして指示を出す声や木材を引き上げる男達の掛け声、慌しく走り抜ける言葉―――
田舎だが少し大きな町の中心部。
今日の夜行われる年に一度の祭りの準備が急ピッチで行われていた。
少し離れたところでは昼に到着したばかりの音楽隊が演奏の練習も始めている。
―――今宵の宴はもうすぐだ。
そんな中、けしてサボっているわけでもないのに、一人汗の一滴も流さず飄々と作業を続けている男が居た。
イカすサングラスをかけている為表情がよくわからないその男は、街の中央にあるシンボルツリーの頂上に上り、電飾を結んでいた。


「いい眺めだねぇ」


普通なら足がすくんでしまうほど高い頂上からの眺めにその男―――
ニジ・スピアはサングラスの奥で切れ長の目を楽しそうに細めた。
遠くには雪化粧の施された山々、眼科には町のレンガ造りの屋根と動き回る人々(悪魔)の姿。
自分だけが全てを独り占めにしているような……そんな優越感に似た心地よさが胸を満たす。
そんなニジに木下から声がかかった。


「よぉ~ニジ! それが終わったら上がっていいってよ!!!」

見下ろすとこのバイトを紹介してくれたニジの友人達が手を振っていた。


「おー、サンキュ!」


ニジも手を振ってそれに答えると、気を降りる前にソコから見える景色に別れを告げようと視線をこの街の隅々まで走らせた……。
―――その時だった。
彼の眼に一人の少年の姿が留まった。
額にバンダナを巻いている、黒髪の少年。
ラグナ・ウィングだ。
くいくい、と指を曲げ、『こっちへ来い』と言わんばかりの表情でニジを見つめている。
どうやら、昨日の仕返しに来たようだ。


「仕方無ェな……やってやらァ」


パキポキと拳を鳴らしながら、ラグナの前へと。


「……昨日の続き、闘ろうぜ」
「まだ闘る気か? 仕方無ェな~……」


そして、闘いが始まった。
10歳の少年とは思えない程の力で、ニジを吹っ飛ばす。
町から離れている場所なので、町への被害は無いが……。


「うおらァァァァァァァッ!!!」
「チィッ……!」


ドォン……!!!


激しい爆発音が辺りに響き渡る。
拳と拳がぶつかりあっただけで、ここまでの振動。
だが、互いにまだ本気ではない。
あえて言うなら、『練習』と言ったところだろうか。
実際、ラグナの実力は圧倒的にデッドを凌駕するものなのだが……。
その力をなかなか出せないので、こうしてニジに修行をつけてもらっている。
今の所、力の50%ぐらいだろうか。
それから数時間、激しい戦闘を繰り返し、やがて修行は終わった。
タオルで汗を拭きながら、ラグナが町を見つめる。


「今日は祭りがあんのか……」
「あぁ、この町の創立祭だか……そんなんかな?」


自分が働いているのに、その内容は関心が無かったのですっかり忘れてしまっていた。
そしてもう一つ、忘れていたことがあったことにこの直後思い出した。


「おーい、ニジ! そろそろ行くぞ!!!」


少し離れた場所から友人の声が聞こえた―――
そう、友人と祭りに行く約束をしていた事がニジの頭からすっかり抜けてしまっていた……。


「やべっ! あー、ちょっと待ってくれ!!!」


ニジはあわてながらラグナに困ったような視線を送った。
そんな彼にラグナは安心させるように笑った。


「行って来いよ。決着、まだ着いてねェけど……また後で、な?」
「おう」


そして、ニジは友人と共に祭りへと向かった。
それを見届け、ラグナはその辺をブラブラと歩いていた。
祭り、というものに来るのは初めてで、様々な屋台やらサーカスやら、とても賑わっていた。
できる事なら、アリスも連れてきたかったな……と思いつつ、その光景を眺める。
町をブラついていると、ニジが一人でベンチに寝転がっていた。
イタズラしてやろうと思い、ニジの顔面をハンマーで殴りつけた。


「痛ェェェェェェェェェェェェ!!!!!!!!!!!!!」
「ハハッ、バカだ!!」


なみだ目で叫びながら起き上がるニジ。
そんな彼を見て、腹を抱えて大笑いするラグナ。
その楽しい時間は長くは続かなかったが……。
何かが……ものすごい速さの何かが、ここへやって来る気配を感じた。
二人はその双眸を丸くした。
やがて、暗闇の中から彼らのすぐ傍に天から何かが振ってきた―――


「ラグ……ナ……」


弱弱しい声が、落下の衝撃で舞い上がったちりの中から聞こえてきた。
よたよたと身体をふらつかせ……その場に崩れたのはスカーだった。
その姿を見て、ラグナもニジも驚いて目を丸くした。


「スカー……!? 何があったんだよ!?」


二人はスカーに駆け寄るが、その姿に思わず息を飲んだ。
彼の全身はズタズタに切り裂かれていた。
何より一番痛々しいのは、右前足の付け根に刺さっている鋭い巨大な鋼鉄の棘―――
ニジが棘を引き抜こうとそれに手をかけるが、ラグナがそれを制した。
―――無理に抜けば、血が噴出してしまうから。


「オイ、これってリリーの棘か?! お前ら、何やってんだよっ?!」


リリーとは、ラグナの屋敷に住んでいる悪魔……七大魔将軍と呼ばれる者の一人だ。
見た目は幼女だが、力で言えばかなりのもの。
そう、これは紛れも無く身内であるリリーの仕業だった。
しかし、スカーはニジの質問には答えることなく、刺さっている棘にも構わず立ち上がった。
痛みをこらえ、牙を食いしばり、なにやら必死の顔で、ラグナに……親友に向く。
その表情はニジが知っているあの『ゴミ』と呼ばれていたのんびり屋のスカーのものではなかった。


「ラグナ……すまねェ……」
「……スカー、アリスは?」
「アリス? 誰だよ?」


ラグナとスカーの会話に出てくる聞いたことも無い名。
二人はニジに申し訳ないような顔をするだけで答えはしなかった。


「俺が帰ったら、リリー様が勝手に、ラグナの部屋に……。アリスが見つかって……魔王様に……見せるって……俺じゃ止められなくて………本当に、すまねェ」


ポタポタと血と後悔を含んだ涙を流しながらスカーが頭を下げると、ラグナは首を横に振った。


「相手がリリーなら獣人のお前ではどうしようもない。それより、アリスを助けるのが先だ……動けるか?」


スカーは力強く頷き、ラグナを背に乗せた。


「待てよ、何が起きてるんだよ?! アリスって何モンだよ? 助けるって……?」


そんな二人の前に、ニジが行く手を阻んだ―――
ラグナは観念したようにそっと目を伏せ、呟いた。


「アリスは人間だ……。俺の大切な人だよ……!!!」
「なっ……!?」


ニジが言葉にならなかったのは仕方が無いことだと、ラグナは思った。
だって、彼らはあんなにも人間のことが嫌いだったのだから―――

「じゃあな、ニジ……。決着、つけられなくて悪かった」

そう言ってラグナの脱ぎ捨てた黒いコートが風に翻り、司会を覆いつくした。
ニジがそれを払いのけたときには既に、そこには彼の姿は無かった……。
光り続ける星の光……。
一瞬で消えてしまいそうな光。
何も知らされていないニジは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった……。



                     つづく

蝶の自由さに舞う姿に憧れ、それを追う子供……。
まさに俺はそれだった。
空に飛ぶそれを見上げてばかりで、足元を見ることを忘れていたんだ……。
―――もう二度と引き返せない道に迷い込もうとしていたのに。



†第二十一話『産まれる迷い』


ラグナがアリスを助けてから約一ヶ月―――
屋敷に着いてから、死んだように眠り続けていた彼女は、ようやく目を覚ました。
アリスが目覚めて一番最初に見たものは、どこまでも広がる青い空。
身体を起こし辺りを見回せば、彼女は美しい緑の広がる小高い丘に設置された真っ白なベッドに横たわっていた。
吹き抜ける風は何処までも穏やかで、少女の肌や髪を優しく撫でた。
その事にも少女は驚き、自分の体を見回した。
他の人間達に兵器のように扱われ、ボロボロになった肌が元通りに戻っていた。
黒く焦げてしまった、髪も。
呆然と自分に起きている事態に戸惑うアリスの横で、突如何かがうごめいた。
アリスはビクリと体を震わせ、そちらの方へと目をやって、また愕然とした。
―――普通では考えられない大きさの虎が、ぐぅぐぅと大イビキをかいて寝ているのだから無理も無い。


「え……?」
「……ん……? ……って、あーっ!!!」


スカーが目を覚まし、叫びながら勢いよく二本足で立ち上がった。
驚いて身を硬くするアリスには構わず、スカーはできる限りの大声を張り上げた。


「ラグナ!!! 人間が起きたぞォォォォォォォ!!!」


スカーの声は、一見反響するものが何も無いこの空間でこだました。
すると、ベッドのすぐ後ろにそびえていた大木に設置されていた扉がぎぃぃっと音を立てながら開いた。

「そんなに大声で叫ばなくても聞こえてるっつの……。やっと目ェ覚めたか」

「アンタ……誰………?」


いきなり目の前に現れた自分より年下と思われる少年。
何故、自分がここに居るのか。
そんな疑問が、浮かんでは消え、浮かんでは消える。
戸惑いを隠せないアリスの頭を、ラグナは優しく撫でた。


「……お前、あの男達に何されたんだ?」
「え? えっと………言えない。ってか、言いたくない………」
「……そっか。まァ、安心しろ。俺達は、お前の味方だ」
「……うん」


そんな事を言っているうちに、二人と一匹の生活が始まった。
スカーは、初めはアリスを少し嫌っていたが、時が経つにつれて馴染んでいき、自然と『友達』と呼べるような間柄になった。
そして、三ヵ月後の今に至る。


「なァ、アリス……」
「……ん?」
「俺、ちょっと今日は用事あっから、猫の姿で待っててくれねェか?」
「ん? あぁ、わかった」
「じゃあな、行ってくる」


正装に着替え、シルクハットをかぶって外に出て行った。
今日は、ラグナの十歳の誕生日。
まぁ、自分で主催したのだが。
と、いうわけで魔界中からいろんな者達が集まっている。


「おー、いっぱい集まってんな~」


服装に合わない言葉を発しながら会場へ。
知っている顔も、知らない顔もいっぱい居る。
これだけの人に祝ってもらえるのは、結構嬉しい。


「くっそ~! また負けたァ~!!!」
「ハハッ、ラグナ。お前、いつになったら俺に勝てんだ?」


ラグナは、目の前に居る青色の髪の悪魔と組み手をしていた。
彼の名は、ニジ。
昔からよく遊んでいる仲だ。
だが、ラグナとは違い、人間を激しく嫌っている。
でも、それが悪魔として当たり前の反応。
何でかは知らないけど、人間を昔から嫌っている。
その理由は、誰も教えてくれない。
きっと、俺の半分に人間の血が流れているからだろう。
まぁ、どーでもいいんだけど。


「……なァ、ニジ」
「ん?」
「もし、俺が半分悪魔じゃなくて、完全に人間だったら……どうしてた?」
「……変わらねェよ。『友達』だろ?」
「……サンキュな」
「あぁ……、でも、何でいきなりそんな事を?」
「いや、なんとなく……悪ィか?」
「別に」


コーラを飲みながらそんな会話をする二人。
気がつけば、時計は既に夜中の3時を指していた。
もう、アリスは寝ただろうか……。
そそくさと、その場から立ち去ろうとしたが、ニジに呼び止められた。


「どうした? 逃げんのか?」
「……別に。眠くなったから、部屋に戻るだけだよ」
「へェ~……。ま、良いけど」


ニジとしばらく話した後、ラグナは立ち上がり、ステージの上に上がった。
そして、『コホン』と咳をし、息を整えて皆に聞こえるように言う。


「本日のパーティはこれで終了とさせてもらう。まだホールは開放しておくので、しばらくはそのままでも良いが、もし泊まっていくのであれば先に申し出てくれ、案内させる」


自分達よりも頭数個分も違う少年の言う言葉に、大人たちは迷うことなく従った。
泊まっていこうと考えた者達はすぐに申し出て、ボーイやメイドに部屋へと案内してもらっている。
その他の者も、ラグナや彼の祖父……魔王に挨拶をしてから帰って行った。
それを見届け、自分の部屋へと走った。
勢いよく扉を開けると、そこにはスヤスヤとアリスが寝転がっていた。
猫の姿ではなく、ちゃんとした人間の姿で。
扉の先は時刻に合わせて今にも振り出しそうな星たちが天に輝いていた……。
そして、スカーに振り返る。


「なァ、スカー……」
「何だ?」
「俺が今、この『人間』を殺すと言ったら……どうする?」


低い、感情の起伏を見せない声で静かにたずねると、スカーのとろんとしていた目が瞬時に見開かれた。
何も難しいことではない。
ただ一瞬願えば良い、この人間の死を……。
戦争と同じなら、相手の大将を倒して勝利―――
敵を前にしたら、ただ壊せばいい。
そう言い聞かせると、身体を巡る血の温度をどこまでも下げれるような気がした。
ラグナは静かに、光のともらない瞳を開き、少女へと向ける。


「……スカー、答えろ」


静かに、だが鋭い口調で言われ、スカーはビクッと尻尾を立てた。
ラグナを取り巻く殺意―――
今は押し殺すように内に秘めているものの、人間より感覚の鋭い獣であるスカーにとっては、自分が今にも殺されるのではないかと錯覚するほど鋭利だった。


(ラグナは本気だ……)


スカーはゴクリと音を立てながらつばを飲み込んだ。


「―――ラグナの好きにすればいいと……思う」


スカーは静かに、かかれたことをそのまま読むような声でそういった。
その答えに、ラグナは少女に向けていた深い色の瞳をスカーに向けた。
耳から尻尾まで、全てをしょんぼりと下げてうなだれるその姿は、言葉よりも雄弁に彼の心情を物語っていた。


「俺の好きに……か、お前はそれで良いんだな?」


念を押すように尋ねると、彼は何も言わずコクリと頷いてみせた。
思いを殺し忠実になれる……。
そういう意味では、スカーの優秀な駒だ。


「……ならばそうするか」


そう言ってラグナは静かにベッドから立ち上がり―――
そしてそのまま扉へ向けて歩き出した。
そんなラグナの背中を、スカーはポカンと見ていた。


「殺さねェのか?」
「……好きにしろっつったのはお前だろ? もう眠いから、寝る」


そういうと口に手を当てあくびをしながら、ラグナは扉のノブに手をかけた。


「……お前は寝ないのか? スカー」


扉の前で振り返り、戸惑ったままの自分の名を呼ぶラグナ。
その光景をスカーは知っていた。
殺されそうになる彼を助けてくれたときとまったく同じだった。


「ん? あ、あぁ……寝るよ」


スカーは嬉しそうに尻尾を振りながらラグナのあけている扉に飛び込んだ。
そんなスカーに苦笑しながら、ラグナは眠る少女をもう一度見た。
そして、スカーの頭をつかみ、言う。


「なァ、スカー……。俺、親父と同じかもしれねェ」
「と、言うと?」
「……アリスの事、好きだ」
 
現在の時刻、深夜四時……。
夜明けが迫る空には、満点の星空が輝いていた……。


                           つづく

―――現代、ラグナの精神世界―――


「……」
「何か思い出したか?」


幼少期のラグナが現代の彼に問いかけると、彼は頭を掻きながら


「ちょっとだけ、な」


と、呟いた。

『ちょっとだけ』……それはウソだ。
もう、半分ほど思い出してきている。
だが、それが真実かどうか、見極められずに居る。
本当に俺の記憶が正しいのなら、サディークの目的は……!


「んじゃ……続き、見るか?」
「あぁ、頼む」



―――六年前、魔界―――


アイツは俺を助けてくれた。
『獣人らしくない』、『クズ』といわれて、仲間達に殺されそうになっていた俺を。


『……面白ェから』


アイツの爺ちゃんやデッド、他の悪魔達は驚いたり、呆れたりしていたけど……。
―――アイツはそれ以上は何も言わず、ただ黙って部屋に入れてくれた。
……うれしかったんだ。
助けてくれたことや、初めて『友達』と呼べる者ができたことが。
それに、アイツは俺と一緒に修行してくれた。
もともと圧倒的な力を持つ、王族の一人なのに。
だから、アイツは俺の最高の友達だ。
だから、恩返しにならないかもしれないけど、アイツの望む事は全部手伝って、叶えてやりたかったんだ。
そう、どんな願いでも―――









†第二十話『裁きの杖が示した結末』



―――三ヶ月前、人間界―――


「……そろそろ帰るか、スカー」
「そうだな。こんなに寒いと気持ちよく寝れねェし」
「いや、違うから。爺ちゃんもそろそろ戻る頃だろ? 黙って出てきたしな。心配させたくねェ」


あくまで寝る事に執着するスカーに呆れつつ、ラグナはスカーの背に乗ろうと、手を置いた。
だが、何かに気がついたのか、ラグナは厳しい視線で先ほど見下ろしていた景色の方へと振り返った。


「ラグナ? どうかしたのか?」
「―――気がつかねェのか? スカー……」


ラグナの静かな声に思わずドキッとして辺りを見回すが、なんの事かわからなかった……。
それでもボケボケしている頭を一生懸命働かせて、ラグナが鋭い視線を向けている方へ向き直った。
そこには紅く染まった空と、山々が広がっているのみ―――
……スカーはやっとそこにとても不自然な光景が広がっていることに気がついた。


「ラグナ……空が……紅い………ぞ………?」


そう、太陽は地平線の彼方へと沈んだというのに、まだ空は血の様に紅く染まっていた。


「たまには遠くまで行くのもいいかもな……」


ラグナはその幼い顔に鮮烈な笑みを浮かべた。
一人と一体が静かに見つめる空に、何か雷のようなものが見えた。
周囲を取り囲む悪魔や獣人を、一気に打ち滅ぼす雷。


「ラグナ!!! あれ!!?」


スカーが爪で指し示しながらパニックを起こしたように叫んだ。


「俺も、あんな魔法見るのは初めてだ……」


そんなスカーとは違い、ラグナはどこか驚きを含んだ目でそれをにらみつけていた。
悪魔達が恐怖の叫びをあげた。
ビリビリと大気が震える―――
何か巨大な力が、その中心に溜まっていくのを感じた。


「来るぞ」


そう一言、ラグナは静かに呟いた。
何の事かと巣亜k-がラグナのほうへと一瞬視線を動かした、次の瞬間―――
網膜が焼けるかと思うほどまぶしい光が白羽となって赤い空を切り裂き、隣にそびえていた山もろとも悪魔をかき消した。
そして一瞬遅れてやってきた猛烈な爆発が、木々を、岩を、近隣の山々を瞬時に粉々にし、巻き上げ、全てを蹂躙した。


「―――な……なんだよ……あれ……?」


ラグナをかばうように覆いかぶさっていたスカーは呆然と呟いた。
そして悪夢を見ているのかと、自分の頬をつまんだ。


「―――魔法だ」


タキシードについた埃を叩き落しながら、ラグナは言った。
それから、静かに辺りを見回した……。
ラグナの好きだったあの雄大で美しかった大自然……。
神々の芸術とも呼ばれたそれは、いまや無残な……地獄ナ様な光景となって、そこに広がっていた。
燃え上がった樹木が空を血のように紅く染め上げ、そこに暮らしていた悪魔や獣人の死体は灰となって空へと舞い上がる。
ラグナの小さな身体に蒼白い殺意がみなぎった……。
その殺意に気がついたのか、小さなシルエットがその身体をこちらへと向けた。
再び、その両手に光が集中する。


「ラグナッ! 下がれ!!!」


スカーが叫ぶと同時に目の前のシルエットがエネルギー波を放ってきた。
スカーは地を蹴り、ラグナの前へと出ると立ち上がり、盾となるように両手を広げた。
まだ何百メートルと離れているはずなのに、全身の血が沸騰してしまいそうなほど熱い―――
圧倒的な攻撃を前に、スカーは皿のように大きな目をぎゅっと瞑った。
だが、いつまで経っても思ったような衝撃は来なかった……。
恐る恐る目を開けば、すぐ目の前で、巨大な光はそこに阻む壁でもあるかの如く、飛沫を上げながら反対側へと跳ね返っていた。


「―――下がるのはお前だ、スカー」


背後から冷たい声が聞こえた。
スカーが振り返れば、ラグナが人差し指で光を指し示していた。
そのまま指をくいっと曲げ、天を指す。
次の瞬間、シルエットから放たれた光はその起動を捻じ曲げられ、まるで打ち上げ花火のように天へと上っていった……。
助かったことに、スカーは緊張の糸がほぐれその場にぺたんと座り込んだ。


「友達が傷つくのは見てらんねェ。つか、お前は盾にもならねェ」
「……悪ィ」


きっぱりと言い放たれ落ち込んだのか、スカーは猫のようなキツネのような、その大きな耳をへにょりと下げた。
ラグナは、そんな彼の背をポンと叩いた。


「俺の盾なんかになるより、お前には他にやってもらいてェ事がある」
「何だ?」


その一言で『ぴょこん』と垂れ下がった耳が嬉しそうに跳ね上がった。
ラグナは視線でその背後を指した。
示した方角へとスカーが視線を送ると、がさがさと茂みを掻き分けて何かがこちらに向かってきていた―――
そして、そこから大きな荷物を背負い、白いコートに身を包んだ三名の人間が飛び出してきた。


「……!!? 何故こんな所に魔獣がっ!?」


先頭に立っていた若い男は、虎の様な、明らかにこの世の生き物ではないオーラを感じ取って叫んだ。
『魔獣』という単語に、後ろに続いていた他の二人もすばやく反応した。
『獣人』は、普段は人に近い姿をしているが、移動等の時は獣の姿に変化する。
それが、『魔獣』だ。

「くそっ! 任務変更、実験体の『監視』は後回しだ、その少年を助けるぞ!!!」

どうやら、ラグナがスカーに襲われていると勘違いをしているのだろう。
リーダー格と思われる男が叫び、三人はすばやく背中の荷を降ろした。
そして、その中から杖を取り出した―――


「炎波―フレイム・ブレイザー―!」
「水斬―ウォーター・スラッシュ―!」
「木槌―ウッド・ハンマー―!」


三種類の魔法が、スカーに襲い掛かった。
スカーはそれをよけながら人間を睨む。


「君、早く逃げるんだ!」
「ここは我々が食い止めるから!!!」


男達が、ラグナに向かって叫ぶ。
だが、当然ラグナは動くはずが無い。
蔑むような視線をただただ、男達に送るだけ―――


「さぁ、こっちへ! 早く!!!」


痺れを切らした若い男が、攻撃をよけているスカーの脇を潜り抜け、ラグナの少し筋肉質な腕を捕まえた。
……と思った。
だが、男脳では肘からその先がラグナの触れる前に消滅していた。
痛みを感じることは無かった。
まるではじめからそこに腕は無かったように、綺麗になくなっていた―――
呆然と腕を見る男。
そんな彼の耳に、氷のように冷たく響く音がした。


「―――こんな女の子を酷い目に合わすような奴が、そのきたねェ手で俺に触れるな……」


若者は、そのとき初めて気がついた。
この少年の瞳の禍々しさは、人間のものではないと―――


「た……隊長!!! このガキは―――」


若者が言い終わる前に魔法が霧のように消えうせ、スカーが飛び出した。
スカーはまるでボール遊びをするかのように、ラグナの傍に居た彼の首を軽く爪で弾いた。
それだけの事だったが、若者の頭は首から離れ、綺麗な放物線を描き彼の仲間の足元へと転がった。


「ひっ!」


青年が短い悲鳴を上げた。
落ちた東部と残された身体は見る見るうちに消えていき、完全に消滅した。


「ラグナ? さっき俺にして欲しいことって言ってたのって……」


スカーはぺろぺろと爪に付着した血を舐め、のんびりとした口調で尋ねた。


「あぁ、このクズ共を始末しとけ……」
「オッケ~!」


片腕を上げてスカーは無邪気な声で返事をした。


「他にも近くに数名潜んでる……一匹たりとも逃がすなよ」
「やった、飯だ!!! 腹満ぷくで眠るのって幸せなんだよな~……あれ? でも、ラグナは?」


首をかしげるスカーに、ラグナは指でそれを指し示した。


「あれと少し遊んでくる」


指し示したのは、男達に『実験体』と呼ばれた少女だった……。


「一人で大丈夫か?」


心配そうな顔をするスカーを、ラグナは鼻で笑った。


「俺を誰だと思ってる?」


シャラン……


鈴の音のような音がした。
いつの間にか、ラグナの手には王や司祭が持つような装飾の施された、彼の身の丈より長い杖が握られていた。
紅い空を背に、漆黒の髪を風になびかせる高貴な姿―――
スカーは礼儀正しく頭を下げた。
普段は同等に接していたが、これでも魔界の次の王かもしれない奴……それがラグナだ。
その事を今更思い出し、頭を下げたまま口を開く。


「魔界の次の王……ラグナ・ウィング様です」


そう言ってスカーに、ラグナはニッと笑った。


「すぐに戻る」


シャラン……


ラグナが杖を振るうと、周囲に光が溢れた―――
スカーが眼を開けたときには、すでにその小さな姿はどこにもなくなっていた。
残されたスカーは僅かに心配そうな顔をしたが、自分が彼の心配をしても仕方が無いので、すぐにやめた。


「それじゃ、早く飯を済ませて、ラグナが帰ってくるまで待っとくか」


スカーは眠そうに言うと、援軍を呼ぼうとしている残った二人の男達にゆっくりと歩み寄った。
そのグリーンの瞳を僅かに細くして……。


少女は次々とこの大地を焼き払っていた。
―――その姿は、どこか苦しみに悶え、暴れているだけのようでもあった。


「うあああああぁぁ……」


身体の大きさや骨格からして、恐らく十歳前後の少女―――
だが、それを思わせるような可愛らしい姿はどこにもない。
病的なまでにやせ細り、皮膚は重度の火傷で腫れ上がって赤紫色に変色してしまっている。
苦痛に歪ませた顔はひび割れたようになっていた。
その者は紅くそまった瞳に憎悪の色を浮かべ、血の涙を流し、唇をただひたすらに動かしていた。


「おぉおぉぉ……」


荒れた唇から出る音はやはり言葉にはならない。
だが、その唇の動きはずっと一つの言葉をつむぎ続けていた―――


―――『呪われろ』

「……何に対して言ってるんだ?」


突然気配が生まれ、その者は驚いた表情を見せた。
いつの間にか漆黒の髪と黒いタキシードを羽織った一人の少年がすぐ目の前に立っていた。


「お前をそんな姿にした人間共か? ……それとも、お前を見捨てた『仲間』か?」


ラグナは哀しげに呟き、少女へと歩み寄った。
凄まじい殺気をこちらへ向けてくる少女。
こんな幼い子供まで、悪魔と戦わせる人間とは、なんと酷い種族だろうか。
手にした杖でその者の頭に触れた。
相手に敵意が無いと知り、少女が眼から紅の涙を流す。
ラグナはゆっくりと眼を瞑り、彼女の頭をそっと撫でる。
杖が光を放つ。


「……この杖は『裁きの杖』。その名の通り、相手を裁くための杖だ。でも、お前は裁かれなかった。だから……俺が助けてやる」


ラグナが優しく少女に言い放つと、血の涙を流していたその瞳から、静かに銀のしずくが零れ落ちた―――


(笑った……?)


驚きに眼を見開かせるラグナの耳に、少女が囁いた。


「タスケテ……クレ……ルノ……カ………?」


それは風に容易く攫われそうな程小さな声。
先ほどまで音を漏らすだけだったその唇から、彼女は自分に問いかけてきた。


「……大丈夫、安心しろ。俺がお前を……救ってやる―――」


だが、彼女の身体が突然光り始めた。
魔力の暴走だ。
今にも彼女の半径百メートルほどが灰になるだろう……。


ドォォォォォォォォォンッ!!!


凄まじい爆発音と共に、あたりが灰と化した。


「ラグナ……」


心配そうにグリーンの目を潤ませてスカーは人間達の残骸の横でその光景を見ていた。
すると、スカーの背後で光が煌いた。
ラグナが戻ってきたのだ―――


「ラグナ!!!」
「あぁ……待たせたな、スカー」


ごろごろと転がる死体をよけながら、ラグナは何かを抱えてきた。
それはけして小さいものではなかった、むしろ抱えているラグナよりも大きいものだった。
ラグナが近づいてくるにつれ、それが何なのかわかり、ぎょっとした顔でラグナを見つめた。
それは先ほどの少女だった……。


「え……ラグナ? 俺、もうこれ以上食べると、気持ち悪くなって寝れなくな……」
「誰がお前の餌っつったよ。……連れてかえる。死に掛けてるから、慎重に運んでくれ」


そう言ったラグナに、スカーはぽかんと口を大きく開いた。


「え? え? 俺、夢見てんのか???」


ぎゅうぎゅうと頬をつねるスカーにラグナは深いため息を吐いた。


「悪い夢と思いたいのはこっちだっつの……まさか、あそこまで暴れてた奴を、助けちまうなんてよ」


本当に深々とため息を吐き、ラグナは戸惑うスカーを四つんばいにした。
そして火傷やら何やらで瀕死の状態の少女をその背に乗せた。


「爺さんには何て言うんだ?」
「爺ちゃんには内緒だ」
「……了解」


スカーはそれ以上何も言わず頷くと、背中のものに気を使いながらラグナが作り出した魔界へのゲートをくぐり、屋敷へと向かった。


「……お前、名前は?」
「………アリス。アリス・フォーチュンシンガー………」
「名前なっげ……。アリスで良いだろ?」
「………うん」


少女がボロボロの唇から言葉を発するのを見、一人と一匹は屋敷へと走る。
これが、ラグナ、スカー、アリスの三人が出会った日……。
六年と、三ヶ月前の事である


                               つづく                                             

ラグナの『死』……。
それを、未だに信じない者が居た。
そう、イフリートの担任であり、ラグナの育て親のバンだ。
バンは、彼の事を実の息子のように扱っていた。
そして、彼もまた、バンの事を父親の様に慕っていた。
何故、こんな所で消えてしまった……。
そんな言葉が、何度も浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
もし、本当に彼が死んでいたとしても……バンは、その死を受け入れないだろう。


「……バカ息子が」

ガン! と壁を殴りつけて呟いた。
その背後には、レイが。


「……落ち着いてよ、バン。大魔道師様……校長だって、サディーク君の事で頭がいっぱいなんだから……」
「わかってる……。でも……。ッ!!!」


一瞬だけ感じた、熱い炎。
どっかのバカ息子の様な、燃え滾る炎の魔力を、バンは感じた。


「バン……?」
「……気のせい、か」


一方その頃、龍達は要塞へと到着していた。
あのバーナードやレンが苦戦した相手。
そして、ラグナを殺した相手。
それらを倒すため、サディークを魔法学校に連れて帰るため、ここへ来たのだ。
自分達の親友の、願いを果たすために―――







†第十九話『それは幸せの日々の一片』


その手には、黒リボンできっちりと包装された大きな箱。
黒いタキシードに身を包んだ少年が、古い館の薄暗い廊下を歩いていた。
友達に贈る為に用意したその品―――
その贈り物を見て、はふーっと小さくため息を漏らした。


(こんなもんで、アイツが許してくれるかね……?)


そんな事をぼんやりと思い、この廊下の先に居るその人物の顔を思い描いてまたため息を吐いた。


「やってやらァ……」


窓に映った情けない顔をしっかり引き締め、少年はとめていた足を再び動かした。
思い足取りで歩いているというのに、目的の場所にはあっという間に着いてしまった。
少年は息を吸い込み、ドアをノックしようとした。
……とその時だ。


ぶみ


硬い靴底のそこで何かやわらかいものを踏みつけた。
少年は……まぁ大体何を踏んだのか判っているのか、静かに視線を移した。
ソコには少年が予想したとおりのふさふさとした長い尻尾があった。
少年はあきれた様子でその尻尾の元へと視線を移す。
そこには小さな黒猫が居た。


「……アリス、お前なァ……」


少年は猫の尻尾をつかみ上げ、部屋へと入った。
先ほど喧嘩した相手……もとい、猫が目の前に。
これでは、何のためにわざわざプレゼントを用意したのかわからない。


「あれぇ……? ひょっとして、ラグか……?」


『アリス』と呼ばれたその生き物は、まるで人間のように上体だけ起こした。
そして、ごしごしと目を擦りながら少年を見上げ、のんびりとした口調で話しかけた。
『ラグ』と呼ばれた少年はその場にしゃがみこみ、その生き物と視線を合わせた。


「お前さ……寝るのがすきなのは良いけど、こんな所で無防備に寝てるなよ? 仮にも人間だろうが」


本当にあきれたと言わんばかりの視線を受けても、アリスはそれを無視したかのように笑った。


「あー……悪ィ悪ィ。なんせ今日は太陽の光が気持ちよくて、部屋に入る前に寝ちまった」
「ったく……」
「んで、その箱は? さっきのお詫びか?」
「こういう事にはがめついんだな……」


あきれたように『ラグ』と呼ばれた少年が呟き、ため息をはきながら箱を開ける。
その中には、豪華とはいえないが、銀色のネックレスが入っていた。


「誕生日だろ、今日。っつーわけで、買ってきた」
「へェ……魔界にもこんなもん売ってんのか。つか、あたしがシルバー好きってよくわかったな?」
「見りゃわかんだろ、普通」
「そうか?」
「あぁ」


などという会話をした後、ラグは猫を抱きかかえて部屋に入った。
因みに『ラグ』というのはアリスが彼の事をこう呼んでいるだけで、本名は『ラグナ・ウィング』。
魔界の次世代を担う少年だ。


「んで? アイツはどうした?」
「あぁ、アイツなら部屋の中にいるよ。……会うか?」
「おう。久しぶりだしな、アイツに会うのも」
「オッケー」


アリスが扉を開き、ラグナが後に続く。
そこには、緑色の髪の少年が。


「よー、スカー!」
「おぉ、ラグナじゃねェか!!! 久しぶりだなァ!!!」


久々に会う友と友。
悪魔と獣人と人間……。
種族は違うが、3人はとても仲が良い。
だが、獣人ならまだしも、人間が魔界に居るという事は許されないことなのだ。
だから、アリスは猫の姿をしている。
まぁ、彼女が魔法で失敗してこんな姿になってしまう魔法を自分にかけてしまっただけなのだが……。
そろそろ、元に戻る頃だろう。
この部屋には、ラグナが『立ち入り禁止』と言ってあるので、屋敷の者は誰も入ってこない。
まだ9歳だが、それほどの権力者だ。


「んで? スカー、今回の収穫は?」
「あぁ……魔界の獣共(魔獣)の胸骨と、クレアの里の宝刀だな」
「うわっ! スゲェ!!! 超カッケェじゃん、コレ!!!」


ラグナが宝刀を見て声を上げる。
そんな彼の後ろで、アリスがのんびりとベッドに寝転がっていた。
スカーが他の収穫物を出そうとした、その時……。


ぼんっ


その音が鳴った方を向くと、そこには綺麗な少女が。
そして、即座にその少女が二人の顔面を蹴った。


「ぐへっ!」
「バカラグ!!! あたしが元に戻ったときは、見んなっつったろーが!!!」
「はぁ!? テメェが勝手に元に戻ってんだろーが!!!」
「うるせェよ!!! ったく……猫から人間に戻るとき、都合よく服着てるわけじゃねェんだからな? 基本裸だぞ、あたし」


と、12歳の少女にはあるまじき発言をした後、アリスが服を着た。
こんな光景を屋敷の者に見られたら、かなりの罰が下るだろう。
因みに、スカーの種族『獣人』とは魔界に居る悪魔とは別の種族で、結構温和だ。
戦闘のプロも集まっているが……大半がバカである。


「っと、そろそろ行くか? あの場所に」
「おう! 今日は日当たりも良いしな」
「んじゃ、行くか」


ラグナとスカーがアリスを大きな袋に入れ、外へ飛び出した。
向かう先は、屋敷からも町からも離れた所にある、巨大な木。
彼らが出会った場所であり、それ以後も彼らが集う場所だ。


「……アリス、俺らが出会った時の事、覚えてるか?」
「当たり前だろ? ほんの三ヶ月前なんだし」
「ハハッ、それもそうだな」


三人がその場に寝転がりながら呟き、空を見上げた。
いつまでも、こうして三人で居られるのだろうか……。
と、思いを馳せながら。


「……そろそろ戻るか。爺ちゃんたちが帰ってくる頃だしな」
「おう。んじゃ、また明日遊びに来るぜ! じゃあな、ラグナ! アリス!」
「あぁ、また明日な~!」


そう言って、少年と少女は別れた。
アリスは猫へと変化し、何事も無かったかのようにラグナと共に屋敷へと戻る。
屋敷に入ると、ラグナの祖父と、兄……デッドが居た。


「よう、遅かったな」
「悪ィか? 少し出かけてたんだよ」
「別に? 誰も悪いとは言ってないだろ」
「うるせェよ、クソ兄貴」
「黙れ」
「あ?」


今にも喧嘩が始まりそうな二人を、アリス(猫)がとめた。


「にゃ!」
「……チッ」

「じゃあな。俺は部屋に戻るぜ」

そして、去り際に祖父へと振り返る。
近づいているだけで倒れそうなぐらいのおぞましい魔力。
ラグナは、一刻も早くこの場から離れたかった。
因みに、ラグナはデッドからかなり虐められていた。
何故なら、デッドは悪魔と悪魔の子供、ラグナは悪魔と人間の子供だからだ。


「……ラグ、大丈夫か?」
「………え、何が?」


いきなり話しかけられ、ビクッと反応してアリスの方を向く。
その表情は、どこか哀しげだった。


「うぅん……何でも無ェ」
「そっか」


そう呟き、部屋の扉を開けた。
眠るようにベッドへ倒れこんだ。


「ラグ……おやすみ」


アリスもまた、彼に抱きつくようにして眠りに着いた。


                      つづく

「さて……ラグナとレンは? ってか、アンジェリカ。貴女、二人と一緒に行ったはずでは?」
「だ、だって……バーナードの事、放っておけなかったから……」
「そうですか……ありがとう。あ……さっきの返事、いつでも良いので……」
「ふぇ!? あ……う、うん」


ラブラブな雰囲気を漂わせている二人の背後に、一人の影が。
そう、レン・ライトだ。
だが、彼の体は既にボロボロで、血まみれになっている。


「レン!? 何があったんですか!?」
「その血は……!?」
「二人とも……落ち着いて聞いてくれ………。ラグナが……死んだ」
「!?」
「いや、正確には消された、というべきか……。ともかく、撤退だ。途中でさっき起きた事を話すから、ついてきてくれ」


レンが放った言葉に、二人が硬直する。
しばらく口をぽっかりとあけながらその場に立ち止まった。


「……俺の所為なんだ、ラグナが消えたのは」
「え……?」







†第十八話『死』









それは、今から数十分前のこと。
アンジェがバーナードを助ける為にラグナ達から離れた後のことだった。


「……で、これからどうするんだ? ラグナ」
「決まってんだろ? サディークをぶん殴って、魔法学校に連れて帰る」
「オッケー……。俺も手伝うよ」
「んじゃ、行くか!」
「おう!」


そういって、二人は歩き出した。
巨大な要塞の、奥へと……。
その時、目の前に小さな少年、エンドと、怪しい仮面の人物が現れた。


「久しぶりだね、兄さん」
「エンド……!!!」


エンドがレンに微笑みながら言う。
その笑みには、どこか黒いものを感じられずには居られない。
何か、とてつもなくドス黒いオーラを……。


「久しぶりの再会、と言いたいところだけど……死んでもらうよ? 僕らの……サディーク様の、野望(ゆめ)の為に」


エンドがニヤリ、と笑みを浮かべ、レンに近づいた、その時だった……。
ラグナがレンを突き飛ばし、エンドの攻撃をモロに食らう。
そこに仮面の男が追撃を加えると、ラグナの体は少しずつ消えていった……。


「ラグナ……!?」
「悪ィ……サディーク連れて帰んのは、無理っぽい………。っつーわけでよ、アンジェとバーナード連れて、ここから逃げてくんねェか? ルウ達によろしく言っといてくれ……よ………」


サァァァァァ、と光の中へ、目の前の友達が消えていく。
知らず知らずのうちに、レンの双眸からは涙が流れていた。
すぐさまその場から駆け出し、エンド達の攻撃を何発か食らうも、アンジェ達のもとへたどり着いた。


「ってわけだ……」
「ウソ……ウソだよ………。死ぬわけないじゃん、あのラグナが……」
「そうですよ!!! 世の中には、ついていいウソとついていけないウソだって……」
「こんなウソ、言うはず無いだろ!? 本当の事なんだよ!!! 友達が消えたなんてウソ、つくはずないだろ!!!」
「……ごめん」
「すみませんでした……混乱してて……」


レンがブチ切れ、二人に大声で叫ぶ。
そんな彼の声で全てを理解し、二人が謝罪した。
しばらくの沈黙……。
ラグナが助けてくれたこの命を無駄にしないためにも、一刻も早くここから逃げなきゃいけないって、わかってるのに……。
逃げられない……。
足が動かない……。


「……ここで立ち止まってては、敵のおもうツボです。帰りましょう……魔法学校へ」
「……ああ」
「うん……」


三人が、ボロボロの体を動かし、箒に飛び乗って魔法学校へと向かった。
そして、その後……ラグナの魔力がこの世界にも、魔界にも存在しない事から、彼の死が確定された……。
泣き叫ぶ者は後を絶たない。
ソウが死に、ラグナが死に……。
魔法学校の者が、次々と消えていく。
そんな中、龍が目を覚ました……。


「……そっか。アイツ……俺より先に、逝っちまったか………」
「……うん」


ルウからラグナの事を聞き、寂しそうに呟いた。
自分の最高の友であり、最高のライバルであったラグナが死んだ。
その事実は、他の誰よりも重く、龍の心に突き刺さった。
だが、ここでへこたれていては、死んでしまった友に顔向けできない。


「……悪ィ、ルウ。ちょっと、出かけてくるわ」
「私も行くよ……龍の行く場所、わかってるから」
「……死ぬかもしれねェんだぞ?」
「それでも行く。もう、こんな思いするのはイヤだから……」
「……わかった」


龍が頷くと、二人は箒に飛び乗って、深夜の魔法学校を抜け出した。
この時間帯になら、先生に止められる事も無い。
龍とルウが外に飛び出すと、背後からついてくる影が。


「先生か!?」


驚いて振り向くと、そこにはルセアと雪が。


「ルセア、お前……」
「大丈夫だよ……。友達が居なくなったってのに、いつまでも落ち込んでたら顔向けできないでしょ?」
「……うん」
「では行きましょう。私達が……サディークを……倒すんです。兄上の仇をとるためじゃなく、彼を正気に戻すために」
「おう!」


少年らは、飛び立った……。
友の思いを、果たすために……。


―――同時刻、とある場所―――


「まだ消えてなかったのか、俺……」


もはや全身の色素が薄くなった状態で、その場に立っているラグナ。
辺りを見回せば、一面の花畑。
あぁ、ここはあの世か……そんな感傷に浸っていると、突如激しい頭痛が彼を襲う。


「ッ!!!」


頭を抑えてその場に倒れこむと、目の前に幼い頃の自分らしき人物が。
そうか、ここは自分の精神世界……そう悟ったラグナは、目の前の小さな自分に話しかけた。


「……お前、昔の俺……だよな?」
「あぁ」
「じゃあ……俺の10歳以前の記憶とか……知ってんのか?」
「当たり前だろ? え、お前記憶無ェの?」
「……あぁ」


自分と話しているのは、独り言のような気がして結構恥ずかしい。
だが、せっかくの機会だ。
自分の知らない、いや、忘れた過去を聞くのも悪くは無い。
ここから出る方法もわからないし。


「んじゃ、今からその映像見せるから……見てろよ?」
「お、おう」


                                つづく