[本]

「百年文庫(4):秋」(2010年ポプラ社171p)

志賀直哉「流行感冒」(1919)

正岡容「置土産」(1941)

里美弴「秋日和」(1960)

の3篇を収める。

「流行感冒」

家中の人間が風邪でダウンしたら、日ごろ信用できない言動から追い出そうと思っていた女中が甲斐甲斐しく看病してくれたので、態度を手のひら返す「私」。

大昔に読んだはずだけれど、内容は全く忘れていた。背表紙の解説では『神経質な主人と家人のやり取りが温かい』とあるが、作者の分身な語りの性格の悪さだけが残る。

他の二編は季節を明確に秋としているが、本作はそこまで秋感はない。

※2022/04/21 追記 

この流行感冒とは「スペインかぜ」のこと。世界が再びウイルスの脅威にさらされた今日、本作も百年前の貴重な史料として注目され、先日NHKでドラマ版が放送されたのも記憶に新しい。

「置土産」

生活はハチャメチャながら芸は確かな講釈士と、彼に師事する弟子の話。

床に伏せった師匠が、七匹の猫を演じ分ける十八番芸を弟子に伝授する下りがハイライトだが、何度読み返しても六匹しか出て来ない。

「秋日和」

画家の夫に先立たれ一人娘と姉妹のように暮らす未亡人に、夫の友人な男たちは良い相手を紹介しようとするが……。

小津安二郎の映画版で知られている一編(未見)。

登場人物間を行ったり来たりする一人称の語りが、古くささを感じて辛かった。

「俺ア」「実ア」「まア」「なアんだ」、日本のクラシックな小説にありがちだが、「ア」がうるさすぎる。

 

(2021/01/31 記)

 

「百年文庫(5):音」(2010年ポプラ社165p)

・幸田文「台所のおと」(1962)

・川口松太郎「深川の鈴」(1954)

・高浜虚子「斑鳩物語」(1907)

の3篇を収める。

「台所のおと」

床に臥した料理屋の主人が、代わりに店を切り盛りする妻の立てる物音から日々彼女の調子を推し量りながら、前妻や前前妻の思い出にふける一方、彼の余命がいくばくもないと医師から聞かされている妻は敏感な夫に気取られぬよう平静を装う。

「深川の鈴」

講釈師の師匠の手伝いをしながら小説家を目指す男が、師匠の薦めで洲崎の寿司屋の子持ち後家と同棲しながら作家の修業に明け暮れるが、彼の戯曲が懸賞に選ばれ作家の道が開けたとき、女は男の元を去って行く。

舞台の洲崎は、今の木場と東陽町の間あたり。同種のアンソロ「日本文学100年の名作」でも登場して(芝木好子「洲崎パラダイス」)、作家には魅力的な色街だったらしい。

「斑鳩物語」

法隆寺にほど近い宿を求めた男が、宿の手伝いで働く少女のことが何となく気になり、夜、彼女が立てる機織りの音にも心が惹かれる。

この巻はテーマ通り、「音」を効果的に用いた作品が並んだ。

 

(2021/02/05 記)

 

 

「百年文庫6:(心)」(2010年ポプラ社153p)

・ドストエフスキー/小沼文彦訳「正直な泥棒」(An Honest Thief By Fyodor Dostoyevsky1848)

・芥川龍之介「秋」(1920)

・プレヴォー/森鴎外訳「田舎」(Provinciale By Marcel Prevost1910)

の3篇を収める。

「正直な泥棒」

外套を盗まれてしまった男へ下宿人が語って聞かせる、彼のズボンを盗んだ哀れな居候の男の物語。

ドストエフスキーもロシア文学も、読むのは本当に久しぶり。二人だけで話してるのに何か言うたびいちいち相手の名前を呼ぶロシア文学が不思議で仕方がない。

「秋」

想い人な従兄を妹に譲って別の男と結婚した姉が、久々に妹夫婦の家を訪ねる。

芥川龍之介と聞くと王朝物や昔話風の作品の印象が強く、本作のような今様の小説も書いてたんだと新鮮だった。

そもそも夏目漱石の弟子なんだから、三角関係を書くのもお手の物といったところか。

 

「田舎」

作家の男の元へ若い頃に知り合った未亡人からの手紙が届き、彼女の悩みを読み取った男は求めに応じて十六年ぶりに再会すべく待ち合わせの町へ向かうが彼女は姿を現さず、そして再び一通の手紙が……。

5巻の「深川の鈴」に通じる、女が一方的に身を引いてしまう恋愛心理劇。

「秋」もそうだけれど、こういう作品は古典としての価値はあれど、現代性という意味ではずいぶん懸隔を感じる。

堅苦しい訳文で、これを嫌って昔から鴎外を読んでこなかったんだった。

 

(2021/02/06 記)