(「広東省新会市 」からのつづき)


 老板(董事長いわゆる会長)との直談判の日、老板と総経理(社長)が食事の前30分位二人で話をすると聞きつけた私は、早めに仕事をかたずけ、シャワーで身を清め、勝負服に身を包み、事務所4階(宿舎)のテラスから食堂を監視。


 老板と総経理が食堂に入るなり駆け出し、何食わぬ顔で食堂に乗り込みました。こういう時は奇襲しかありません。「○○先生、你好、好久不見(○○さん、こんにちは、お久しぶりです)」と言って有無を言わさず握手。


 老板は怪訝そうに総経理に聞いています。総経理が私を紹介するや「你好你好」と、握手を返してきましたが、「アンタ覚えてね~なぁ」。ここで、老板との経緯を話しましょう。


 この時から遡る事約6年半(1989年12月)、私の初めての中国出張 の後半、広東省を調査をしている時、案内役の国営企業担当者から「貴方を案内したいと言う香港人がいる」と言って紹介されたのが○○先生(老板)です。


 初めて会った印象は、「小汚い小さいオッサン」(詳細はまたの機会に)です。しかしこのオッサン気が利いていてフットワークがすこぶる良く、非常に頼りになったのです。


 最後に Private Pier (オッサン専用埠頭)を見せてやると連れて来られたのがこの場所。当時工場は無く、原料が置かれているだけでした。「ここは風水に適した地で、何時か工場を建てるつもりだ」と言っていたのを覚えています。

 

 中国進出ブームで、原料を現地調達したいとの顧客の要望もあり、このオッサンとの合弁が成立したのです。私はそのプロジェクトの蚊帳の外でしたが、原料調査が基となっており、言わば私はオッサンの恩人の筈なのです。


 しかし、「アンタ覚えてね~なぁ」と言う言葉を飲み込み、「6年半前の原料調査では御世話になりました、懐かしいですね」。と片言ではありますが中国語で話しかけると、二人ともびっくりした様で、顔を見合わせています。


 ポーツマス会議での小村寿太郎がロシア全権ウィッテに使った「フランス語分かりません作戦」をまねて(たまたまだろ)、ここに来てから中国語を全く話していません(運転手以外には)。だって通訳いるから必要なかったのです。


 そうこうしていると、通訳が慌てて入って来ました(やっぱり監視していたなぁ、計算通り)。「丁度いいところに来てくれたね」と通訳に言い、後は任せました


 老板が「この工場はどうだ」と聞くので、「ここは風水的に非常に良い場所であり、建物の構造と配置も従業員の活力を引き出すには完璧です、さぞかし名のある風水師の設計ですね、ただ一つの欠点を除いては」と言ってやりました。


 老板は鳩に豆鉄砲的表情で「何故そんな事が解る」と言うので厦門(アモイ)駐在 での客家との交流と当家と楽雲気法 の関わりを説明すると納得してくれました。また、欠点についての対策を私の耳元で囁いたのです(ゾゾとしました)。私は耳が弱いのよん。


 老板が間違いなく客家である事を確信した瞬間であり、老板も私を信用してくれた様です。ここからが本番です。ここに来てからの経緯と私の要望を捲し立て、協力を要請。通訳がちゃんと通訳してくれない個所を訂正しながら(やっぱりお前は香港人工場長ビルの犬だな)で、骨が折れました。


 最後に、厦門駐在員の私を事務所を畳んでまでこの工場に投入した日本側の真意を強調し(嘘をついてしまった)、「利害関係を考えるのは工場が軌道に乗ってからで良い事なので、それまでは私の言う通りにしてくれ」と要請。


 そこへ、香港人スタッフ(ビルも含めた)と中国人の幹部スタッフがぞろぞろとやって来ました。私が老板と話しているのを皆一様に怪訝そうに見ています。案の定、ビルと通訳は目配せしています。「もう遅いぜ」(白楽雲心の声)。


 老板が「ビルを首にしようと思うがどうだ(通訳が言いにくそうに)」と言うと、太陽の光を受け生き生きとした向日葵の花が、急に萎れて頭を垂れた様に、ビルはうな垂れています。


 私は急に憐れに思ってしまい「ビルは中国側に立って賢明なのでしょう。経験不足の若いスタッフを寄越した日本側にも責任があり、今後は上手く行くでしょう、いや、上手くやりましょう」 と言って「ビル、これからも頼むぜ」と心にもない事を言う白楽雲でした(また一つ嘘をついてしまった)。


 人間とは不思議なもので、翌日、今まで工場に顔を出した事のないビルが、作業服に身を包み作業員と一緒に仕事をしているではないか。「何してんの」と言うとニコニコしながら「運動不足だから勉強を兼ねてトレーニングだ」と。


 これ以降、ビルとは次第に仲良くなり、大親友と成りました。初戦は私の大勝利。ビルの管轄は私に靡きだしましたが、最大の敵は総務担当の老板(会長)秘書のリックとNo.3の白豚(董事いわゆる副社長)。


 まだまだ敵は多数です。リックと白豚傘下の中国人従業員は合わせて約150人。また、江沢民以降、中国で反日感情を促す番組などで日本人を嫌悪する者は多いのです。


 古の日本軍の様に真珠湾での華々しい戦果の後の連戦連敗だけは避けなければなりません。まだまだ、気苦労が多そうです。以降の件は別のテーマで紹介するとして、徐々に良い方向に向かい、1年後には軌道に乗せる事が出来たのですが、結局7年もの間、私はここに留まる事になります。


(つづく)