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Malie o pu'uwai

自分の中に光があることを思い出そうと奮闘中のフリーランスのセラピストです。

こんにちは

 
 
 
湘南に引っ越してからも、毎月姉のところへ。
 
お休みが1日しかなくても 3時間かけて帰り、1時間半の滞在でそのうち1時間はマッサージ。
 
で また3時間かけて湘南に戻って、次の日は仕事。
 
疲れているけど、
 
『あの時帰っておけば良かった』
 
と思うのが嫌だったので、多少無理をしてでも帰ることを選びました。
 
 
 
2017年6月下旬。
姉が入院。
 
 
姉と2人で母のことを話しました。
 
姉は
 
「お母さんはゆきこのことも大事にしてるよ。私にはわかるよ。」
 
と、母が私のことをちゃんと考えていることを教えてくれましたが、その時はどうしても母から愛されている・大事にされている とは思えませんでした。
 
 
 
帰る回数を増やし、先の予定は入れられずにいる中、どんどん痩せて顔が変わっていく姉を見て
 
『この夏越せるかな…』
 
と思ったのを覚えています。
 
 
そして母から、
 
もう退院できないこと
治療ができないこと
 
を聞きました。
 
ずっと病院に泊まり込んで姉を看ている母も、とっくに限界を超えていました。
 
「お母さんの子だから、最後まで悔いの無いように看るよ」
 
と 母は言いました。
 
 
 
7月末、
 
「明日帰るよ」
 
と姉にLINE。
 
 
(姉には毎日LINEをして、私たちが大好きな猫の写真を送っていましたが、この頃はもう携帯を持つことが難しくなっていたので、返信が来ることはほとんどありませんでしたが、おそらく母が着信に気づいたら姉に見せていたんだと思います。『既読』がつくと安心する 生存確認のような状況でした)
 
 
8月1日に帰って、姉にいつものように足裏や膝下をマッサージ(と言っても撫でる程度しか圧は入れられなかったけど)。
 
うとうとしてた姉が起きて、湘南へ戻ろうとする私を見て、
 
姉:「帰って来るなんて聞いてなーい」
 
私:「昨日、明日帰るって言ったでしょー」
 
というのが私と姉の最後の会話になりました。
 
 
 
先の予定を入れられないけど、
 
『私だって夏の思い出がひとつでもほしい!!
 
と、友達と逗子に行く約束を入れました。
 
 
 
夏は職場も繁忙期なので、連勤明けの8月15日。
 
帰ろうと思いましたが、また16日から連勤だったため、自分の身体とお客様のためにもその日はきちんと休むことにしました。
 
 
8月23日に逗子に行くことにして、
22日の朝、友達と「じゃあ明日ね」とやりとりをした約8時間後の仕事中 母から、
 
『先生に今日がヤマかもしれないって言われた』
 
というメールが来ました。
 
あと3分後にはペアのお客様の予約時間。
 
先輩と相談したけど担当を変われないので、泣きそうになりながらもお客様を迎えに行きました。
 
お話好きな明るいお客様に救われて60分のトリートメント終了。
 
 
先輩、上司が
 
「もう帰っていいから!早く行ってあげて!お金持ってる?貸すから!」
 
と銀行に行く時間もない私に上司はお金を貸してくれ、飲み物と軽食を用意してくれ、そのまま新幹線に飛び乗りました。
 
 
約束していた友達には謝りのLINEをし、
不安いっぱいで病院に行きました。
 
 
 
「帰ってきたよ」
 
と話しかけた時は かろうじて瞳孔が動き、反応がありました。
 
姉はもう話せる状態ではなく、
ただ顔を見て話しかけるだけ。
 
聴覚は最後まで大丈夫だからと、
話しかけました。
 
 
結局この日は病室のパイプ椅子で寝て、
翌朝、また担当医の先生に
 
「今日がヤマかもしれないです」
 
と言われる。
 
この日 母は家に帰り、私が病室のソファで寝ることに。
 
夜はドラマを観ながら姉に話しかけ、
夜は1時間おきに看護師さんが見回りに来てくれます。
(その度に目が覚めます)
 
24日は母が戻って来て、姉も変わらず。
さすがに疲れていたので近くのホテルに泊まり、25日朝 再び病院へ。
 
不安と疲れもあったし、いつまで休みをもらうのか。
職場の方にも迷惑をかけていることで自分を責めてしまう。
 
25日はホテルもいっぱいで、頑張って病室のパイプ椅子で寝るか、父に迎えにきてもらって実家(病院から片道1時間弱かかります)に戻るか、ひとり暮らしをしていた姉の部屋に泊めさせてもらうか、湘南の自分の家に一度戻るか考えました。
 
実家は嫌だったので却下。
姉の家は病院から2駅だけど、姉が生活していた気配を感じたらきっと落ち着かない。
湘南に帰ると新幹線代もかかるけど、自分の居場所だから一番落ち着ける。
 
ということで一度湘南の自宅に戻ることにしました。
(嫌だけど喪服の準備もしていなかったので)
 
 
『姉は私がいないときに逝くだろうな』
 
という、確信に近い予感がありました。
 
 
 
姉に、
 
「私、一度帰るね」
 
と話しかけたとき、動かなかった瞳孔が動きました。
 
 
それが
 
『わかったよ』
 
なのか
 
『帰らないで』
 
なのかはわからなかったけど。
 
 
 
帰りの新幹線で、普段選ばない番号の席を選びました。
 
たしか26F。
 
席などを選ぶ時は自分の好きな数字を選ぶので、
『26』の席を選んだ時、
 
『26日に戻ることになるかもな。。。』
 
とぼんやり思いながら帰宅。
 
『これで生鮮食品とか買ったら、きっと食べる前に帰らなきゃいけなくなる気がする』
 
と思いながらスーパーで鶏肉や野菜を買いました。
 
明日は喪服を買いに行こうと思って、久しぶりに自分のベッドで就寝。
 
 
 
8月26日午前4時前。
 
母から 今姉が旅立ったというメールが来ました。
 
 
朝 支度をして上司、スパのレセプションの方、セラピストの先輩に連絡。
 
弔電をいただけるということで事務的なやり取りと、温かい言葉ももたくさんいただきました。
 
放心状態で新幹線に乗り、姉が帰って来ていた実家へ。
 
 
 
実家で姉の顔を見た瞬間、もちろん悲しくて号泣だったけど、
どこかで、
 
『あぁ。やっとお姉ちゃんが痛みから解放されてゆっくり眠れる』
 
と、少しだけホッとした自分もいました。
 
 
2年間頑張ったね。と。
 
 
 
ステージⅣのがんの告知と余命宣告から2年2ヶ月。
 
その日は前日まで急な雨が降っていましたが、綺麗に晴れて秋のような涼しい風を感じる日でした。
 
姉はたくさんの友人たちに見送られ、
40年と半年 という人生を終え、旅立って行きました。
 
母は気が抜けて腰も抜け、
私のことも姉の名前で呼びます。
お通夜・葬儀の準備はご近所の方が手伝ってくれていました。
 
 
 
弔電は私の職場のホテルのジェネラルマネージャー(外国人の方です)からと、スパの皆さんからと2通いただきましたが、ジェネラルマネージャーの肩書きが『ジェネラルマネージャー』ではなく、今まで聞いたことがない長いカタカナの肩書きになっていたので司会の方に
 
「これは何ですか?」
 
と聞かれたので、
 
「〈総支配人〉で大丈夫です」
 
と伝えておいたのに、ご丁寧にそのまま読んでいただきました。
 
 
参列者が親戚やご近所のおじいちゃん・おばあちゃん、姉の同級生だったので、
カタカナだらけの会社名・名前・肩書きの弔電が読まれた時、おじいちゃん・おばあちゃんたちの頭の上には
 
 
『???』
 
 
が飛び、同級生の間には、
 
『え?〇〇(姉のことです)は関係ないよね?ってことはゆきこちゃん??』
 
とざわつきました・・・
 
 
 
その間だけは、
 
『あぁぁ!!すいません!!
 
と、ちょっと我に戻りました。
(職場の方たちの温かさを改めて感じることもできました)
 
 
 
 
無事 火葬も終え(火葬前は「燃やさないでーーー!!」って号泣でしたが)、骨になってしまった姉。
 
ずっと「痛い」と言っていた左の脛の骨はボロボロでした。
 
 
葬儀も終え、やっと少し落ち着いて眠れると思っていた東京へ戻る日の30日朝6時前。
 
聞いたことのないアラームで起こされました。
 
 
北朝鮮からのミサイル発射のアラームでした。
 
近くに頑丈な建物なんてないし、地下もない。
シェルターなんてもちろん無い。
 
ニュースを見守り、湘南に帰って来ました。
 
 
 
病気じゃなくても、事故や事件に突然巻き込まれることもある。
 
地震がくるかもしれないし、
 
富士山が噴火するかもしれない。
 
北朝鮮からのミサイルだって飛んでくるかもしれないし、
 
東京でだってテロがあるかもしれない。
 
 
私たちは余命宣告をされていたから、後悔のないようにしようと行動に移せたけど、脳や心臓の血管系の病気で倒れたりしたあっという間に亡くなってしまうかもしれない。
 
がんでジワジワ弱っていくのを見るのも辛いけど。。。
 
 
 
自身の病気と、家族の病気。
 
『私は大丈夫。うちの家族も大丈夫』
 
だと思っていたけど、そうじゃない。
 
 
やっぱり大切なものは失ってからその大切さに気づくんだよね。
 
たくさんのことを教えてくれた姉。
 
姉が命をかけて教えてくれたことを忘れずに、何事も後回しにせずに、私は私の人生を いつ旅立ってもいいように、悔いのないように生きていこうと改めて思いました。
 
 
教えてくれてありがとね。
私のお姉ちゃんで生まれてきてくれてありがとう。
 
 
 
 
 
 (セドナでお世話になったBさんに話したら、「お姉さんはあなたに逝くところを見られたくなかったのね。で、それをあなたもわかっていたのね」と言われました)
 
 
翌日からお仕事復帰です。
 
 
続きます
 
(姉の旅立った日の実家の百日紅)