【 兄弟ふたりの役割分担とコンビネーションで繁盛店に!】

--------------------------------------------------------------------------------

Ⅰ.ハード担当の社長とソフト担当の専務の分業化

 山梨県中巨摩郡敷島町は新宿から特急で約二時間、

甲府盆地の西北部に位置する御岳昇仙峡の入口にある

人口約18000人の町である。


 現在、この地で燃料店を営む「いのまた商店」は、

先代の社長が終戦後満州から無一文で引き上げ、

洋服の仕立屋から始めたという。


当時は、洋服の仕立てといっても夏服の需要が少なく、

夏場の生活に困窮していた。


そのため夏になにか良い商売はないものかと考えた末に

「かき氷屋」を始めたところ、これが大当たりし、


さらに当時は周辺に日用雑貨の店もなかったのでそれも始めた。

そしてさらに店のスペースにまだ余裕があったので、

今度は「ラーメン屋」も始めたそうである。


 戦後、間もない頃なので今で言う「ナンデモ屋」だった訳だが、

それが現在の「いのまた商店の礎」となったわけである。


現在の事業のメインであるプロパンガスの販売は、

その時の「ラーメンの調理に使ったプロパンガス」に原点があると

言うから、何が功を奏するか分からない。


 プロパンガスの本格的な販売は昭和36年より始まった。

しかし当時はまだ薪や炭の時代である。


今でこそ当たり前のプロパンガスでも、

その当時では早々にプロパンガスに切り替えてくれる顧客も

それほどいるわけもなかった。


 それでも親戚や知人のツテから何とか60軒ほどの顧客が

薪や炭からプロパンガスに切り替えてくれた。


その後、先代の努力で何とか350軒ほど迄には伸びたものの、

その後が続かず、長い間の低迷期が続いたのである。

--------------------------------------------------------------------------------


Ⅱ.思い切った業態転換で業績が伸長

 昭和も50年代に入り、

近所にはスーパーやコンビニエンスストアが進出して来たために、

その煽りで日用雑貨までが厳しい状況に陥ってきたのである。


 そのころを境に、後継者である現社長の「猪股尚彦氏」と

専務の「尚幸氏」が、店を引き継ぐこととなった。


そしてそれを機に「いのまた商店の業態転換」が始まったのである。


それまでの日用雑貨を中心とした「よろず屋」から、

「プロパンガスと灯油とタバコ」に業種を絞り込み、

「プロパンガスと灯油は徹底した訪問販売」を行い、


かたや「タバコは、珍しい輸入たばこ等を扱い、愛煙家のファンづくり」
を狙ったのである。


 その結果、今では全体売上の12パーセントをタバコが占めるまでに至っている。
しかし、本業はあくまでプロパンガスと灯油である。


そこで「たばこ屋さん」のイメージを払拭するため、

平成元年に店舗を改装し、さらに店先に灯油計量器も配置し、

「燃料屋」であることを強くアピールしたのである。


その結果、先代が350軒まで伸ばしていたプロパンガスの顧客数が

650軒まで伸びていったのである。

つづく



///////////////////////////////////////////////////////
ヒトづくり・ミセづくり・モノづくり・マチづくりのトータルアドバイザー
人材教育・販売促進・商品開発・地域活性化の
(株)ラフィネット総合企画
//////////////////////////////////////////////////////