メール
やぱ夜勤明けるとリズム狂うから勉強できーん。
どーせなら自己管理可能なバイトが良いね。
最近感じるんだけど、やっぱ連絡手段のメールって人間関係において大切だよね。
自分はメールとかぶっちゃけ嫌い派なんですが。爆
でも、このメールをちゃんと返すか返さないかで信頼関係の形成に大きく作用してるよね。
この返すスピードも大切で、遅く返す人はただそれだけで信頼を失ってしまうというか
あの人は連絡が遅いという烙印が押されてしまうわけで。
うん。連絡はちゃんとしようと心がけます。
少なくともその日のうちには連絡は返そう。笑
でもですね。
やっぱメールって人の表情が分かんないし、文体によっては誤解を招くんだよね。
自分はコミュニケーションする時に相手の表情を見てその変化を察しながらいろいろ話広げていくタイプの
人なんで、表情が分かんないメールはきつよね。
電話もまたしかりなんですが。
まー好みなんて人それぞれなんですが、
自分は人と直に会って話すコミュニケーションが一番好きです。笑
んでも、この世の中好き嫌いなんて言ってられないんでなんでもそつなくこなせる人になれるよう頑張ります。
おやすみ。
明日もみんなが幸せでありますよーに。
矛盾
知り合いが読んでるのもあるし、まず読み手があんま良い気分にはならないから。
まー、それが分かっててもあえてアウトプットしたくなる時もあるさ。
だからこその読む読まないがより選択できるこっちのブログで。笑
なんか大学入ってから往々として人の汚い部分見えまくりのすけなんだよね。
もちろんそれ以上にキレイな部分も見てるわけなんですが。
社会人とめさめさ関わる機会が増えたってのもそうだし、自分という存在がそういう話を聞くポジションをとっているのかわからないけど。
でも、社会でたら何が正しくて何が間違ってるかの明確なラインなんて無い訳で。
法なんてごく一部の目安程度にしかなってない気がする。
子供の頃習った道徳の概念なんて誰が覚えているんだろう?
結局みんな自分の信念をみんなが正義だと思っているわけで、それ以外の考え・行動は全て悪なんだよね。
それで戦争だって正当化してるわけで。
でも、それは戦争という少なくとも自分にとって非日常的なコトではなくて、日常的なコトとして顕在化してきてるんだよね。
いや、ホントに自分の信念が正しいのか自信が失くなってしまうくらいに、社会では非道義的なコトが正当化されてるわけで。
でも、オレは、まーこれが現実かって他人行儀に醒めた目でそれに向き合わないなんてコトが出来るほど器用に生きられないわけで。
でも、最近すごい思うのがみんながみんな自分を正当化しようと必死な気がする。
それは客観的に見て自分が悪いと分かってても苦しい言い訳で自己を正当化しようとしてるように見える。
んで、それは自分も例外じゃないんだよね。
そこが悩みの種だったりもするわけで。
結局他人を卑下できるような権利は自分にはないわけで。
自分の発言と行動が矛盾するのが大嫌いだし。
他人の間違いを指摘してる自分がまず指摘されるべき存在であるという。
結局相手の価値観を否定して自分の価値観に洗脳しようとしてるだけの試みな気がしなくもない。
やらなんやら。
ニヒリズムの矛盾的な。
この世に真理はないという真理自体が矛盾した考え的な。
まっこの程度の悩みなんてたいしたことないか。
おやすみ。
明日もみんなが幸せでありますよーに。
未来
やぱフツーのアウトプットはしたい感じじゃないです。
でも、書きたいからバクホンの「未来」の自分の解釈のっけます。
「失くした歌が 心にあった
いつかは僕ら 消えてしまうけれど」
忘れてしまってたと思っていた歌が心に残っていた。
人っていうのはいつか死んで消えてしまうけれど、
人が作った歌ってのは消えずに人の心にあり続ける。
「粉雪白く思いが積もる
小さな革命だった 君が肩にふれた」
若者ってさ。いろいろ悩む時期があるよね。
自己存在についてとか社会への適応を迫れてるとか。
そんないろんな想いが積もるんだよね。
んで、ずっと心を閉ざしていた若者が
初めて人を信じて自分の心を開いた時
世界は変わるんだよね。
「抱きしめて 恋をした
それが全てだった
国境さえ今 消えそうな
雪の花が咲く」
人を信じて、人に恋をした。
それが全てだったんだよね。
国境=自分と他人の間の壁
いわゆる心の壁的な意味だと思う。
んで、「粉雪白く想いが積もる」の積もっていた想いが
雪の花っていう形であらわれるんすよ。
ここでいう雪の花っていうのは
すげーきれいな感情というか
今までは無かった人を信じる心とか
自己存在の確信というかそんな類のものかなと。
「しゃぼんが飛んだ 壊れて消えた
それでもしゃぼんを飛ばそ 空に届くように」
しゃぼん=想いかな。いや、夢でも良い気がするけど。
信じていた想いや夢は裏切られたり、挫折したりするときもある。
それでも、傷付くことを恐れて何もしないんじゃなくて。
その想いや夢を信じてゆくんだよ。
通じたり、かなったりするように。
何もしなきゃ傷付かないかわりに、何も叶うこともないからね。
「千の夜 飛び越えて
僕ら息をしてる
世界は今 果てなく
鮮やかな未来」
僕らは1000日後も生きてるだろう。
ただ息をして生きているだけでも自分たちの未来は鮮やかなものなんだよ。
「雪の花」が咲いた僕らがいるからこそ世界は鮮やかという意味でも解釈できるかな。
「さよなら今は また逢う日まで
ここから向こうは 何もない真っ白な空白」
「今」っていうのは、一瞬で「過去」に変わっていくわけで。
その「今」の積み重ねで「過去」っていうものは形成されていくものだよね。
だから、「今」も「過去」もすでに何かが描かれてしまっているor描いているんだよ
だけど、「未来」は決まっているものでなく、真っ白な状態に自分たちの手で描いていくもの。
っていう意味なのかな。
「何処まで何処まで 信じてゆける
震えるこの手に 想いがあるさ
心に心に歌が響いて
僕ら歩き出す
鮮やかな未来」
ここはそのまんまの解釈が一番きれいかなー。
何処まで何処まで信じてゆける?
この自問自答な感じが良いね。
自分の想いを信じるってのはやっぱりすごい勇気と強さがいることで
でも、そんなときに歌=この「未来」っていう歌が
「心に響く」ことで
この他人を信じて、自分を信じて、自分の想いを信じてゆける。
僕たちは自分の想いを信じて歩き出せる。
まっすぐ進んで行ける。
僕たちの未来は鮮やかな未来なんだ。
人の心を動かしてそう思わせるんだよ。
それがこの「未来」っていう曲を作ったバクホンの真意なのかなとも思う。
総じて、やっぱこの曲良いね。
イキルサイノウであえてジョーカーの後にあるところとか。
普通だったら「恋をして(好きになって)、抱きしめる」なはずなのに。
そじゃなくて、あえて「抱きしめて、恋をした」っていうフレーズとか
なんかバクホンらしい意図を感じるよね。
そして、バクホンの歌にかける想い。
この歌には人の心を動かす力があるって思ってるところがさすがです。
http://www.youtube.com/watch?v=w1ELC48VXXE
あっこれPVっす。
アカルイミライの映画のワンシーンがバックですね。
やぱこの「未来」のおかげでミライはアカルイミライになったんだね。
って確信したわ。
おやすみ。
明日もみんなが幸せでありますよーに。