18歳の頃の記憶として
一つの扉が開いたことで
別の記憶の扉が連鎖するように
開き始めました。
その年の秋の学園祭のときに
父が大分まで来てくれたときの
ことです。
父が私の6畳1Kのアパートに泊まる
ことになり、私はソファで、父は確か
その下の畳で寝たと思うのだけど
母が(電話口で、多分ほんの少し?)
私に対して嫉妬の感情を見せてきた
ことがあり、、
(勘違い?)
私は幼い頃から、父親にとても
可愛がってもらって育った自覚が
あり、母親はそれがずっとあんまり
面白くなかったのかなとは
うっすら認識していました。
中高の間は離れていたから
そんなに意識することはなかった
けれど、
晴れて女子大生になって間もない
その時期。
こともあろうに、娘である私のこと
を同じ女性としてライバル視して
いるような匂いを感じ、びっくり
して引いてしまったことを
TAOさんにお話しました。
TAOさん:「それでYayoi ちゃんは
咄嗟に ”女になってはいけない”って
思ってしまったのかな?」
そう。私は幼い頃から父親に
ありのままの私を深く愛して
もらっていた。
父からの愛情はあるのが当たり前で
1ミリたりともその愛情を疑うことが
なかった。
一方で、
母からの愛情は脆く不安定なもので
条件付きのような気がしていた。
私の行動いかんでもし彼女の機嫌を
損ねてしまったら失うかもしれない…
(本当はそんなことはないのだろうけど)
TAOさん:「お母さんの気持ちに
なって考えてみたらどうかな?
お母さんはちょっと不器用なんじゃ
ないかしら?Yayoi ちゃんがお父さん
にありのままに愛されているのを
見て、お母さんも愛されたかった
んじゃないかな?
羨ましかったんじゃないかしら?」
Yayoi :「そうですねえ。。」
TAOさん:「お母さんとYayoi ちゃんは
結局よく似てるんじゃない?」
Yayoi :「ハイ。似てます(苦笑)」
自分のカラダとココロの痛みを、
大したことじゃないと自分に納得させ、
ありのままの自分を責め続け、
母親(≒自分)を否定し、
女性になることを拒み、
本当の感情を隠し、押し殺して、
場所場所で自分を演じ分けてきたこと
(心を閉じる癖)が積み重なった結果、
わたくぴの乳がんが
どんどんと育っていったのかも
しれません。
そして、TAOさんは最後に
◎心を開くレッスン◎
を教えてくれました。
TAOさん:「まず、お父さんに愛されて
感じていた安心感、緊張がゆるんだ感じを
思い出して、その感覚を心ゆくまで
味わって、身体の中に満たして。。」
「その無条件の愛の感覚を
①まず自分自身に送りなさい。
②次に、自分が愛している人に送りなさい
③そして最後に、自分が嫌いな人・苦手な人
に送りなさい」
Yayoi (心の声):「こ、これは
わたくぴの大好きな”慈悲の瞑想”だ?!」
私は、父から受けていた愛情のおかげで
「(無条件の)愛」がわかる。
ヴァイオレットが知りたかった
「愛してる」の意味を知っている(爆)
そして形はちょっと歪んでいたかも
しれないけれど、母からも本当は
ちゃんと愛されていた(いる)こと
を知っている。
母に愛を送ってあげようと思います。
TAOさんのセッションは、こうして
無事終了しました。
キネシオロジーでチェックすると、
最初は背中を押されても前に踏み出す
のに抵抗があった身体が、
後ろ(過去)に押しても戻らないのに、
前(未来)にはよろけて、
あ、よろけてしまったと思ったら、
TAOさんが「これでいいのよ」と。
後ろを振り返らずに前に進めるように
身体が変わっていたのでした❣
内容てんこ盛りだったのに、時間は
1時間と少し。まだ時計は10時を
回ったところでした。
△ほっこり温かい家庭料理〜。めちゃくちゃありがたかった。
セッション後、
TAOさんお手製の昼食をご馳走になり、
デメルのお菓子をお土産にいただきました♡
包装紙が可愛くてトキメク〜
そして玄関ですごく自然な流れで
TAOさんにギュッとHUGをして、
お礼とお別れのあいさつをして、
スッキリとエナジー満タンになった
気分でTAOさん宅を後にしたのでした。
時間はまだ11時。
これから一つミッションを遂行
する為に渋谷に戻ります。