おはようございますコーヒー
やっと冬らしく、キリッと冷えた朝を迎えております雪の結晶
冷えとりをしっかりしていると、こういう朝の凛とした空気も相応の余裕をもって楽しめるのがうれしいですニコニコ

大分 隠れ家冷えとりサロン
透明の森 Dr. やよいですピンクハート

今日は、私が冷えとりを始めたきっかけ
について、
当時を思い起こしつつ、書いてみようと思いますメモ
(注: 長文です)


時は遡りまして…
2011年、震災の年、私は急性期を扱う脳外科病院で勤務しながら不妊治療の真っ只中にいました。ちょうど、3月11日の午後3時過ぎ頃、病院の待合室のテレビで津波の映像が流れていて、病院職員を含め結構な人だかりができているのを横目に、何が起きているのかよく把握できないまま、予約していた大◯産婦人科にいそいそと出掛けていったのを記憶しています。産婦人科の待合室でも呼ばれるまでの間、皆無言の中でテレビに映し出される凄まじい光景を、私は半ば信じられないような気持ちでぼんやり眺めていました。それからの2-3ヶ月は、なんだか頭が思考を停止(拒否)しているような不思議な感覚でした。所属していた病院も積極的に寄付を募ったりしていたのに、私はなぜかこれといったアクションを起こせずにいました。身体と心がすくんで頑な(かたくな)になって、意思を表明したり行動することに対して、急性拒否反応みたいなものを起こしていたようです。

そんなとき、2011年年初めに本屋でぱらぱらと立ち読みしていた本『SELF CLEANING BOOK あたらしい自分になる本』(服部みれい) が気になって、再度本屋に赴き購入したようです。皆様におススメしたい大好きな本です❤︎

ほんとはホ・オポノポノのことが気になって手にとった本でしたが、その中に冷えとりのことが載っていて、くつ下何枚も重ねて履くなんて変なのーと思っていて(笑)

でも、気づいたら5月のゴールデンウィーク明けくらいから、くつ下を1セット購入して、ぼちぼち冷えとりを始めていましたニヤリ


多分、私のココロとカラダはいろんなことでいっぱいいっぱいになっていて、文字通り身動きが取れなくなっていて、毒出しを求めていたのだろうと思います。2011年はまさしく、私にとって毒出し元年でした。

前年に続いて記録的な猛暑だったその年の8月。冷えとりガールにとっては有名な、かの‘お冷え様’も経験しましたよーびっくり 凄かったです。エアコンをつけずに蒸し風呂状態となった病院の読影室(放射線科医のお仕事部屋)で、腰から下に毛布を巻きつけ、寒さで震えていましたから滝汗
入ってきたナースが、ドアを開けた瞬間「ウワッ、ナニ?? 暑!」と叫んだぐらいです。今思えば、相当臭かったかもゲロー(恥) お冷え様はクサいのですww

そして、その年の10月。2回目の体外授精でやっと着床に成功。喜び勇んでFBにも投稿。バカですよね~汗 1週間前には私の子宮の中でピクピクと確かに動いていたはずの胎芽の心臓は、次に診てもらったときには無情にも停止していました…。稽留流産です。
流産って、診断された後、手術的に処置してもらわないといけないのでダブルパンチなんですよね。ホント、それがこたえちゃいましたショボーン もう西洋医学的不妊治療はイヤだと、ココロとカラダが叫んでいました。そして不妊治療から足が遠のくのと並行して、休職/退職の話を具体的に進めることになりました。こういうのもある意味毒出しなのかもね

でも、すでに冷えとりをしっかりするようになっていたので、流産の事実は思っていたよりすんなり前向きに受け入れることができました。冷えとりしていなかったら、もっと深刻に(自分だけの力ではどうにもできないくらいに)病んでいたかもしれませんゲホゲホ間に合ってヨカッタ~

以上、私が冷えとりを始めたいきさつについて長々と綴ってまいりましたが、
当サロンでは、冷えとりでココロとカラダの健康を取り戻した私自身の経験を、
特にアラフォー世代で子宝希望の方のサポートに活かしていければいいなと考えています。

A40ーTGP生活
サポートプログラム
(Around40ーTrying to Get Pregnant)
アラフォー ティージーピー

と称して、冷えとりをベースにした1~数ヶ月間のサポートプログラムを準備中です。経済的に負担にならない金額で設定したいと思ってます。
メニューが整ったら改めてご案内しますねOK

乞うご期待!!


長文おつかれ様でした。
今日もどうぞ素敵な1日をお過ごしくださいルンルン


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おめめが開いたよラブチューあしあと