◆「3ヵ月前~天命?」1 | ぽや♪すみ(旧「おみちょり♪通信/おみ♪てお」)
四七日も粛々と過ぎていきました。
ヒヤシンスは立派な花を咲かせました。

テオもお墓参りです。

あれっ、"お供え物"に手を出してる。
お前のじゃないから…

発芽


◆ フラグについて

私がおみちょりを飼おうと思った動機は、このブログの最初のころの投稿でも書きました。例の35年前の過失による悲劇が自分の中で消化されていなくて、どこかでインコにお返しをしなければ、という思いは、ずっと抱えていました。

だから、このようなことになったことはひときわ慙愧の念に堪えません。

 あの日は1979年1月29日
 今回は、2016年2月29日

偶然かもしれませんが29日つながりです。
そして、また同じ左足の裏でした。
「1週間前」のニアミスの時も左足の裏。

こんなに同じ過ちを繰り返す自分が歯がゆくて仕方がない。

今回のおみちょりは
2014年7月12日-2016年2月29日13時32分
としますと、生きたのが1年7カ月の計算になります。
大学院時代に飼っていたハムスターの「愛ちゃん」よりも若干短い。

まだ宣言よりは8年半も余っています。

この8年半を何とか取り返さないと、という気持ちも拭い難い。
ですから将来的に新しい子に再チャレンジしたいという気持ちも強い。

ただ同時に、そうはいっても、今回のおみちょりは個別の子で、その他の誰でもありません。

たとえばネット上でスピリチュアルな系統の投稿などを読むと、地上の動物は類魂というカタマリの一部が下りてきたものであり、死後は「ふるさと」の類根のカタマリの中に戻って吸収されていく、みたいな話がしばしば語られます。
本当かウソかはわかりません。
ですが、今回地上に生きたおみちょりは他の誰でもないし、仮に彼に前世や来世があったとしても、それはおみちょりであっておみちょりではありません。
名前だってピースケとかチロルとか、全然違う名前のはずです。私以外の人がインコに「おみちょり」という名前を付けるとは現実的には可能性ゼロですから。
羽だってホワイトスパングルではなくルチノーかもしれないし羽衣かもしれないじゃないですか。

だから将来的な再チャレンジの夢も強く持ちながらも、同時に「今回のおみちょり」の一生にしっかり向き合い、充分に追悼して、最後は卒哭してあげることが大事である



という気持ちもありますし、一般的には模範解答なんでしょうが、さすがに自分の左足の犯したコトの重大さを思うと、後悔(罪悪感)と恥の気持ちが強すぎて、心の中でもそんな風に軽々しくまとめてて安堵することなどとてもできないのが現実です。

◆ さまざまな仮説

 「ごめんね」よりも「ありがとう」と天国のペットは言ってほしい。

よく言われることですし、趣旨も十分理解できます。
ですが、さすがに自分で殺しておいてそれは、罪悪感があまりにも大きすぎて、少なくとも現在はまだまだ困難が残ります。

なぜおみちょりは、こんなに早く逝かなければならなかったんだろう。
自分の何が悪かったんだろう?
残された側の者は、さまざまな憶測にさいなまれます。
以下…


◇おみちょり天命説

1月のアクシデントの前日に、散歩の時に肩に乗っていた話をした。
これはその当時、翌日のアクシデントを事前に察して、青空を堪能したかったのかと思ったが、じつは結果論だが、インコの平均的な健康状態とは別に、今生のおみちょりはそこまでの天命だったのではないか、という説。
肩乗り事件も、じつはそこで迷子になって死んでしまうはずだったのが、私が早めに察知して慎重に帰宅したので難を逃れたというか、死に損なってしまった。翌日のアクシデントも、また早目に察知して一生懸命介抱したのでまた死に損なってしまった。「1週間前」のニアミスも、また瞬時に察知して足を離して一生懸命介抱したのでまた死に損なってしまった。
それらのトラブルはすべておみちょりの遺伝子というか天命が何らかの「地上でのミッションを終えた」ということで無意識に天に帰るためになせる業であり、ことごとく院長のお節介に阻まれきたが、そしてついに・・・

「当日」の朝に、元気だったにもかかわらず
おみちょりの踵が下がっていたのは、何かのサインだったのか・・・
また、天命であれば、おみちょりが負っていたミッションの具体的な内容、おみちょりの残した教訓は何だったのか・・・

◇おみちょり抗議説

飼い主がテオに時にいらだったり辛く当たったりするのをとがめようとして身を挺したとする説。
おみちょりだけのときにはこんなことは全くなかったのに、テオをお迎えしてから
トイレのしつけの難しさとか、犬独特の上下関係的な数々の問題行動など思うようにならないトラブルの数々にいらだち、かっとなって八つ当たりしたり、恥ずかしながら時には恫喝や若干体罰をしてしまったこともあった。
また、当然いけないのだが、いじめられっこのようにすくむテオに悪い意味で触発されてしまい、いじめっ子のようにさらに恫喝してしまったりしたこともあった。
そんな自分を後で客観的にみると恥ずかしい限りなのは言うまでもない。(これについては個人的に思う所があるが、それはまた稿を改めて)
「なぜ僕には優しいのにテオには怒るんだろう?」
「2匹ではゆとりがなくてインチョーの手におえないのかな?」
「僕もこんな苛立ったインチョーは嫌だし、僕が逝けばインチョーが改まるなら・・・」
・・・

◇おみちょり身代わり説

ときに飼い主の周りにある災難をペットが天国に持って行ってくれる、などのような話もネットで散見する。
ちなみに2015年8月~年末は私にとって最悪の運気だった。<種リンク>やることなすこと失敗続きで、仕事のトラブル、身内のトラブル、経済的なトラブル、健康のトラブルなどが一気に降って湧いた。とくに機械の故障系がすごく、現在も少し尾を引いている。
年が変わって徐々に落ち着きつつはあったものの、まだまだ完全回復とは言い難い状況だ。で、私はといえば、それほどまともにおみちょりを飼育できていたとは思えない。水やえさはともかく、細かな栄養面、個体との接し方、放鳥管理など今考えれば反省点も大変多い。
しかしその中でも、飼い主とペットとしての認識や信頼は一応あったと思う。言葉もいろいろ覚えてくれた。
今にして思えば私の方こそがおみちょりにべったりで依存心すらあったのかもしれない。
しかし幸いなことに、おみちょりが、不運続きな飼い主の惨状を見かねて、
「それなら僕が一肌脱いで」
「僕が逝けばインチョーのゴミもいっぱい持って行ってあげられるんなら」
などとあまりにも羽毛のような軽い軽い気持ちで小さな脳みそで考えすぎた挙句
・・・

◆ もっとしっかり知りたい

正直、私のような凡百には憶測ばかりが浮かんでは消えるばかりで、真実のところはわかりません。
おみちょりから得られた教訓は何だったのだろう?
思いつくままに頭に浮かんだ点がすべて教訓だったと思うしかありません。

しかし、この点については後ででもいいので、いわゆる「あの世や霊などがキチンと見える」方にでも一度診てもらいたいと思っています。

心霊特集や霊能者など、普段はばかばかしいとしか思いませんし、私に何か感じられるわけでもありません。
しかし変な話、あの世がないことが証明されていないのも事実です。
逆に「症例報告」「一例報告」のようなエビデンス、というかオバケ話の類は古今東西枚挙にいとまがありません。

これらを考えると、単に現代の自然科学で観測できないだけであり、結論的には、あの世はない、ではなく、ある、方の集合に含まれるような気がします。

またさすがにおみちょりを失ったばかりで、少し前には父の件もありましたし、あの世などなくて死んだらすべて無である、などとマルクスのような考えにはとても至れません。

おみちょりが何を思っているのかもそうですが、なぜおみちょりがこんなに早く天に召されなければならなかったのか、
なぜ私が結果的に手を下してしまう形にならなければならなかったのか、

知りたい。
どんな手を尽くしてでも、知りたい。
でないと自分の気が収まりません。

こんなときにイタコのようなグリーフカウンセリングができる能力が自分にあれば、ぜひ多くの方のわだかまりを取ってあげられるのに、とすら思います。