人生のほとんどを

お金のことを常に心配する病気で

過ごしていた。

 

そんな私の昔のはなし

↑こちらの続きです^^

 

 

 

友達の実家がある

古虎渓駅には

名古屋駅から40分くらいで到着した。

 

到着して、まず驚く。

 

 

 

 

なんもねぇ😂

 

真っ暗😂!!!

(古虎渓にお住まいの方すみません)

 

 

でもここで降りる人は多くて。

 

 

みんな、

 

棲み家に帰るんだなぁ

 

って感じたのをよく覚えています。

懐かしいなぁ

 

 

 

 

駅の前にはバスが停まっていて、

 

各集落まで送ってくれるらしい。

 

 

幼稚園とかスイミングスクールなどの

 

送迎バスみたいな感じだった。

 

 

 

あのとき、バスに乗った車内からでも

目が慣れてないうちから

満天の星が目に飛び込んできて

とてもうれしかった。

 

星空をみるだけでも

人の心は

なんだか満たされるよね。

 

 

 

「お金がないわたしはみんなといっしょに高級なマリオットホテルに泊まれなかったけど、この景色、この空気、この星空を見ることができて結果的によかった」

 

 

とその時は思った。

 

 

 

今ならば

 

 

 

 

・高級ホテルステイ

   ↕

・友達の家に泊まる

 

 

 

どっちも対等!

 

 

 

というのが

 

と〜〜ってもよくわかるし、

 

それがなぜ対等と言えるのかも

 

言葉になってきているけれど、

 

 

この当時はまだ

 

「対等」という言葉の選択肢を

持っていなかった。

 

 

 

なんとなく、

 

 

「これはこれでよかったんだ」

 

「どんな出来事にも意味はある」

 

「偶然ではなく必然しかない」

 

 

という、

 

誰かが言った言葉をそのまま使うしかできていなかった。

 

 

 

自分の深い部分(=源)に持ち帰らず、上っ面でしか使うことしかできていなかった。

 

 

その時はその時で

 

真剣にいろいろと

 

考えたり感じたりも

 

しているんだけどね。

 

 

きっと人生は、こうやって

1枚ずつ経験と理解と

積み重ねていくのだろう。

 

 

今の瞬間の自分のことすら

あと5年後10年後には

きっと「まだまだだった」と

思うこともたくさんある。

 

 

それでいい^^

 

 

その時はその時で

=今の瞬間は、今の瞬間のまま

感じ続けて、

本当はどうしたいのか

源の声をきいて、それに

従えばいい。

 

 

 

 

お金があれば幸せになれる

私の幸せお金次第

 

になっていたけど、

こうして振り返ってみると

目に見えない存在の導きで

 

幸せはいつでもなれる

 

ということを知らされていたと思う。

 

 

お金が減る時を見張り、

いつも「ない、ない」と

お金がないと感じてヒヤヒヤして

魂をよろこばせる遊びをしていたけど

 

 

 

「お金がなくても幸せでいられる」

 

という事象を古虎渓の夜の

大自然で教えられていたのだ。

 

 

いつも、いつも、幸せと豊かさは

与えられていたのだ。

 

 

 

 

あの時、仲間達といっしょに

名古屋の高級ホテルに泊まってたら

それはそれで、楽しかっただろう。

 

そこで得た経験もあったと思う。

 

 

結局、人生はどっちに転がっても

 

感じる自分がいる限り最善

 

なんだとも思う。

 

 

昇天昇天昇天

 

 

翌朝ははや〜〜くに起きて

古虎渓駅までは

友達のお母さんに車で送ってもらって

(本当に感謝しかない)

 

そこから名古屋駅に向かって

裕福な民達と合流して

伊勢神宮に行ったのでした。

 

伊勢でのことはあとさらに5000文字使いそうなんでやめておくな!笑

 

 

 

 

 

2回めの名古屋の時は

 

わりと最近。

 

4年前?5年前?

 

 

 

その時は、わたしが自分で

 

伊勢神宮参拝ツアー

 

を開催したんです。

 

 

 

 

いつかつづく