◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
≪七海建人視点≫
魔虚羅君が渋谷事変と呼ぶ事件が終わってから15時間ほど経ったか。
私達はまだ渋谷から10キロほど地点にいる。
高専に戻ろうとしていたのだが、迫ってくる呪霊から逃れようと移動していたら逆に遠ざかってしまったのだ。
何なんだあの数は……。
昨年の百鬼夜行が生易しく思える。
数万を超えるだろう呪霊が朝日が昇り、ある程度身を潜めるまで私達も身を潜めていた。
その間に東京の住人は粗方避難したらしい。
逃げ遅れた一般人には会うものの補助監督に会わない。
すでに引き上げているようだ。
状況を詳しく把握するためにも一刻も早く高専に戻りたいのだが、交通機関も動いていないから歩いて高専に戻るしかない。
「七海さんどれくらいかかりそうですか?」
「呪霊の数も多いですし、少なく見積もっても数日は必要かと」
「そうですか。結構かかりますね」
今私と行動しているのは釘崎君、伏黒君、壊相君、血塗君とそして……。
『そんなに……かかるんですか? もう少し早く高専に、辿り着ける方法ありませんか?』
魔虚羅君だ。
何があったのか姿が変化している。
大きさは訓練のために憑依していた呪骸と同じほど。
今まで身に付けていなかった羽織と胸部の鎧。
顔から生える翼は光の加減で七色に見える金色。
手に持つ剣もこれまでとは違い一本の長剣になっている。
……あの時、確かに魔虚羅君の体が消え、気配も感じられなくなった。
誰もが魔虚羅君が死んだと思ったはずだ。
しかし突然ブラックアウトが起こり、小さな光の粒が現れたと思ったらそれが集まって形を成し、今の魔虚羅君の姿になった。
そこからの出来事はまさに神の所業と言うに相応しい。
破壊できないハズの特級呪物、獄門疆の破壊。
一振りで数多の呪霊を祓った斬撃。
全て魔虚羅君がやったことだ。
魔虚羅君は元々未知数の力を持っていた。
自我を失っていたことで今まで表面化していなかった力が一時的に目覚めていたと考えれば辻褄が合う。
問題は自我を失っていたために魔虚羅君は自分の身に何が起こったのかも、あの時自分が何をしたのかも記憶に残っていないことだ。
何も覚えていない。
だから訊いても「分からない」という答えしか返ってこない。
魔虚羅君からしたら意識を取り戻したら何故か体中が痛く、何故か姿が変化しているという状態。
それが原因なのか魔虚羅君は今精神が酷く不安定になっている。
彼女はとても気が弱いし何より怖がりなのだから、何も分からないということがどれほどの不安を駆り立てるのか想像に容易い。
その湧き上がり続ける不安を行動で消そうとして、昼間にも関わらず襲ってくる呪霊を率先して祓っている。
しかしそれでは遅かれ早かれ限界が来る。
血塗君の治癒では疲労までは治せないそうだから、一度疲労を感じてしまえば動けなくなってしまう。
もしあの時使ったのが本当に神剣の力そのものだとすれば相当体には負担が掛かっているはず。
実際2回使っただけで死にかけるほどの力だ。
本当ならここにいる誰よりも休息が必要なのに、強すぎる不安から肉体的にも精神的にも休めていない。
少しでも不安を払拭させるためには伏黒君の言葉が一番なのだが、目を覚ます様子が見られない。
ピクリとも動かない様子から眠っているのではなく昏睡状態と言った方が良い。
間違いなく【無為転変】を受けた影響だ。
魂の繋がりを切るだけと言っていたが、本当かどうか分からない。
もしかしたら生命に関わる部分を弄られている可能性まである。
あれ以降一切目を覚まさない。いつ容態が急変するか予想ができない。
早く家入さんに診せて専門的な治療を受けさせたほうがいい。
その事実が更に魔虚羅君の不安を助長させてしまっている。
万が一異変が生じてもすぐに気付けるように伏黒君は私が背負ってはいるが……。
「今はこれが最善です。周りは呪霊だらけなのですから、下手に動くとかえって危険です」
『でも恵さんが……』
「今のところは問題ありません」
『今のところはじゃないですか。もし急変したら家入さんじゃないと対処ができません』
「……」
チラリと魔虚羅君は私のほうへ顔を向けるもすぐに逸らしてしまった。
意識のない伏黒君を見ると余計に不安を感じてしまうからだろう。
それでも私と釘崎君が負った怪我を見るだけで苦しそうにしていた時に比べればマシではある。
その私と釘崎君の怪我は血塗君が全て治した。
……私の怪我は左目を無くすほどの大怪我だった。
家入さんでも治せないほどの欠損だったが、それを一瞬で治してしまうほどの治癒能力を持っているとは。
血塗君は魔虚羅君からその力を貰ったと言ったが、まだ詳細は教えて貰っていない。
伏黒君が目を覚ましたら教えるの一点張りだ。
魔虚羅君と壊相君、血塗君の気配がほとんど同じなのも気になるが、それを尋ねても同じ返答。
疑問ばかりが生まれるが……それにしても不思議な気配だ。
呪霊の気配ではないのは間違いない。
とても清浄な気配で、感じようとしなければ感じられない。
表現は難しいが“そこにあって当たり前”と言うか……。
「魔虚羅。伏黒が心配なのは分かるけど、アンタだってあんな力使ってかなり疲れてるでしょ? 何回も言ってるけどちょっとでも休まないと駄目よ」
伏黒君を助けたいという一心で疲労困憊の体を無理矢理動かす魔虚羅君をなんとか止めようと釘崎君が話し掛ける。
今日何度目のやり取りだろうか。
『……私は大丈夫。それより早く高専に行かないと』
「誰がどう見ても気力だけで動いてる状態で大丈夫だと思うわけないでしょ。もうフラフラじゃない。いいから休んで……」
『うるさいな! 私のことなんかどうでもいいでしょ!!』
魔虚羅君の怒鳴り声が響いて辺りが静まり返った。
自分のことなんかどうでもいい。
魔虚羅君が自分をそう思っていると分かる一言。
『あっ……』
自分の発言を理解して魔虚羅君の顔が目に見えて青ざめていく。
決して怒鳴るつもりなどなかったのに、言いようのない不安から怒鳴ってしまった。
『ち、ちが……そんな風に言うつもりじゃ……。ご、め……』
釘崎君に謝ろうとするも、それ以上の言葉が紡ぎ出されることはなかった。
糸が切れた操り人形のように魔虚羅君の体が地面へと倒れる。
「魔虚羅様、危ない!」
寸前のところで壊相君が魔虚羅君の体を抱きかかえた。
壊相君に抱えられた魔虚羅君は力なくグッタリとしてしている。
体のほうはとっくに限界を超えていたのだ。
それを一気に感じてしまい、動けなくなったようだ。
「ほら見なさい。私から見たら伏黒よりアンタのほうが重症なのよ」
『そ、そんなこと…な…ぃ』
立ち上がろうとするも力が入らないらしく空しい結果に終わる。
これ以上進むことは不可能だな。
「血塗、この辺りで魔虚羅様を休ませられそうな場所がないか探して」
「分かったぁ」
辺りの捜索を血塗君に任せて壊相君は魔虚羅君をゆっくりと座らせた。
しかし壊相君が支えているにも関わらずフラフラしている。
座っているのも辛いらしい。
『壊相さん…私は……』
「駄目です魔虚羅様。無理に動かないで下さい。生まれたばかりの不安定な身で莫大な力を使った魔虚羅様の体はもうボロボロなんですから」
「ホントそれね。あんなヤバい力2回も使えばそりゃ体おかしくなるわよ」
釘崎君が気遣いながら魔虚羅君に触れた。
すると釘崎君の顔がみるみるうちに強ばっていく。
「ちょっ……アンタ熱あるでしょ! さっきより体熱いわよ!」
何事かと思ったが、どうやら釘崎君は魔虚羅君が発熱していることに気付いたらしい。
確かめるために私も近寄って断りを入れてから魔虚羅君の首辺りに触れる。
……釘崎君の言う通り熱い。
元々体温が高くてではなく、間違いなく体調を崩して発熱している熱さだ。
まだ微熱程度ではあるが、更に上がるかもしれない。
フラフラだったのは疲労とこの発熱からか。
思っていたより悪い状態だ。
「熱があったとは……気付けず申し訳ありません」
「血塗君が戻り次第すぐに移動しましょう。壊相君、魔虚羅君を抱えて動けますか?」
「問題ありません」
「釘崎君は呪霊が出てきた時の対処を……」
『ひ、つようない。何とも…ないから』
しかし魔虚羅君は自分の体調が悪いことを認めようとしない。
もう立ち上がることさえ出来ない状態であるにも関わらずそれ否定する。
「魔虚羅君。今の君を見て万全な状態だと思う人は誰もいません。君だって本当は分かっているでしょう?」
『……少し、疲れただけです。もう大丈夫ですので』
「それは無理があります。壊相君に支えられても座っているのさえ辛いのだと誰の目にも明らかなのです。いい加減認めなさい」
『違います……私、具合なんて悪くありません』
「ですから……」
「待って下さい七海さん」
まるで進まない押し問答に待ったをかけたのは釘崎君だ。
魔虚羅君の隣にしゃがみ、顔をしっかりと合わせると確信を持って問いかける。
「伏黒から聞いてたんだけどアンタ人間だった時、家族からネグレクト紛いな扱い受けてたんでしょ? 今みたいに具合悪い時に酷いことされてたんじゃない?」
それを聞いて私も伏黒君が渋谷事変で待機していた時間に話していたことを思い出した。
魔虚羅君は人であった時、ずっと1人だったから心が欠けている部分があると。
詳しく話していたワケではないが、虐待を受けていたのなら頑なに具合が悪いことを否定するのも納得する。
体調を崩した時に肉体や精神を傷付ける暴力を受けていたのであれば、それは隠そうとするだろう。
『お、覚えてない。人間だった時の記憶なんかほとんど忘れてる』
「頭で覚えてなくても心は覚えてるもんよ。そこまで否定するんならよっぽど酷いことされてたのね」
釘崎君は魔虚羅君の頭をゆっくり撫でて落ち着かせる。
記憶にないことに怯える魔虚羅君が受け止められるよう優しく声をかける。
「大丈夫よ。ここにいる誰もアンタにそんなことしないわ。私達は魔虚羅のことが心配だから今魔虚羅がどんな状態かちゃんと知りたいの」
『……心配?』
「そう。アンタのこと心配するのは伏黒だけじゃないわよ。私だって心配だし、七海さんだってアンタのこと心配だから休んで欲しくて言ってるの。安心して言って。具合が悪いって言っても突き放したりしないから」
魔虚羅君は俯いていた顔を上げて釘崎君、私、壊相君の顔を見た。
それは『本当に酷いことしない?』と私達に問いかけるよう……いや、まさにそうだった。
魔虚羅君は表情がほとんど変わらないため感情が分かりにくいが、それでも分かってしまうほどだ。
一体どんな扱いを受けたらこんな表情になるのだろう……。
「魔虚羅様。繋がりを持つ私でも貴方が弱っているということしか分かりません。なのでどういった症状があるのか言って頂けると助かります。今どのような症状か分かったほうが私達も対処できますので」
「ええ、そうです。先程は強く言ってしまって申し訳ありません。釘崎君の言った通り、私もあのような力を使い死にかけていたのに全く休んでいない君のことが心配なのです。君にしっかり休んで欲しいんですよ」
『で、でも恵さんが……』
「仮に今伏黒君が目を覚ました場合、君の状態を見たらきっとショックを受けると思いますよ。自分が目覚めなかったばかりに君に無理をさせてしまったと」
『そ、それは……』
「伏黒君が心配なのは分かります。ですがそれは私達も同じです。伏黒君に何かあったら私達が必ずなんとかすると約束します。ですから魔虚羅君は休みなさい。伏黒君だって元気な姿の魔虚羅君を見たいでしょうから」
全員の顔を何度も見た魔虚羅君はようやく私達の言葉を信じてくれたのか、先程より体から力が抜け壊相君に寄りかかった。
壊相君もそれを受け入れ、魔虚羅君をそっと抱きとめる。
『頭、痛い。体も怠くて……なんかクラクラして気持ち悪い……』
「はい、よく出来ました。ったく最初からそう言えば良いのよ。横になったら少しは楽になるから、もうちょっと辛抱してね」
『……うん』
やっと魔虚羅君は自分の体調を口にした。
気持ち悪いと言った魔虚羅君が少しでも楽になるように、釘崎君は魔虚羅君の背中を摩りながら血塗君を待つ。
しばらく待つと血塗君が戻ってきた。
「兄者ー。あっちに病院があったぁ」
「丁度良いですね。そちらへ向かいましょうか」
「ええ。病院なら必要なものも粗方あるでしょう」
ということで血塗君が見つけた病院へと移動を開始する。
その頃には魔虚羅君は更にぐったりとしていた。
私達に話したことで張り詰めていた気が抜けたのかもしれない。
と、ここで不思議なことが起こる。
「魔虚羅様。八握剣をお持ちしてもいいですか? 持っているのも辛いでしょう?」
『じゃあ、お願い』
魔虚羅君が持っている剣を壊相君へ手渡した瞬間、魔虚羅君の頭上にあった法陣が消えたのだ。
……そう言えばあの時も壊相君が剣を持っている間、魔虚羅君の頭上に法陣がなかった。
まさか剣を持っていないと法陣が現れないのか?
「ねえ、その剣私も使って良い? アンタが使ってるの見た感じそれ退魔の剣なんでしょ」
「お貸ししたいのは山々なのですが、八握剣を持てるのは魔虚羅様だけです。私は魔虚羅様と繋がりを持つものということで魔虚羅様の許可が下りた時のみ特別に持てるだけ。他の方が持とうとすると恐らく腕が吹っ飛びます」
「何それ恐!!」
しかも釘崎君がその剣を借りようとしたらこの返答だった。
正当な持ち主でないと使えない武器などあるのか?
本当だとしたらまさに神具のようだ。
「まぁそれも魔虚羅様の状態が安定したら詳しくご説明します。今は病院に向かいましょう」
疑問は尽きないが、確かに最優先事項はそちらだ。
時間が経つにつれ魔虚羅君の体調はどんどん悪くなっている。
一刻も早く休ませなければ。
魔虚羅君の様子を見ながら移動すること10分ほど。
血塗君が見つけた病院にたどり着いた。
小さめだが入院病棟がある病院だ。
水道、電気、ガスはまだ生きている。
数日ここにいても問題なさそうだ。
「中に誰かいましたか?」
「ううん、いなかったぁ。皆もう避難したんじゃねぇかなぁ」
であれば人目を気にせず休ませられるだろう。
中に入ってみると、院内にいた人はかなり慌てて避難したようで物が乱雑に放置されていた。
使える物も結構ありそうだ。
一つ一つ病室を見て回り、比較的綺麗な6人部屋があったのでそこで休ませることにした。
「寝かせる前に体拭こっか。魔虚羅も伏黒も結構汚れてるし」
「そうですね。私は病院全体に呪霊の侵入を阻む帳を下ろしますので釘崎君は体を拭くのに必要な物を用意して下さい」
「了解」
私は伏黒君をベッドに寝かせると帳を下ろす。
壊相君は魔虚羅君をその隣のベッドに座らせた。
……熱が上がっているのか少し息が荒い。
『わ、私より恵さんを先に……』
「……同時なら異論はないでしょう。とりあえず釘崎君が戻ってきたらすぐ体を拭けるように上だけでも脱いでおきなさい」
『は、い』
「では魔虚羅様、少し失礼しますね」
壊相君と血塗君が魔虚羅君の脱衣を手伝っているので、私は伏黒君が来ている服を脱がせる。
かなり体を動かしているのだが、目覚める様子はない。
陀艮戦で受けた傷と凍らされていたせいで凍傷になっていた箇所は血塗君が治したから見た限り異常はない。
やはり【無為転変】の影響が強いようだ。
「わー、羽織の色黒だから目立たなかったけど血とか土で凄いことになってる」
「あれだけ出血していれば仕方ないよ。羽織は後で洗っておきますね」
『うん……』
「で? この鎧ってどうやって脱がすんだぁ?」
「えっと……ちょっと待ってね」
魔虚羅君のほうは胸部の鎧を外すのに少し苦戦していた。
手伝おうかと振り向き、魔虚羅君の体を見た私はある違和感を覚えた。
しかしその違和感の正体が分からない。
「あっ、背中側に留め具があるからこれを外せば良いみたい」
「腕輪も取っておくなぁ」
着々と脱がされていく魔虚羅君だがされるがままだな。
抵抗する気力もないのだろう。
そして壊相君が留め具を外し、鎧を取ったことで今まで隠れていた部分が露わになる。
「え?」
「えぇ?」
「は?」
『……へ?』
そこに現れたのは丸く膨らんだ女性の胸。
……魔虚羅君は男性の体じゃなかったか?
そこまで考えて私は先程感じた違和感の正体に気が付いた。
男性の体型じゃない。
筋肉質な体つきであることに変わりはないが、ウエストはくびれて腰つきが丸くなっている。
羽織を着ていて分からなかったが、間違いなく女性の体型だ。
一体何故?
あの時体が再構築されたように見えたが、まさか性別まで変わったのか?
いや、変わったというのは語弊があるか。
見た目はどうあれ魔虚羅君は女性の性格だった。
体を再構築した際に自分の性格に合わせて性別を変えたと考えれば……。
と、思考の渦にのまれてしまい私は思わず女性の裸体をずっと見てしまっていた。
驚きすぎて固まってしまった壊相君と血塗君も同じく。
魔虚羅君も自分が女性の体に変化していることに気付いていなかったらしく硬直していた。
「お待たせー。遅くなってごめん。中々見つからなくてさ。……ってどうしたの皆固まっ、て……!?」
ここで体を拭く物を用意するために離れていた釘崎君が戻ってきた。
しかしそれに反応できないほど全員が驚いて固まってしまっている。
何事かと釘崎君が全員の視線の先に目をやって、そして魔虚羅君の体の変化を知った。
釘崎君も驚きのあまり固まって動かなくなる。
『え……? な、何で?? 私は……』
混乱する魔虚羅君の声で真っ先に我に返ったのは釘崎君だ。
手に持っていたお湯を入れた桶とタオル、着替えをサッと近くのイスに置き、他のベッドから毛布を引っ張り出して手に持つと素早く魔虚羅君の体に掛けて姿を隠す。
この間、わずか3秒である。
「ちょっと男性陣!! いつまで女の子の裸見てるのよ!! あっち向きなさい!!」
釘崎君の怒鳴り声で私達も我に返った。
驚いていたとはいえ女性の裸体を凝視していたのだ。
怒られて当たり前だ。
「大変失礼しました」
「す、すみません」
「うん。魔虚羅ごめんなぁ」
「早くカーテン閉めて! しばらくこっち見たら駄目だからね!!」
「「「……はい」」」
慌てて壊相君がカーテンを閉め、すぐ後ろを向いた。
病室で良かった。
でなければ姿を隠せるカーテンなどないからな。
「魔虚羅、アンタこの変化知ってた?」
『知、らない』
「そうよね。知ってたら男の前で脱いだり体触らせたりしないもんね」
『何? 私どう、なったの? あの時死んだよね? 今の私は何なの? 誰か教えて……』
今にも泣き出しそうなほど魔虚羅君の声が震えている。
ただでさえ不安定だった心に追い打ちをかけられたようなものだ。
体調も悪いのだから相当辛いだろう。
「何も分からないってしんどいわよね。一先ず体拭こ。スッキリしたら少しは落ち着くと思うから」
「釘崎君、私達は一旦病室から出ています。何かあったらすぐに呼んで下さい」
「分かりました」
異性がいたら余計に落ち着けなくなると思い廊下で一時待機することにした。
出会って数日の私達より、付き合いの長い釘崎君のほうが気の利いた言葉を言えるだろう。
「いやー、でもびっくりしたなぁ。まさか魔虚羅が女の子の体になってるなんてなぁ」
「考えてみれば必然だけどね。魔虚羅様の前々世は人間で女性で、ずっとその意識が残っていたんだ。今回の転生の際に自分の意識に合わせて性別を決めたんだと思うよ。ちょっと考えれば分かったことなのに、魔虚羅様に悪いことしちゃったね」
「……?」
何だ壊相君のこの言い方は。
まるで魔虚羅君の身に何が起こったのか知っているという感じだ。
「君達は何を知っているのですか?」
思わず尋ねると壊相君はニッコリと笑い、口元に人差し指を当てて質問に答えた。
「全て……ではありませんがほぼ知っていますよ。あの時魔虚羅様が何をして、今どのような存在になっているのか」
やはり知っているようだ。それもかなり詳しく。
魔虚羅君自身さえ知らないのに何故?
「それを今話すことはできますか?」
「そうですね。恵さんが目を覚まされてから話そうかと思っていたのですが……いえ、やはりそうしましょう。そのほうが効率が良いですし、何よりもその存在について私達はあまりに何も知りません。皆さんのその場での意見も魔虚羅様に聞かせして欲しいのでまだ内緒にします」
「そうですか」
どうやら今壊相君から話を聞くことはできなさそうだ。
しかし血塗君の治癒能力のことを訊いた時と同じ返答とは。
もしやこれらのことは全て繋がっているのか?
「でもさぁ兄者。魔虚羅の胸綺麗な形してたよなぁ。大きさもCはあるだろ」
「……忘れようとしているのですから蒸し返さないで下さい」
「そうだよ。魔虚羅様の裸体を見て触れて良いのは恵さんだけなんだから、さっき見たことは忘れないと」
「そういう意味で言ったのではありません」
待つこと10分ほど。
病室から釘崎君が顔を出した。
「体拭いて服も着せたからもう入って大丈夫ですよ」
「ありがとうございます野薔薇さん。魔虚羅様の様子はどうですか?」
「正直良くないわね。横にさせたんだけど全然眠れないみたいで……。十中八九あまりに不安で眠れないんだと思うんだけど」
「とりあえず中に入りましょうか。伏黒君の体も拭かないとですし」
「では私がお湯を替えてきます。野薔薇さんは魔虚羅様の傍にいて下さい。同性の方が近くにいたほうがいいでしょうから」
「ありがとう壊相」
刺激させないようにそっと室内に入ると、ベッドの上で力なく横たわる魔虚羅君の姿が目に入った。
苦しそうに息をしているのに、顔はずっと伏黒君に向いている。
心配なのだろうが、もっと自分の体も労って欲しいものだ。
「あっ、胸タオル巻いてるだけだからあんまり見ないで下さいね」
「分かっていますよ。先程は不本意ながら見てしまい失礼しました」
『い、いいえ。私も気付いてなかったですから……』
「壊相君が戻ってきたら伏黒君の体を拭きます。見ているのが辛いのであれば姿を隠しますが」
『私は大丈夫…です』
「分かりました」
とはいえ全身を見せるワケにはいかないから顔だけ見えるようにカーテンの位置を調節する。
壊相君が戻ってきたので伏黒君の体を私と壊相君で拭く。
釘崎君と血塗君は魔虚羅君の傍に座って少しでも落ち着けるように釘崎君が背中を、血塗君が頭を優しく撫でていた。
そのお陰かさっきよりも呼吸が楽そうだ。
「……ん?」
伏黒君の体を拭いていた私はその右手が異様に硬く握られていることに気が付いた。
しかも呪力まで使っていて絶対に開かないようにしている。
どうやら何かを握っているらしい。
何を握っているのか気になり、無理矢理こじ開けた。
――シャラン
その手に握られていたのは勾玉の形をした鈴だった。
あまり聞いたことがない音色のする鈴だと思ったのだが……。
「あっ! それ魔虚羅の水琴鈴じゃないですか!」
と、釘崎君が声を上げた。
その声色からどうやら魔虚羅君にとって大事なものであるらしい。
「これは魔虚羅君のものなんですか?」
「そっ! 魔虚羅が伏黒から貰った宝物なんです。何処行ったのか分からなかったんですけど……そっか、伏黒が持ってたのね」
宝物か。
ならこの鈴が手元にないことも不安要素の一つだったのだろう。
私は鈴を釘崎君に手渡した。
鈴を手に取った釘崎君はすぐ魔虚羅君に鈴を渡す。
「ほら、あったわよ。見つかって良かったわね」
『……うん』
鈴が手元に戻ると一気に表情が和らいだ。
とても喜んでいると誰の目にも分かるのだが、少し大袈裟ではないか?
不思議に思っているとその答えを壊相君に言われた。
「魔虚羅様が生まれて初めて貰ったものですからね。貰ったその日、一等嬉しそうに話しておりました。決して高価なものではありませんが、魔虚羅様にとってはどんな宝石よりも大切な物です」
生まれて初めて貰ったものか。
恐らく人であった時も含めて、ということだな。
であるならここまで大事にするのは当たり前か。
ネグレクトされていたのなら親族から贈り物など貰ったことなどないだろう。
「ちょっと待っててね」というと釘崎君は部屋から出て行き、そしてすぐに戻ってきた。
その手には細い紐が握られている。
「応急処置だけどこうしておけばなくさないでしょ」
結び紐がなくなっている鈴に紐を通して、それを魔虚羅君の左手首につけた。
成る程。これならなくさないな。
『ありがとう野薔薇さん』
「いいってことよ。でも本当にアンタは伏黒のこと大好きね」
『……好き?』
釘崎君の言葉に魔虚羅君は首を傾げた。
「好きでしょ。伏黒から貰った鈴こんなに大事にしてるんだから。あっ、勿論異性としてって意味よ」
『……分からない。人を、誰かを好きになったこと……ない』
小さく首を横に振った魔虚羅君を見ると、本当に分からないのだと痛感する。
心が欠けている影響もあるのだろうが、それ以前に愛し愛された経験がないからかもしれない。
「伏黒といるとドキドキしない? ずっと一緒にいたいとか役に立ちたい、喜んでる顔が見たいって思ったことない?」
『ない』
「うーん、呪いのせいで自分じゃ感じられないのね。でも私から見たら魔虚羅は伏黒のこと大好きだって分かるわよ。ていうか伏黒が好きだから女の子の体になったんだろうし。感じられるようになったら伏黒に好きって言いなさい。伏黒喜ぶから」
『……言わない。こんな人外に好きだって言われても、誰も嬉しくないでしょ』
「そんなことにないわよ。そりゃ見た目は人じゃないけど、こんな純粋な子中々いないわ。アンタに好かれたら嬉しい人のほうが多いと思うけど」
『それこそないよ。私は……何も出来ない落ちこぼれなんだから』
そう言った声は心底自分がそうだと思っていると感じられるものだった。
魔虚羅君は自分が何も出来ない落ちこぼれだと思っていたのか?
確かに死滅回遊は始まってしまったが、魔虚羅君は誰にも出来ないことをやってのけた功労者だ。
一体何が彼女にそうだと思い込ませているのか。
『皆…恵さんの具合悪くなったら、私は置いて行っていいから……恵さんを助けて』
「はぁ!? 急に何言い出すのよ! そんなことするワケないでしょ!」
『……でも、私がいたら……。大丈夫、置いて…行かれるのには慣れてる、か……』
「魔虚羅?」
声が段々と小さくなり、ついに聞こえなくなった。
容態が急変したのかと思ったのだが……。
「あー、寝ちゃったみたいだなぁ」
どうやら違うらしい。
何処をどう見たら眠ったと分かるんだ?
「え、これ寝てるの?」
「うん。魔虚羅寝ると頭の翼畳むんだぁ。知ってるのは恵と俺と兄者だけだろうけど」
「そ、そうなんだ」
確かに翼を畳んでいる。
それを知っている人がいて良かった。ではければ慌てるところだ。
本当ならやっと眠ったと安堵するべきなのだが、そう思うことはできない。
自然に眠りについたワケではなく、体力の限界に達し気絶したと言った方が正しいからだ。
それでは体が休まらない。
「置いて行かれるのには慣れてる、か。もうその言葉だけで全てを物語ってる気がするわ。……馬鹿ね。誰もアンタのこと置いて行ったりしないのに。弱ってるせいでもあると思うけど、すごいマイナス思考。様子がおかしいとは思ってたけどここまでなんて」
「そうですね。私は魔虚羅君と会って数日ですが、それでも彼女の様子がおかしいと分かります。伏黒君ならその原因が何かすぐに分かると思うのですが」
まぁ例え原因が分かったとしても、やはり魔虚羅君の心に一番響くのは伏黒君の言葉だろう。
あの暴走状態の時でさえ、誰が何を言っても止まらなかったのに伏黒君の言葉にはすぐに反応して止まったのだ。
このまま不安定な状態が続けば心が耐えきれずに壊れてしまうかもしれないから尚更そう思うが。
「全く……早く起きなさいよ。アンタ魔虚羅のこと守るって言ったんでしょ? 今守んなくてどうすんのよ!」
「こらこら。恵さんの状態がどうなっているのか分からないのですから無理に起こしてはいけませんよ」
我慢できずに釘崎君が伏黒君の頬を強めにツンツンと突いた。
それを壊相君が止めるが、相変わらず起きる気配はない。
長期戦になるかもしれないな。
「伏黒君と魔虚羅君の様子を見ながら私達も休みましょう。私と血塗君、釘崎君と壊相君と別れて5時間交代でどうですか?」
「いいですよ」
「私もそれで構いません」
「俺もいいぞ」
「決まりですね。では先に釘崎君と壊相君から休んで下さい」
「ありがとうございます。野薔薇さん、私が見張りをしますので先にシャワーを浴びてきて下さい」
「え、いいの? じゃあ遠慮なくそうさせて貰うわ」
昏睡状態の伏黒君にあの時の暴走と心因性で体調を崩している魔虚羅君。
どちらも予断を許さない状態だ。
なるべく目を離さないようにしなくては。
◇◆◇◆◇
……。
…………。
苦、しい……。
早く…起きないといけないのに、体が言うことを聞いてくれない。
あの時、魔虚羅は最悪のタイミングで前世の記憶の一部を思い出してしまった。
しかもよりにもよって最悪の部分を。
伝わってくる恐怖と孤独感。
一番傍にいてあげないといけなかったのに、いてあげられなかった。
更に最悪なのが魂の繋がりを切られたこと。
魔虚羅にとって孤独じゃないと感じられる唯一の繋がりだったのに、それを切られた。
前世の記憶を思い出したせいで心が不安定になっているのに更にそれを切られたら心が壊れるんじゃないのか!?
いや、それ以前に術者と式神という形で繋がっているものを切られたらどうなる?
……破壊じゃない、存在そのものが維持できなくなって死ぬ可能性が高い。
嫌だ。
まだ“本当”の彼女を見ていないのにそんなの……。
けど抵抗空しくあっけなく繋がりが切られた。
残っていた呪力を全部使って抵抗したけど無駄だった。
呪力を失って体の力が抜け、意識が遠ざかる。
視界が閉ざされていく中見たのは塵に成り消えていく魔虚羅の姿。
守ってやるって誓ったのに……ごめ、ん……。
そう思いながら、プツリと俺の意識は途絶えた。
『……て!』
『……い。起きて! 恵さん!』
真っ暗な意識の中、頭に声が響いた。
魔虚羅の声だけど何か違うような……。
『魂が深く傷付いていて起きられないのは分かる。でも一瞬で良いから起きて! あの子を止めて!』
あの子?
あの子って誰のことだ?
『お願い。あの子は今自分の変化に心が耐えきれなくて自我を失ってる。まだ生まれたばかりでその力を使うには体の負担が大きすぎるのに。このままだと死んでしまう! あんなこと出来るのは一度きりだ、もう一度なんて出来ない! だから止めて! 貴方の言葉であればすぐに止められるから!』
ワケが分からないけど、とりあえずその声に従って重くなった瞼をこじ開ける。
すると血だらけで五条先生と虎杖に拘束されている魔虚羅の姿が目に入った。
あの子って魔虚羅のことなのか?
疑問は尽きないが、血だらけでボロボロなのに暴れる魔虚羅を止めないと。
俺はなんとか言葉を紡ぎ出す。
俺の声が聞こえたのか魔虚羅は止まってくれた。
ああ、良かった。
ホッとした俺はまた意識を失った。
……いや、そんな場合じゃねぇだろ俺。
魔虚羅はどうなったんだ?
確かめるためにも起きないと。
早く、早く……。
なのに全然起きられない。
何でだよ、早く起きろよ!
じゃないと魔虚羅が……。
「■■、こっちにおいで」
そう思っていたらまた声が響いた。
今度は聞いたことがない声。
その声が響いた途端、頭に何か映像が流れ込んできた。
「おばあちゃん。これなに? とげとげしててこわい」
「ああ、これは触っちゃ駄目よ。毒がある毛虫だから触ったら凄い痛いの」
「えー、もっとこわいよ」
映像の中に幼い女の子と老婆がいた。
老婆に見覚えはないけど、女の子には見覚えがある。
今まで見た中で一番幼い姿だけど間違いない。
魔虚羅の前世の姿だ。
じゃあこれは……魔虚羅の前世の記憶。
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八握剣異戒■■■魔虚羅
自分の身に起こった変化について何も分からないのと伏黒恵が意識不明のせいでSAN値がゴリゴリ削られている成り主。
あまりにも余裕がなさすぎて自分が女性体になっていることにも気付いていなかった。
前世の記憶を一部だけだが思い出してしまったのも相まってもの凄いマイナス思考になっている。
釘崎野薔薇
伏黒恵の代わりになんとか魔虚羅を落ち着かせようとしている本編ヒロイン。
魔虚羅の心が弱い理由を伏黒恵から少し聞いていたので対応できた。
流石に女性体になっていることには驚いたけど、まぁ伏黒のためにだろうなーと確信している。
七海建人
なんとか高専に戻ろうと指揮をする作中屈指の常識人。
早く戻らないといけない状況ではあるが、それ以前に魔虚羅の容態が悪いので休ませることを優先した。
【無為転変】の恐ろしさは身をもって知っているので、それをもろに食らってしまった伏黒恵の容態も気になるところ。
事故とはいえ柄にもなく女性の裸体を見てしまったので、脳内から消去しようと頑張った。
壊相
魔虚羅の■■となった呪胎九相図二番。
魔虚羅のことは母のような姉であると同時に尊敬する主になった。
ただそういう存在になっても自分では弱っていることしか分からないのでとても心配している。
なので女性体になっていることにも気付けなかったが大して気にしていない。
精々「これから魔虚羅様の身の回りのお世話は私の仕事なのにできることが減ってしまったな」くらいなもん。
血塗
魔虚羅の■■となった呪胎九相図三番。
ワガママ言って魔虚羅から貰った力だけど存分に発揮している。
壊相ほど器用なことはできないけど、魔虚羅の役に立つのだとやる気十分。