いよいよ転職まであと1週間とちょい。

期待と不安が入り混じる。


GWの転職活動開始から約半年。

やっとここまで来た。


今の職場にもう愛着はないが、やることはすべてやった。

引き継ぎも殆どこなしたし、あとは挨拶だけ。

後悔はない。前に進むだけ。決してそれが棘の道であっても。

それが自分が選択した道だから。


知り合いに「よく考えろ」とか言われたが、

自分のすべてを知らない人にそんなこと言われたくない。

だから、自分の思うとおりに転職活動した。

運命なんて、努力次第で変えることだってできる。自分はそう信じる。




いよいよ、新しい人生のスタートへ。

経験値リセットではないが、ドラクエ3で転職してレベル1になったくらいの感じで考えたい。

死に物狂いで新しいことに取り組んでいく。


モットーは「挑戦」まずは3年、しがみついてでも。

祖父が亡くなった…
87歳。大往生というべき年齢。

思い返すと、やっぱり自分はおじいちゃん子だったと思う。
小さいころの記憶が沸々と甦る。




近所の道を毎日のように散歩し、木苺やあけびを食べさせてくれたこと…





自転車に乗る練習に付き合ってくれたこと…





旅行に行くとき、車の助手席で膝の上に座らせてくれたこと…
(今じゃ絶対捕まる)




祖父の運転する4WDの軽ワゴンで、色んなところに行ったこと…





幼稚園であったことをいつも聞いてくれたこと…





仕事場の親睦会の場にも連れてってもらったこと…





高校の時も、ラグビー部でしょっちゅう怪我してた自分を送迎もしてくれた…




思い出は尽きない…
唯一の直系の男孫だから、特に可愛がっていてくれた。


仕事してからは、たまにしか帰省できず話をすることも少なくなってしまったが、
いつも気にかけてくれた。


昭和天皇と同じ誕生日だったこと。
帝国海軍の一員だったこと。それも自慢の一つであった。

海軍出身ということもあるけど、自営で鉄工所をやってたこともあり、職人気質だった。
自分がとことん物事にこだわるのも、その血を引いているからだと思う。



数年前に嚥下障害になってからは、食べ物が食べられず、栄養剤での
栄養補給となって、みるみる痩せこけていってしまい、見るに堪えなかった。
あれだけ活発に動いていたのに…元気な時を知っているからこそ辛かった。

亡くなるまでの1週間は、もう言葉を発する気力もなかった。
こっちが話しているのは聞こえるようなのだが、応答して会話したいのに、
声が出ないのだ…
本当に苦しかったんだと思う。


危険な状態になってからちょうど1週間だった。
思い込みかも知れないけど、12年前に亡くなった祖父の兄、9年前に亡くなった祖父の兄の妻が、
「もう、精一杯やったじゃないか。こっちにおいで。あとはみんなに任せなよ」
と言って連れて行ったのだと思う。
向こうで、大好きなお酒をたくさん飲んでいるでしょ。


お別れになるけれど…心残り。
姉の旦那の顔、姉の子である曾孫の顔は見ることはできたのだけど、
自分の嫁さんの顔や自分の子供の顔を見せることがとうとうできなかった。。

それと、怖くて聞けなかった、海軍時代の話。
タブーのような気がして、ずっと聞けなかった。


本当に悔しい。


心配なのは祖母。いつも喧嘩してたけど、まさに「喧嘩するほど仲がいい」の
典型例な夫婦で、いつも一緒だった。
祖父に先立たれたことでショックを受けなければいいけど…



先日、転職を決めたのは前回、前々回のブログのとおり。

その転職にあたり、自分の想いを託す覚悟が出来た。

・現状の仕事(まあ、これは今の体制になってから思い入れなんてないが)
・テニス特に実業団への挑戦

1つ目は、ただ引き継いで「きちんとやってくれよ」で済むのだが…
入社以来、目標であった実業団でのシングルス出場は夢と消えそうだ。
この想いを託せる人間がいる。
道半ばにして去るのは断腸の思いだが、想いを受け継いで果たして欲しい。
仕事面より、このテニス面のほうが現在の会社の退職を考えたうえで大きな足枷となった。
(それだけ、テニスに対しての想いが大きかった。エースは同期だし)

この想いを、後輩に託す。それはきっちり伝える。
完全に昨日の練習で吹っ切れた。


知り合いに「限界と感じて線を引くな」と言われたことがあるが、それで実力のない奴がずっと第一線で活動しても、意味ないでしょ?と思う。
能力のある後輩がいるなら、現実を受け入れて身を引くべき。プロ選手じゃないんだから。いつまでも頑なにその場にこだわっているのは権利・権益に取りつかれているから。それか何かやましいことがあるからだ。


そういう意味でも、自分は後輩にすべてを託して、新しいステージに挑む。