前回の転職から3年。 巨大案件にも参画したり、色々とチャレンジングな仕事もこなしてきた。

 

 しかし、今年で35歳。次の転職にはギリギリの年齢。 3年前の転職直前に祖父が大往生を遂げたこと、東京一極集中への危機感、 最近帰省した際の田舎の安心感、ほっとする感じ、両親が歳をとり、いつ動けるか分からないこと、 全部ひっくるめてUターンした方が良いと判断。

色々な人に、「そんな土地売ればいいじゃん」「地元に仕事あるのか?」とか言われたが、 先祖代々(とはいえうちは分家なので自分が3代目)の土地や家、自分の故郷を守る思いもあったし 東京に近いうちの地元は人が足りなくて困っていると思うと考えていたので、聞く耳もたなかった。

 

 そりゃ、給料は下がるし、車は絶対必要だけど、車はもともと持っているし、 年収2割~2割5分減は既定路線だろ、と思ってUターン転職活動開始。

 Uターン転職に強いエージェントにお世話になった。 Uターン転職するからには、今の生活でつながっていることを捨てる覚悟も必要。 そして、今までのキャリアを生かす仕事でないといけない。 未経験で入ると、より地獄になるだろう。 そう思ってエージェントに思いを伝えて、GW中にエージェントと面談。 何件か求人を紹介してもらい、3件ほど興味がもてる求人があった。 うち2件は実家から通勤できる範囲内。もう1件は1人暮らし継続。 だが、その1人暮らし継続案件にびびっと来た。「こんな仕事してみたい!」と。

 

 結局、3件ともすべて応募した。 その第1志望の案件は一度書類選考で落とされたが、エージェントの担当の方が粘り強く交渉してくれた。 そのおかげで、面接にこぎつけて頂けた。本当に感謝している。 東京でした転職活動の時はこんなことないし、普通はありえない。

 

 他2件もめでたく書類選考を通過し、面接まで行った。 選考経過を少し。

 

S社:書類選考(5月中旬)→1次面接→SPI試験→筆記試験→最終面接(6月上旬)→内定→受諾

N社:書類選考(5月中旬)→1次面接(6月上旬)→辞退

T社:書類選考(5月中旬)→筆記試験→1次面接(5月下旬)→最終面接(6月上旬)→内定→辞退

 

参加したことないし、したくてもできなかったアメリカ横断ウルトラクイズで東京ドームか成田で負けて敗者復活し、本土上陸を果たしたような感じかな。よくわからないけど。罰ゲームなしのウルトラクイズという感じかもしれない。進むのみという。

 

兎にも角にも、S社への入社が決まった。10月まで待っていただけるとのことでありがたかった。 色々と課題も出されたが、クリアして頑張るしかない。 というわけで、6月上旬にはUターンが決まった。 両親も喜んだし、何より心配していた祖母も一安心だったみたい。 今、所属しているコミュニティや会社には早めに伝えた。特にコミュニティが一番断腸の思いだったけど。 月1回程度なら参加できる距離だから、踏ん切りがついたといえる。

 

現業が多忙、夏になると高校野球観戦でプライベートも忙しくなり、7月と8月の予定は8月の夏休み終わりまで埋まっており、その合間に転職先の近くへ新居を探しに行った。

本当に内定を受諾してからあっという間。光陰矢の如しという言葉があるが、まさにその通り。 現業をきっちり終わらせて引き継ぐことを第一に考えていたらあっという間に夏が過ぎ、涼しい風が吹くようになっていた。

 

もう、新生活は目の前まで来ている。 引越の準備は全然進んでいない(ラスト出勤月なのに60Hの残業とかしてるし…)けど。 刻一刻と迫る今の生活との別れ。後悔がないと言えば嘘になるけど、少ないようにしてきた。 別れがあれば、出会いもある。よく3月にこんなフレーズを耳にするけど、自分は今。

かなり深く入り込んで自分も中心になって動いたコミュニティもあったし、仲の良い友人も多いから、その思いは強い。 だけど、今生の別れなわけでもないし、どこかで繋がっているはず。

そのコミュニティに対しては、いつか地元でのコミュニティとの対抗戦を組みたいななんて思っている。もちろん、どちらかが遠征してね。遠征費が膨大だろうけど。

 

長くなったけどUターン転職の理由は以下。(結論は本当は先に言わなきゃいけないんだけどね)

・先祖代々の土地・家を守るための技術習得(草刈り、畑の管理、庭の管理etc..)

・両親が動けるうちに上記の内容を覚える必要がある

・東京にいると2か月に1度くらいしか帰省できず、時間も限られる ・東京一極集中が年々進む中で、地方を守りたい(伝統行事なども)

・田舎育ちなので、田舎暮らしは慣れているし、都会は疲れる。

・やりたい仕事があるなら、東京にいなくても十分

2012/9
とあるところで、耳にした閉店の噂。
いざ確認しに帰省がてら行ってみると本当だった…年内はできるだけ帰省の機会を増やして行こうと決めた。

2012/12/23
まさに、「そのため」だけの帰省だった。年内で宇都宮の人気店「平塚」が閉店すると。最後に食べに行かないと!
湘南新宿ラインに揺られること2時間、バスで30分…

高校生の時から13年間、慣れ親しんだ味との別れ。ある意味、「青春の味」との別れだった。
麺も、スープも、チャーシューも、餃子も、惜しみながら食べた。

2013/5
実家に知らせが。沖縄に餃子の店を開いたとのこと。実家にはそこから大量の餃子が送られていた。まさに、「あの餃子」だった。いつかは沖縄に直接行こうと決めた

2015/4
仕事の関係で沖縄の人とやり取りをする中で、「その店」を紹介。
しかし、数日後に衝撃の事実を知る。
店主が亡くなったと…
理由を知るまで1ヶ月以上かかった。

もう、あの味を食べることは一生無理なんだな、と。
何で去年沖縄行かなかったのだろうという後悔も出た。それだけショックだった。


2016/6
ふとしたきっかけで、「復活」の噂を耳にする。
畑違いの分野に進んだ息子さんが継いだのか?などと考えたが、宇都宮を閉店するときの助手が継いだとのこと。帰省時に訪問することを決めた。

2016/7/3
いよいよ訪問。
確認したい点があった。

・先代のメンバーズカードは使えるか
・味は一致してるのか
・サービスレベルは維持できているのか
・店主は?

午前10時に店の前に。既に先客が(笑)

じめじめした暑さの中待つこと約1時間。暖簾が出されて開店。

注文を取りに来た店員に聞く。
私「あのー、先代の店のこのカード(裏メニュー専用カード)使えますか?」
店員「大丈夫ですよ!新たに発行しませんが、持っていただいている方にはお出しできます」

やったー!二代目もあの裏メニューが食べられる!

10分弱待っただろうか。
目の前にあの裏メニューがやって来た!
ああ、これだ。
あっさりとした鶏ガラベースの醤油ラーメンの上に刻みネギ、そして肉厚のチャーシュー3枚!


まずはスープから。
うん。少し塩気が強いが先代とほぼ変わらない味。

次に麺。
縮れ具合が昔を思い出させる。
スープが絡んで優しい味。少し細いかな?と思うけど、仕入元の製麺所の機械が変わったのかな?

そして、チャーシュー。
これは店の前に到着した瞬間に「あーこの匂いだ。」って懐かしくなった。
柔らかさ、味も変わらず。先代も喜んでるだろうな。

最後に餃子。
ん?焼き方が違うかな?あと、餡が少ないかな。お湯を入れて煮るように焼いてないのかな?
餡の味は昔のまま。舌が覚えてる。


完食し、会計。
店主は私を覚えていてくれた。

店の壁には、店主と先代が若草の店で撮った写真や、プライベートで楽しんでる写真があった。

本当に、先代をリスペクトし、あの味をまた皆に食べてもらおうと努力してるんだな。

開店当初で相席はさせないとか、暑い中待っている間にパラソルがないとか運用面で課題はあるけど、時間が解決するだろう。

ごちそうさまでした。
そして、これからも慣れ親しんだ味にお世話になります。







今日から、日記を書く。
ふとここのブログを見て思い出した。

昨年9月に他界した祖父が毎日、手帳に日記を書いていたことを。
他界したのち、遺品を整理していたら、昔の手帳が出てきて……

最後まで、家の行く末を気にしていていた。
まだ、転職前のことだったから、ぼんやりとしか決めていなかったけど決めた。


ある程度のキャリアを積んだら、地元に帰る!


あの広大な土地の管理(地主じゃないよ。田舎はどこの家も敷地がやたら広い)が必要だから。
畑を耕し、種を蒔き、草刈りしたり、収穫したり、植木の見た目を整えたりとやることは多い。還暦をとうに過ぎた親には結構な重労働。まだ体が動くうちに覚えておかないと。

……脱線した。


仕事は今、楽しくやれてる。
変に抱え込むことなく、他のメンバーと連携してうまく負荷分散しながら。


仕事等で抱えるストレスが無くなったせいか、テニスも好調。身体に変な硬さが無いのが大きい。だから、思ったように動けている。

私生活でも余裕が出た。
だから、今まであまり行かなかった飲み会やパーティー、合コンにも積極的に行くようになった。
今、全てが充実している。


日記のはずが近況報告になってしまったがまあいいか。