いじめは、幼稚園や保育園、小学校も低学年、中学年、高学年、そして中学校、、と成長や発達と共に質が変わってくるような気がする。



まだ幼い時は、見た目の違い、言動の違いなど、自身よりも劣っている、自分と違うと感じ、口に出したり、仲間はずれにしたり、手を出すこともあると思う。



中学生になると、経験も知識も増えてきて、家庭で居心地が悪かったり、鬱憤(うっぷん)の溜まった生徒が、言い返して来ないような、自分に返って来ないような人を見定めてターゲットにするようになり陰湿化(いんしつか)し、最悪の場合、いじめられた側が悲しい選択をしてしまうこともあるのだと思う。



私は中学2年から3年生の時のいじめが1番辛かった。


いじめの発端(ほったん)となったのは1人の同級生だ。


彼女とは、保育園で1年間、小学校で6年間、中学1年では、田舎の1学年1クラスしかない小学校から、1学年9クラス、40人編成の中学校に入り、クラスに女子で同じ小学校出身だったのは、彼女と私の2人だけだったので、否が応(いやがおう)でも一緒に行動せざるを得なかった。



中学2年になる時にクラス替えがあり、更に2年間、彼女と同じクラスになることになった。


進級してすぐは、やはり彼女と行動し、スクールカースト的に1軍に属している人達と一緒にいた。



新しいクラスでトップの地位にいた子が、日が経つに連れ、私のことを気に入らないと言い始めるようになった。


2年生になって1ヶ月ほどが経った日、いつもと変わらず、家から彼女と近所の同級生と3人で自転車で登校し、教室に入った。



授業が始まるまでの時間に、彼女が私の元に近づいて来て、わざとぶつかった。


「汚っねぇー。触っちゃったー。」と言い、自分の肩を手で拭い、昨日まで一緒にいた4人の輪の中に駆け寄って、身体に付け合う仕草(しぐさ)をしてキャッキャと騒いでいた。



自分を守るために、私を切り離したのではないだろうか。



彼女は、母親がスーパーに勤めており、ライバル店には絶対に行ってはいけないと言われて来たり、家の中でも制限が多く、彼女の言い分を聞いてもらえずに育ったようだった。



両親と姉と4人家族で、誰の言うことを聞けば過ごしやすいのかを観る能力に長(た)けていた。


保育園や小学校の時も、大人の顔色を伺い、上手く立ち回っていた。


そして、息をするように嘘がつける人だった。



中学は、当時、1学年360人ほど居て、全校では1,000人を超す生徒数だった。


時代も時代で、田舎なので、金髪にしたり、男子生徒は、短ランや長ランにボンタンという服装で登校して来る人がいたり、

女子生徒は、超ロングスカートや超ミニスカート、

ピアスをつけている人や、校内で煙草を吸う、校庭をバイクを2人乗りで走り回ることも日常茶飯事(にちじょうさはんじ)だった。



校内暴力も多く、しょっちゅう緊急の全校集会や学年集会が行われた。


先生達も力では敵わず、徐々に見て見ぬふりをしていった。


当時の担任も、大事(おおごと)にはしたくない人物で、不良たちの機嫌をとるような言動をとっていた。


いじめや暴行の現場も、愛想笑いをしながら素通りして行くような人だった。



現在は、校長になっているので、生徒一人ひとりのことを考えるというよりは、地位や名誉、権力、出世などに興味がある人だったのだと思う。



その日から、私は他のグループの人たちと一緒にいるようになった。

いわゆる2軍にいた。


荒れているクラスの中で、1軍から2軍に落ちてくる人は次々と現れた。

昨日まで、聞こえるように悪口を言ってきていた人が仲間になり、悪口を言われる側になったり、

逆に、目をつけられていたような人が1軍に補充されたり、入れ替わりが目まぐるしい状況だった。



私が、クラスで「いじめてもいい人」と認識されると、ベタに上履きに画びょうを入れてくる人、机と椅子を靴で踏んで倒しておいたり、教科書に落書きをする人、自転車を側溝に落としておいたり、無視はもちろん、大きい声で陰口を言って笑ったりする人が瞬く間に増殖していった。


体育の時間には、足を引っ張らないようにすれば、「何張り切っちゃってんの」と笑われ、目立たないようにしても、「あいつやる気あんのかよ」と腹を立てられ、私にとって正解の分からない状態だった。




運動会練習では、1年の時には普通に話していたヤンキー達の耳にも噂が入り、2年から標的にされ、全校生徒の前で1人で前に出て応援歌を歌わされ、声が小さいと次から次とメガホンで叩かれ罵倒(ばとう)された。


6つの小学校から集まっている中学で、田舎(いなか)度合いも違った。


学区内でも1番の田舎の小学校出身だったことが、彼女の中で劣等感となっていたのかもしれない。

自分の住所は厳密に言うと、あそこではないと強調していた。


同族嫌悪(どうぞくけんお)もあったのかもしれないなと、今になって思う。


自分自身に極端に自信がなかったのだろう。


このクラスで誰の言うことを聞いていれば安全なのかを瞬時に判断し、子分のような存在に回り、常に機嫌取りをして、

「あの人に言いつけてもいいのか?」と、

虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)になっていた。



彼女が2年間仕(つか)えた人は、クラスのトップから落ちることはなかった。


その人には、兄と姉がいた。その人もまた、家庭で虐(しいた)げられていたのだろうか。

家庭内では、いい子を演じていたのかもしれない。



彼女とは違い、その人は、学区内で最も都会の大きい小学校の出身だった。

自ら手を汚すことはなかった。いつも周囲に命じて手を下させていた。


支配欲に駆られていたのだと思う。


卒業式の時に、私に近寄ってきて、アルバムの寄せ書きを書いて欲しいと言ってきた。

その人は、私の卒業アルバムに、「いつも君の味方だよ」と書いて去っていった。


中学卒業後、その人は、家庭の事情で県外の高校に進学した。