私が3歳から生活していた母の実家。
祖父母と私が住む母屋の他に、
同じ敷地に跡継ぎとして育てられた祖父の長男の別宅があり夫婦2人で暮らしていた。
しかし、長男夫婦の間に子供が授からず、不妊治療にも熱心に通っていたが精神的にも肉体的にも、金銭的にも限界を迎え夫婦仲に亀裂が入り始めていた。
田舎で世襲制が色濃く残る地域で、数十代と続いた家系。
私は自分が代わりに婿をもらい絶やさぬようにすることが使命と考えるようになっていった。
祖父が死去し、
相続人が集まり腹を割って話し合った。
祖父の3人の子供のうち、私の母である長女を除く長男と次女は、私が養女になっていたことを知らず
快く思わなかった。
私は改めて、住む場所がないために置いてあげていたという主張を実感した。
祖父が私に最も伝えたかったのは、晩年に祖父の部屋で2人きりで居た時にボソッと言った
「お前のいいようでいいんだからな。」
という言葉だったのではないだろうか。
役所に祖父と一緒に養子縁組の手続きに行った後、
祖父が旧友と公証人役場に行く約束をしてしたにもかかわらず、結局公正証書遺言を遺さなかった。
祖父がノートにまとめていた家系図のようなものには、30代目の祖父の名前までしか記されておらず、その続きには祖父の長男の名前も私の名前も書かれていなかった。
叔父は祖父の長男として、私は外孫として名を連ねられていただけだった。
・ 公的な遺言書を作成しなかった点。
・ 簡易的な家系図に家督として誰をも指名していなかった点。
・ 祖父がどれほど家のために身を削ってきた人生だったか。
これらを考慮すると、
あの一言は、私に残りの人生を家の犠牲になることなく、自由に自分で選択して生きてもいいというメッセージを込めた言葉だったのではないか。
今は約30年暮らした家から離れ、婿として母の実家に入ってくれていた夫と2人で生活している。