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レース好き(TV観戦)のメカ音痴のそれでもレース好きブログ

レースが好き。でもメカ的な物はわかりません。それでもレースが好きです。 特にインディカーが好き。

ジャスティン・ウィルソン

イギリス出身のレーサー。

身長190cmとドデカイドライバー。

国際F3000チャンピオンでもあり

元F1ドライバー。

2004年からはアメリカ、インディカーへと

移り、参戦し続けている。

2002年ミナルディからデビユーして、シーズン中にジャガーへと

移籍、この時はずいぶん期待されているドライバーなんだなーと

思った。今までもシーズン中の移籍ってミハエルとか

トゥルーリとかトップチーム所属だったり優勝を

経験するドライバー達ばっかりだったから。

でもシーズン終了後には離脱・・・。

首脳人の、なんか読みが外れました。的な放出だったのか??

でも翌年はアメリカのチャンプカーへと渡り、優勝も経験!!

順風満帆なアメリカ生活の始まりの予感だったけど・・・。



正直、ここ数年のインディカーの中で、トップチームは

ガナッシ、ペンスキー、浮き沈みの激しいアンドレッティと

3チームくらい。ガナッシとペンスキーは長年に渡り

トップだけど、それ以外ではKVも時と場合により

勝てるチャンスはある。

でも、ウィルソンはコンクエスト、デイルコイン、

ドレイヤー・レインボールドと中堅以下を

渡り歩いている。(一回ニューマン・ハ―スにいたけどね)

何故?? デイルコイン(至って下位チーム)では優勝するし、

現在の(ケガで療養中)ドレイヤー&レインボールドでだって

昨年から予選などで上位に入るし、ドライバーとしての

ポテンシャルは全然あると思うけどな・・・。

でも、ドレイヤーって今年、チーム力上がってますよね??

助っ人で走った、パンターノだってそれなりに速いし。

来年はパンターノ、アメリカでレギュラー参戦しないかな、

結構、面白くなると思うけどな。

アレジがインディ500、走るよりよっぽど良い

レースになると思うけど。




話はウィルソンの獲得した国際F3000のチャンピオンについて


元国際F3000のチャンピオンで今年のF1

もしくは、インディカーに参戦している

ドライバーは以下の通り

①ニック・ハイドフェルド(シーズン途中で解雇)

②ブルーノ・ジュンケイラ(ここ数年スポットのみ)

③ジャスティン・ウィルソン(ケガによりシーズン途中まで)

④セバスチャン・ブルデ―(スポット参戦中)

⑤ヴィタントニオ・リウッツィ(レギュラー参戦中)

・・・・。

みんな、苦しいF1生活を・・・。

ジュンケイラにいたってはバトンにトライアウトで

敗れてF1に参戦できませんでしたが。

そう考えると今のGP2出身のドライバー達は

優秀と考えるべきか??

GP2のパッケージがF1に寄せて作ってあるから

F1への順応が早いを理由にするか??


でもモントーヤだって国際F3000

チャンピオンだしね。

結局、答えは出ないな・・・。


がんばれー元国際F3000ドライバー達よ!!

GP2のゆとり世代に負けるな!!


ウィルソン、ケガ早く治して来年もインディカーで

走って下さい。トップチームをひっかきまわして下さい。











ダリオ・フランキッティ

奥さんは女優のアシュレイ・ジャッド、歳のわり綺麗な人!!

KOOLグリーンの頃からボーズか短髪だったけど

チップ・ガナッシに移籍したぐらいから

普通に髪の毛伸ばして、初めて天然パーマだと気付く!!

だからずっと短髪だったのか!!

CARTの頃はまぁー年間3勝くらいはするドライバーだろうな

とおもってて、99年にシリーズ2位だった時は

運がないなぁーと(1位と同ポイントだが優勝回数で2位に)

こりゃ、F1にはいけないドライバーだと感じた・・・。

だって、ルーキーのモントーヤにチャンピオン持ってかれたし

やっぱF1に行くやつは(もしくは欧州に戻るやつは)

時折、ぶっちぎりな速さを見せつけるもんね。

でもアメリカ来てからほぼずっとホンダエンジンのチームだから

嫌いになるわけがない!!しかーし、ここ数年はチャンピオンか

2位が多いから、そろそろ俺の応援したくなるリストから

はずします・・・。

というより、ガナッシに入ったト時から既に外れるているか!!

来年もガナッシはたしかホンダエンジンユーザーだよね??。


同じ、スコットランド出身の元F1レーサーで

デビット・クルサードが一時期ヘルメットのデザインで

ダリオに文句を言っていたの覚えてますか??

国旗をヘルメットに大きくデザインしたやつで。

スポンサーの名前位置が違うだけで・・・。

ほぼ一緒、 そりゃそうか、国旗のデザインが

2種類ある国って聞いたこと無いし。

クルサード「俺が最初に使い始めたんだ!!」って

言っていたらしい。多くの日本人がスポーツとかをきっかけで

日本代表を応援して、日本人であることを誇りに

おもったりするのだろうけど。他の国、民族って

生をうけて、成長していく段階で、そういう教育があるのか??

はたまた、文化なのか?? アロンソとかも出身州の色など

入れているし、以前はあったスチュワートレーシングも

オーナーのジャッキー・スチュワートがこれまた

スコットランド人でタータンチェックをマシンにデザインしてた。


ちなみに武藤英紀選手も家紋をホームページや

キャップに使ってますよね!!

普通にカッコ良いと思います。









2004年の夏

僕はカナダのバンクーバーにいました。

念願だった語学留学。

そして!!海外でのレース観戦!!

バンクーバーを選んだ理由

そりゃもちろん海外にしては安全だから?

住みやすい都市ナンバーワンだから??

シアトルから比較的近くてイチローに会えるから???

ちがーーーう!!

バンクーバーでのチャンプカー開催、最後だったから!!



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当時、ダニカが下位カテゴリーを走っていましたが

綺麗な、ネーチャンだな!!くらいにしか思わず・・・。

全く写真とか撮らなかった・・・。

今の人気を考えれば撮っとくべきだったなー。

2003年に鈴鹿に初めてF1を見に行って

急遽、琢磨選手が走る事になって棚ぼたな気分だったけど

なんか、格式が高くて、もっとフレンドリーな雰囲気が

自分には性に合うと感じてた。

もちろん2004年以前からCARTを見ていたけど

実際に見に行ってここまでオープンなシリーズだったとは

おもわなかった。

作業中、結構近ずいても怒られませんでした。
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パドックパスも買って準備万端、金曜から3日間

入り浸りでサインや写真撮りまくり!!

ポール・ニューマンにも会えたし。



ただこの年は日本人が参戦していなかったのが残念だったな。

ブルデ―選手や当時は現役だったジミーはとても親切でした
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はぁ~、やっぱり茂木行っとくべきだった??

来年はアメリカまでインディのレースに見に行くしかねーな
マイケル・アンドレッティ

アメリカ出身の元レーシングドライバー

現在はインデイカーシリーズ参戦中の

アンドレッティオートスポーツのオーナー。

父は元F1チャンピオンのマリオ・アンドレッティ

いとこは現役レーサーのジョン・アンドレッティ

そして息子のマルコも現役のレーサー。

叔父や弟も元レーサーであり

アメリカの代表するレース一家である。

1981年、北アメリカのフォーミュラーフォードにて

チャンピオンを獲得、ステップアップを果たし

1983年にはフォーミュラーアトランティック、

チャンピオン獲得。

1984年より北米のトップカテゴリー、CARTに参戦、

デビューイヤーより表彰台へと上がる。

その後も毎年のように優勝、ポールポジション獲得と、

ランキング上位を定位置としていく。

1988年は未勝利におわり、翌年は現在でも、名門チームである

ニューマン・ハ―スへと移籍する。この移籍がマイケルを

1年で復調させ、シーズンランキングも3位と好調な

シーズンであった。1990年も1つ順位を上げ、

ランキング2位、そして、1991年には念願の

シリーズチャンピオンを獲得する。

チャンピオンとして臨んだ、翌年は1勝止まりながら

ランキングは2位と、アメリカではトップドライバーの

一人として数えられていた。

1993年、アメリカ人ファンの期待を背負って、

ついにマクラーレンと契約、しかし開幕戦、スタートで

エンジンストール、クラッシュ、序盤で姿を消す。

第2戦ブラジルでは予選5番手に付け、

開幕戦の面目厄除、しかしスタート後の1コーナーでクラッシュ、

またしてもリタイアに終わる。

なかなか歯車がかみ合わないまま迎えた、第5戦スペインにて

F1初ポイント獲得、その後も完走とリタイアを繰りかえし、

安定感の無いシーズンを送る。

13戦イタリアGPにてついに3位表彰台を獲得。

しかし直後にマクラーレンとの契約を解除。

表彰台獲得の裏には本人の意地やマイケル担当スタッフの

気持ちが込められていたに違いない。

以降、アメリカのレースシーンに復帰したマイケルは

F1でのうっぷんをはらすかのような走りで毎年優勝を重ねる。

2001年には共に数々の勝利を重ねてきた

ニューマン・ハ―スから、モトローラへ移籍(運営はチームグリーン)

2003年には自身が所属するグリーンレーシングの株式の

大半を買取、アンドレッティ・グリーンレーシングを設立。

オーナー兼ドライバーと二足のわらじでシーズンを戦った。

翌2004年、シーズン最大イベントのインディ500にて

ドライバーを引退。翌年はインディ500のみ復帰し

それ以降はオーナー業に専念している。

2004年、2005年とチャンピンを輩出しており、

チームとして一定の成果はあげているが、

近年はレースによって浮き沈みが激しく、

必ずしもトップチームとは言い難い。

息子のマルコをデビューイヤーより起用しており

それが彼の成長、トップドライバーとしての意識を

妨げているのではないか??と思う事もあるが、

不景気の昨今、常時3台、時には4台と

シリーズ運営側からすれば、ありがたいチームではあるが。

トップチームに返り咲くにはマルコを放出し

新人の若手ドライバーを起用して1から育てるか

現在の契約ドライバーのライアン・ハンターレイを

明確にエースとして望むべきでは??

マイケル自身がF1時代にアメリカから

長距離通勤をしていて、内弁慶は成功しないと

判っているのに、マルコを雇い続けるのは・・・。

結局、息子は可愛いってことですね!!







佐藤 琢磨

日本のF1ファンの誰もが知る、レーシングドライバー。

現在はアメリカへと移りインディカーに参戦中!!

東京都、町田市出身で父親が弁護士、母は舞台女優で

一人っ子として育つ。小学生の時、父に連れて行って

もらった鈴鹿のF1GPで、キャメルカラ―の

アイルトン・セナに大きな憧れを抱き、

F1ドライバーを心の奥底に夢として抱き続ける。

高校卒業後に早稲田大学へ入学、自転車競走部に入部し

19歳での時、インターハイを制覇、

部からは大きな期待を寄せられていたに違いない。

しかし、彼はレーシングドライバーという職業を

諦めてはいなかった・・・。雑誌で見つけた

SRS-Fの募集記事。自分が踏みこまず

一度は離れたレーシングドライバーへの道

このチャンスを見過ごすわけにはいかない!!

彼は難関であるSRS-Fの試験内容までも

変えてしまう行動力で。見事合格!!

スカラシップの貰える、主席で卒業する。

後に早稲田大学を中退するが、早稲田に入れるくらいの

人間だ、どんな事であろうと勉強する事は手を抜かないだろうし

それは、国語や数学などの一般的な勉強だけでなく

車や語学を含めたコミュニケーションにしても一緒、

ただ、現地へ行って生活するだけでは、英語など 
 
喋れるようになどならない、

イギリスへ渡ると彼はホームステイをして

英語で不自由しない、生活を手に入れた。

下位のフォーニュラ―カテゴリで

めきめきと力をつけ、あっという間にイギリスF3へと

駆け上がる。イギリスF3、2年目の2001年、

トップのF1ドライバー数人が参戦以前に獲得している

イギリスF3チャンピオン、そしてマカオGP優勝を

獲得する。それが彼のF1ドライバーへの道を

確実な物とした。2002年、ホンダからにワークスエンジンの

供給をうけていたジョーダンより、F1デビューを飾る。

チームは前年までに主要なスタッフ、そして、メインスポンサーの

大幅なスポンサーフィーの減額により、屋台骨がぐらついていた。

現在でも彼は地元開催時には持っている物以上の力を出す事で

有名だが、この年がそれを表す一番最初のとしであった。

最終戦の日本GPにて、2002年シーズン最初で最後の

ポイントを獲得する。この年でホンダはジョーダンへの

エンジン供給をストップ、ホンダの息がかかる、佐藤も

合わせてチームより放出される。翌年は唯一の供給先である

BARでのテストドライバーとしての1年を送り、

日本GPを含む終盤2戦を残して、レギュラードライバーの

ジャック・ビルヌーブが突然、チームから離脱、

佐藤にシートが回ってくる。テストで乗りなれたマシン、

2年目という、余裕、そして地元開催、彼は難なく

2度目のポイントを獲得する。

翌2004年はBARでレギュラードライバーとして

1年を過ごし、アメリカGPにて日本人最高位タイの

3位表彰台を獲得する。

2005年は前年の好調がウソのようなマシンで

自身の病欠やマシンのレギュレーション違反などから

落ち着かない、シーズンとなる。また、移籍を発表した

バトンが急遽、残留を決め、バトンが残留の決定する前に

ルーベンス・バリチェロの加入が決定していた為、

翌2006年の琢磨の居場所はBARには無くなってしまう。

しかし、琢磨はF1へと残ることとなる。

鈴木亜久里がF1チームを起こし、ホンダがエンジンを供給する

スーパーアグリが発足、彼はチームの大黒柱として、日本人ファン

そして、オーナーの亜久里から大きな期待と夢を託される。

チームは発足から開幕まで時間もお金も足りなかった為

シーズン途中まで4年落ちのシャシーを走らせ、完走するものの

ポイント獲得はおろか、トップ10フィニッシュにも程遠かった。

2007年は開幕よりホンダと共同開発をした新車を投入

おそらく、ホンダワークスの06年仕様車であることは

周知の事実であった。1年落ちとはいえ、ワークスのシャシーであり

1年間、走らせた情報があり、改良するべき個所はわかって

いたのだろう、下位チームと互角にわたりあいスペイン、カナダで

ポイントを獲得、チームはこの時は優勝したような騒ぎであった。

(ある意味05年に表彰台に立った時以上に)

2008年、前年幾度となく、非力なマシンで他のマシンを

おっかけ回したのにも関わらず、移籍はならず、

引き続きスーパーアグリからの参戦となる。

しかし、チームはスポンサーフィーの未納など複数の問題が絡み

資金難が深刻化、トルコGPを前にして撤退を発表する。

琢磨はシーズン途中でシートを失う事になり、

その後は数々のカテゴリーからオファーが舞いこんだと言われるが

本人はF1にこだわり続け、2008年にはトロ・ロッソでの

テストにこぎつける。テストでは好タイムを連発し

シート獲得に大きな期待がかかるが、シート獲得はならず

次の交渉へとスイッチする事となる。

2009年シーズンもどのカテゴリーにも琢磨の走る姿はなく

ロータスやルノーとの交渉も行われてはいたが。決定までには

至らなかった。

2010年、ついに本人がレースをしない事に我慢が出来なくなり

アメリカのインディカーシリーズへと活動の場を移す。

KVレーシングからの参戦を東京で発表し

開幕戦ブラジルではスタートの1コーナーでいきなりスピン・・・。

インディカーに琢磨の印象付けはバッチシだった。

まがりなりにも、F1までのぼりつめた男である

ロードコースなどでは予選で上位に食い込むが

決勝ではリタイアが多く、シーズン成績も下位へと沈む

2011年も同じKVレーシングから参戦しており

開幕直前にはベテランのトニー・カナーンの加入が

発表され、昨年と比べての今年のオーバルでの安定した走り

予選での好調さに一役買っていると思われる。

今年も残すところ数戦ではあるが。

今年度中にはなんとか表彰台にのるところ見たい。



琢磨は少年のような笑顔をみせる時がある

それは彼が欧米のレーサーに比べて背が低い事が

そう見える一因かもしれないが・・・。

とにかくその笑顔が表彰台の真ん中で

日の丸を掲げてる姿で見てみたい。

以上に太いその首、アメリカに渡って

オーバルの経験しまた太くなったんじゃ??

パーソナルスポンサーにアパレル会社が

ついていて良かったですね!?琢磨選手!!