いつも心に太陽を | これでいいのだ

いつも心に太陽を

大切な君の胸へ・・・/藤川賢一

テレビドラマ「いつも心に太陽を」主題歌

いつも心に太陽を ← というタイトルは、
1967年公開のイギリス映画として知られています
白人ばかりの高校に赴任してきた黒人教師の物語ですが、
同じタイトルで、
1994年に観月ありさ&西田敏行主演でテレビドラマにもなりました。


プロデューサーは、
同じく映画のタイトルを流用して大ヒットした「高校教師」の伊藤一尋
父親との愛欲から逃れられない少女と、
傷つきやすい高校教師の愛の逃避行という物語でしたが、
「いつも心に…」はさらに純粋で究極の愛を描こうというような企画でした。


交通事故で恋人を失って以来、
独身を貫くさえない中年サラリーマンと女子高生との愛の行方
少女は家族に捨てられてしかも不治の病
二人の出会いはテレクラ
しかしそんなシチュエーションの中で描かれるのは、
エロスの愛ではなく、
アガペー=無償の愛なのでした。

$これでいいのだ 気まぐれ太陽燦々

一度再放送された際には
阪神大震災の特別報道番組で中断して
それ以来、DVD化にも恵まれず、
人気脚本家=小松江里子の作品にもかかわらず
中々観る機会がありません。

$これでいいのだ 気まぐれ太陽燦々

$これでいいのだ 気まぐれ太陽燦々

智恵子と初めて会った時のフクちゃんの表情が絶品でした
西田敏行さんはいつ見ても暖かそうな俳優さん
演じているフクちゃんはメタボ体型の
とても格好いいとは言いがたい会社員
ある日突然失ったあの恋人の面影を少女に見ているのです。


フクちゃんは当然のように酷い扱いを受けます
でもどんなに邪険にされても
少女=智恵子の行く末を案じて翻弄される姿を描いておりました
最後は少女にも旅立たれ、
職も失います
少女と初めて出会った場所で、
ホームレスになって放浪するフクちゃんの姿で
物語は幕を閉じます。

$これでいいのだ 気まぐれ太陽燦々

$これでいいのだ 気まぐれ太陽燦々

ひまわりは少女の人生の象徴でした
いつも太陽の方を向いている花
「私、だいっきらい!」

そんな智恵子も瞼を閉じる前には自分の人生を受け入れます
「ありがとう、いつもわたしの太陽でいてくれて…」
もう息をしない智恵子の表情はやわらかで安らかです


ではフクちゃんは?
彼は何もかも失って空しさの中にあるのだろうか
フクちゃんはしあわせだったのでしょうか?
そう視聴者に問い掛ける形で幕を閉じました
しあわせってナニかを問い掛けています。

$これでいいのだ 気まぐれ太陽燦々


劇中に映画ライムライトの美しい旋律と
シューベルトの菩提樹が繰り返し流れておりました


人は人を観ているのではなく
その人の<肩書き>を見ている
その人の職業や立場=年齢や地位や名誉やそんな<レッテル>で出会う
その人が辿って来た道行きや
その人が今、何を胸に抱いているかよりも
自分の都合や思い入れや
疑念や疑惑という色眼鏡で人を見ている

フクちゃんみたいに常識を外れたアホになれれば、
日々がどんなに奇跡に支えられているのか
どんな美しい幸せに包まれているのかが、
分かるかもしれない。


人に笑われて
それでもアホみたいな
屈託のない笑顔で微笑み返せたら
もうすでに奇跡の時間を生かされていることが
実感できるかもしれない。


Limelight Terry's theme



菩提樹 / 鮫島有美子


「いつも心に太陽を」ダイジェスト



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