
日高晤郎フォーエバー
読み終えました
北海道には
晤郎ショーファンが
たくさんいます
北海道外の方には
存在すら
知らない方が殆どでしょう
が
北海道という土地には
日高晤郎あり!!
だったのです
日高晤郎さんは
北海道に
とてつもなく大きな爪痕を
残して
この世を去りました
日高晤郎さんのことを
嫌いな方もたくさんいたことでしょう
それは致し方ないことです
人は
必ず好むもの、好まぬもの
趣向というものがありますから
嫌いならば
聴いてもらわなくて結構です
そこは
俺と同じくで
万人に好かれるなんて
はなから思ってない
3割
いや
2割5分の方に
好かれたら
おんのじだ
その精神なんだよねぇ~
ただね
日高晤郎さんの
ほんの一部分しか知らないで
そっぽを向いてしまった方は
もったいなぁって
噛み締めれば
噛み締めるほど
これほど
優しく、愛情のある方は
いませんよね
人が好きで、好きでたまらない
人と話をすることが好きで
そりゃ
若いときの晤郎さんは
トンガってたよねぇ~
言葉のテンポも違っていた
とある
アシスタントの頃からかなぁ
ま~るくなってきた
ランラン号や
中継のアナウンサーは
固まってしまったこともあったよねぇ
あの当時からみたら
ここ
10年の晤郎さんは仏様のよう
注意や教えも
優しく
噛み砕いて
説いていたよなぁ
なにせ
言葉をよく知っていた
そこから
勉強したことは
数え知れない
晤郎さんからは
会話力を
勉強していました
会話って大切
これは
営業を、ずっとやってきた
俺にとっても
言葉は、商売道具のひとつでもあるから
お前さんは
俺から
何を学んだの!?
と
叱られてしまいそうな
会話力しかないですけどねぇ
歌人を愛してましたねぇ
芸人には
厳しかった
どういう了見でやっているか
その人間を
よくみていた
いろんな歌人が
来てたなぁ
そのまま、辞めてしまった人もいるし
山内惠介さん、松原健之さん、こおり健太さん
走祐介さん、市川由紀乃さん、杜このみさん、竹島宏さん
最後は、ジュニちゃんを
可愛がっていた
山本穣二さんと吉幾三さんとの
三人での晤郎ショーのときは
もう
笑いが止まらなくて
たまらなかった
五木さんとの
二人の競演が
できたのが
晤郎さんには
いい土産をもっていけたのかなぁ~
この本の後半は
深く関わりをもった方の
インタビューでした
マネジャーさんはじめ
歌人のみなさん
常連のみなさん
それぞれが
それぞれの
自分の生きてきた歴史の途中で
晤郎さんと巡り会い
人生の一部として
生きてきて
歩んできたんだなぁ
って
あの
明日への贈り物を
やりきる
そして
翌日の晤郎ショーを
最後までやりきる
気合いでしかなかったのでしょうねぇ
晤郎さんは
一年以上前から
体調に変化があったのを
わかってたんですねぇ
昨日は
ビールを飲んで
ワインを空けてだろ
なんて
ラジオで言ってたけど
お酒を辞めていたんですねぇ
俺と
お祭りで会ったとき
ビールを飲んで
お話してたけど
みんなの手前
ビールを飲んで
明るく振る舞っていたんだなぁ
悔やまれる
もっと早く
しっかり検査していたら
俺は
ラジオで死ねたら本望だ
そりゃそうだけど
あまりにも早いよ
晤郎さん
あと
10年
80歳での
紺屋高尾を観たかったなぁ
晤郎ショー
最後の日となった放送
人っていいなぁ
ポツッと
発した言葉
何度観ても
涙が止まらなくなる
本当に
ラジオで
死んでいった
晤郎さんは
とんでもない
置き土産を残して
いなくなった
ファンにとっては
とてつもない虚無感との闘いがひとつ
そして
そんなときでも
笑顔を忘れてはいけないよ
という精神がひとつ
残された者が悲しんでどうするの
俺は
あなたの心の中に
いつまでも生きていられるんだよ
だから
笑顔でいてくれなきゃ
そんな声が
今でも
ラジオから流れてきそうだ
日高晤郎さんと
同じ時代に生きられたことは
俺の人生にとって
とても
大きな、大きな
財産です
そして
俺の心のなかで
いつまでも
生き続けてくれてます