婦人服卸販売
かいつまんで
お話しようかと、思っていたのですが
細かくなってしまい
続編になってしまいました
なので
ここからは
一気に
時を流していきますねぇ
仕事もだいぶ
慣れてはいきましたが
元々いた会社は
赤字続きで
本社に飲み込まれ
いち、事業部として再出発
俺は本社へ
本社から建て直しで
人員が送られてきました
俺は本社で
仕入れ等の勉強という名目でしたが
実は
雑用人員でした
俺も、最初は悔しく
やりきれなかったのですが
ま、同じ給与もらえるんなら
数字も持たされないしと
割り切って
生き生き働きました
が
本社移動して
一年も経たないうちに
その
事業部は
俺を失ってから
さらに急降下
新年から
また、戻って建て直せ!!
ですよ
戻ってからは
大変な思いをしましたねぇ〜
そりゃもう
休みは、ほぼなしで働いてました
平日は
地方へ回り
週末は市内
一年で休めたのが
お正月の5日間位だけ!!
ってときもありましたねぇ
そんなのが嫌で
フリーエージェント宣言
どっか拾ってくれるとこないかなぁ
なんて
横の繋がりで
求めていたところ
うちに来てくれないかというとこがあり
そこへ渡ります
そこから
さらに
こちらで
やらしてくださいと
売り込み
違うとこへ
この二件のときには
それなりに収入も良かったんだよねぇ〜
で、いろいろあって
そこをクビになり
もう
婦人服の仕事も
いいやぁ〜
違う仕事がしたい
と、思うも
年齢もあり
なかなかない
結局
同じ業界に勤める
そこは長くいましたねぇ
すぐに
力を認めてもらえ
バイヤーになって
いろんな物を作り出しましたねぇ
韓国へ行って
ものづくりしたりねぇ
いろいろ
やりましたが
そこもクビですよ
要はね
UNIQLOや、しまむらが
出てきて
地方へ売り込む
卸の仕事が成り立たなくなってきてたんですよねぇ〜
クビの噂を聞きつけて
他の会社、二件から
すぐに
声をかけてもらったんですけどねぇ
さすかに
もう、業界に限界を感じて
のらりくらりしながら
お断りしました
婦人服の業界
それぞれの一社でも
かなりの物語になりますよ
何せ
一番長くいた業界ですからねぇ
俺は
それぞれで
バイヤーもやってきたこともあり
ありがたいことは
俺には
売り先
仕入先
が、しっかりと
ついてきてくれてたんですねぇ
それぞれ
渡るごとに
新しい売れ先
新しい仕入先
どんどんと
バウムクーヘンのごとく
厚みが出てきて
ただね
俺は
それぞれ
途中から
入ってる訳
で
すぐに
売り上げ等
発揮していくとね
やはりね
元からいて
上にいた人間は
目の上のたんこぶになってくるんですよねぇ〜
男でありながら
妬みになるんですねぇ
あることないこと
されたりしましたよぅ〜
いわゆる
つぶし!!
というやつですね
売り先とか
取られて
数字ができないように
つぶされるんですわ
で
まぁ
そこをクビになってから
自由人生活していたのが
3年前
それから
思い切って
まったくの異業種の
いまの業界へ
ダメ元で
応募したんだけど
やはり
一手不足なんですねぇ
面接をしっかりやってもらえ
他の畑といえど
営業経験もあるし
面接での
印象も良かったようで
見事に就職!!
と、なったのです
50歳での
転職
なかなかのものです
まったく
知らない業種
右も左も
全く
わからないなか
手探りで
仕事をしてきましたが
それなりに
お客様もつかめて
今に至ってます
婦人服の業界
25年位かなぁ
本当に
書けば
腐るほど、ネタはありますが
それはまた
いつの日か
書けるときがきたら
書きますねぇ
ずらぁっと
長き日に渡り
俺の半生を綴ってきました
お付き合いいただけた
皆さまには、感謝です
なべっき〜って
何者!?
なぁんて
思っていらした方々にも
少しは
わかっていただけたのではないでしょうか
そのうち
nightの世界編も
書いていきますので
乞うご期待
人には歴史あり
どんな人にも
必ず
歴史はあります
いろんな世界で生きている人が
ひとつになる
それが
歌手のコンサートでもあります
いろいろなものを
背負って歩んできた人生があるから
歌がしみる
歌詞がしみる
曲がしみる
そして
山内惠介の
声がしみるのではないでしょうかねぇ
そんな経験があるから
惠ちゃんのこと
厳しくも見てしまうし
あまく
許してしまうこともできる
人間
しっかり生きてきたら
年齢は
恥ずかしいことではなく
誇りを持てることなのでは
ないでしょうか
これからも
俺は
変わらずに
書いていきます
よろしくお願い致しますねぇ
もう少しで
惠ちゃんのYouTubeだよ
