大学に入ってから
卒業
そして
自分の店を継いでの間
一気に人生が変わりました
それは
大学の途中での
親父の死
カリスマ的存在だった親父
ゆえに
敵も多く
良く思わない人も
たくさんいました
親父が入院していたときには
姉ちゃんと、俺とで
お店を守っていましたが
銀行への多額な借金
おまけに
バブルもはじけて来て
観光客激減
お店も
週末こそ
そこそこ
来店はあるものの
平日は
がらりになってきて
そこに来て
従業員の反乱などなど
俺自体
従業員へも
まわりへも
態度が
厳しく、横柄だったんですよねぇ
ボンボンあるあるじゃないでしょうか
そして
ついに
親父の死
そこからは
今まで
良ちゃん
なんて、手揉みしていたような人までもが
知らん顔
親父という盾をなくした
俺らは
所詮、お子ちゃまです
まわりから
いろんな
後ろ指を刺されました
今まで親父がいたことで
言えなかったことやら
できなかったことやら
なんやら、かんやら
まとめて
総攻撃を受けたような感覚でした
信頼していた
片腕の従業員には
金を持ち逃げのようなことされるわ
そんななかでも
何とか助けたいと
お店に飲みに来てくれた方も
いらっしゃいました
涙が出るほど
嬉しかったですねぇ〜
そのうち
夜中に歩いていると
よく思ってなかった
そっちのスジの人らに
囲まれて
金払えなど
インネン
払えないと
断ると
さらえ!!
10人位に囲まれて
ボコボコにされました
そんなこともあったりで
姉も、母さんも
これ以上
続けるのには
限界があると
俺も泣く泣く
閉店を決意
これで
幕を閉じるのかと
最後の日には
涙が止まらなかった
親父
ごめん
親父の店
潰してしまったよ
そこからは
借金、数億を抱え
ボンボン生活から
一気に借金生活へ
返済へ向けて進めていくのです
お店の他に
地元や札幌に
土地をいくつか所有していたので
それの売却
その売却に当たっても
いろんな人が
やってくるものです
生前
なべちゃんには
色々、世話になったので
俺が、話をまとめてやるからな
などなど
どこから
湧いてくるのやら
と、思うほど
一人去れば
また
一人
ただ
弁護士がしっかり
入っていることが
わかると
さぁ〜っと
連絡が来なくなる
それからも
人の裏表
ありすぎました
手のひら返し
こんなにも人って
と
人を信じられなくもなりました
血の小便が
続いたときには
俺、ダメかもと
感じました
精神的に
相当、やられていたんですねぇ
21歳、22歳の頃でしたからねぇ〜
その頃のことは
いろいろありすぎて
書くことができない内容です
ひとこと
辛かったです
そこが
俺の人生の変換期でしたねぇ
あの時があったからこそ
今の俺があります
だから
腹も座ったし
人の痛みも
多少はわかる人間になったかなぁと
それは
あんな状態
あんな俺でいながらも
手を差し伸べてくれる人がいたからです
言葉だけでも
どれだけ
励みになったことか
なので
今も
俺のできる範囲のことならばと
手を差し伸べることも
できるようにもなりました
俺は
この時で
少しだけ
生まれ変われました
長々と
お読みいただいてきまして
ありがとうございました
かなり
当時の自慢話満載でしたね
いち
田舎ではありましたけど
その田舎だからこそある
風習みたいなね
そんなボンボン生活を
わかってもらうにはと
恥を忍んで、書きました
経験とは
いかに大切なことか
苦労は若いうちに
買ってでもしろ
そう
まさに
俺は
数億で
買ったようなものです
今は
借金はないですよ
そこまで行くのに
どれだけのことがあったやら
ですがね
人生で使えるお金が決まっているならば
俺は
20歳までに
ほとんど使い果したのでしょう
転職につぐ、転職
なので
年齢とともに
収入も減っていき
普通は逆だよねぇ
ま
生活できているので
よしですよね
本当に
数日間
読んでいただきまして
ありがとうございました
少しは
俺のこと
わかっていただけたでしょうか!?
こんな
俺ではありますが
よろしければ
今後もお付き合い下さいませ
俺の
応援している
歌人たち
歌人を
観て
感じて
楽しむこと
それは
心を豊かにさせてくれる
生きているうちで
そういう楽しみを持ててることは
大きなことです
当たり前は
当たり前ではありません
いつなんどき
どう転がるか、わかりません
だから
できるとき
できるうちに
やれることは
やりたいなぁ
だから
応援にも力が入るのです

