お陰様で
10回を迎えました
なべの昼ドラ、始まるよぅ〜
大学に入ってからは
ジェットコースターのような人生へと
移り変わります
大学の4年にもなると
週一の講義しかなく
洞爺からの通い
朝早く起きて
洞爺から千歳空港まで
車で行き
そこから飛行機で
女満別空港へ
そこから
バスで北見へ
北見駅からは
タクシーで
学校へ
授業を受け終えたら
ちょこっと
友達と過ごし
その逆
空港へ行き
飛行機に乗って戻り
車で洞爺まで飛ばして帰り
身なりをまとめて
ネクタイして
夜の店で
いらっしゃいませ
そんなこと
毎週、一度
やってたんですねぇ
その頃
温泉場
ホテルの
例のサンパレスとかでは
俺のファンクラブができていたようですねぇ〜
仕事が2時位に終わり
それから
食事含めて
若い従業員連ねて
遊んで歩いてましたからねぇ
朝の5時位にもなると
ホテルへの早出の女の子とかも
出勤で歩いてるので
からかって
遊んだりで
よく
遊んで、飲んでましたねぇ〜
最後は
朝までやってる
婆ちゃんが作ってるお店で
食べて
6時頃に寝るのが
お決まりコース
それでも
8時には起きて
前日の売上等
伝票計算とお金
当日のレジの釣り銭用意などして
事務をやってくれていた
姉ちゃんへ
引き継ぎして
それから
集金など
外回りをしてました
当時は
睡眠2時間が普通で
たまに
4時間
寝られたら
すごく寝たぁ
って、感覚でしたねぇ
親父がいないなか
必死だったもなぁ
そして
うちの店には
当時、流行りのフィリピンダンサーが数人来ていたのです
それの
オーディションで
フィリピンにも
何度か行きましたねぇ
一箇所
多いとこで
100から200名を面接
それを
4ヶ所位回って
踊りや、歌や
日本語をどれだけ話せるかとか
選抜して
契約の話
プロモーターの仕事もしていたんですよねぇ
懐かしい
親父は
だんだんと
元気が無くなっていくのです
それではまた
次回の講釈へ
人生には
与えられた
宿命があります
どのように生きて
どのように表現していくか
惠ちゃんにも
みなさんを歌で楽しませるというのを
背負って
生まれてきたのでしょうねぇ
それを
どう、表現していくかは
惠ちゃんしだい
でもあるのですよねぇ
