今日は
ブログラッシュだねぇ
始まるよ
夕方からのドラマ
高校生という
多感な時期
札幌で
遊ばずにいたのは
今になって考えたら
どうだったのかなぁ !?
都会の夜で
遊んでいたら
人の巡り合いが変わっていたんだろうなぁ
毎週末
学校が終われば
バスに乗って2時間半
洞爺湖へ向かっていました
その頃です
あの名物
峠のあげいもとの出会い
昔は美味しかったなぁ
今のものとは
違ったもんなぁ〜
本当に
衣も甘くって
サクサク
ホクホクしていて
わり箸に刺さって販売されていたので
俺は二個買って
箸から抜いて
その二本で
箸にして食べてました
これが
洞爺から札幌へ帰る
楽しみのひとつでもありました
行きの時には
途中から乗ることもあり
結構
満席なので
食べるのも、ままならないんだよね
洞爺湖に着いたら
家
洞爺湖では
親父がそのまま残って
商売をやっていました
俺が小学生も終わりの頃かなぁ
何ヶ所かで
商売をしていたんですが
ひとつにまとめ
ひとつのビルを建てたんですねぇ
4階建て
事務所と住まいを4階に
それで、こないだ書いた
屋上というのは
茶の間、大きな窓を開けたら
そこが屋外の屋上広場になってたんだよねぇ〜
一階には、スナック、居酒屋
二階には、ディスコ
三階には、キャバレー
すべて
親父が経営してました
スペースも広くて
キャバレーでは
最大200名位入るお店でした
多分、近郊の方ならば
若い時には
うちで、遊んでいた方も多いと思います
室蘭や、長万部
そんな遠くからも
遊びにいらしてもらってましたからねぇ
そう
その4階の茶の間に
親父に顔出しをして
荷物を置いて
したらば
寿司食べるか
とか
隣のお寿司屋さんへ
連れて行ってもらったり
してましたねぇ
もしくは
すぐに下へ降りて
一階は
俺が高校の時には
まだ、喫茶店だったんだよね
そこへ
行って
隣が居酒屋
板さんに
腹減ったから、何か作って
ボンボンなので
みんな、言うこときくしかないのよね
そこで
いろんなもの
食べてたなぁ〜
散々食べたのを見越して
寿司食べに行くぞとか
いやいや
それでも若き胃袋
30貫は行けてましたよぅ
寿司屋と言えば
よく食べる俺に
その
寿司屋さんで
一気に握らせて
食べるの待ってろよと
カウンターにズラリと寿司を並べさせて
さぁ、食べろ!!
と、端から
一気に食べていくという
今でいう
大食い選手権みたいなこと
やってたなぁ
それでも当時でも
50貫位しか
食べられなかったけどねぇ〜
腹ごしらえのあとは
2階のディスコへゴー
当時は
地元のお客さんしかり
観光で温泉ホテルに宿泊で来ていた団体とかも
遊びに来ていたので
めっちゃ
混んでたんだよねぇ
そこで
俺は
カウンターの中でのお手伝い
ドリンクの応対や
レコード回しとか、照明やったりね
カウンターで
ドリンクを渡すのにもドキドキ
だよね
高校生の俺からしたら
来てるのは
お姉さんばかり
若いので
からかわれたりもしてたかなぁ
まだまだ
照明も手動だったので
いろいろな
切り返しとか
レコードも
当時は、ユーロビートも流行ってきていて
曲と曲とを
切り替えが、わからないようにやるのが
楽しかったなぁ
もちろん
合間で
踊りもしてましたよぅ
当時は
一応、札幌から来ていたので
垢抜け
していたのかなぁ
ここから
第2次モテ期に入っていくのです
マイケルジャクソンを
踊っていたのはもちろんなんですが
俺は
姉ちゃんにも
教えてもらっていたので
そのひとつ前の世代に流行った
ステップで踊るのも
やっていたんです
みんな同じ方向を向いて
同じステップを踏んで踊るんですよねぇ
恋はウムウムとか
ディスコベースとか
ハイスクールダンスとか
ご存知の方もいらっしゃるかな
その他
ブギーダンス
ブレイクダンスが流行りだしてきたのも
この頃
踊ってましたねぇ
ビデオを何度も再生して
動きを覚えてました
そんなひとつに
風見慎吾さんの
涙のtake a chanceや
BEAT ON PANIC
いつものメンバーで
コピーダンスをやってたんです
俺が
ビデオで
何度も見て
フリを覚えて
他の人に教えて
完成すると
お披露目
曲が始まると
みんな席について
俺らのダンスを観て、楽しんでましたねぇ〜
その頃
温泉ホテル
サンパレスには
ハワイアンショーが入っていたんです
そこのダンサーが
よく遊びに来ていて
俺は
安く飲ませてあげていました
そんな彼らからも
本場のブレイクダンスを教えてもらったり
していたなぁ
ただね
そういうダンサーって
あっち系も多いのよね
そ、あっちね
俺も
ずっと、見つめられたりして
ヤバかったときがあったなぁ
なんかね
今でも
そうなんだけだ
そっちの方には
モテるんだよねぇ
って
これは、モテ期とは関係ないですけどねぇ
とにかく
高校のときには
踊りまくってましたねぇ
そんななので
まぁ
この時もモテてたんです
ハワイアンの子にもねぇ
そうやって
踊っているもんだから
カッコよくも
見えたんだろうねぇ
だんだんと
大人になっていく
なべっき〜
どんな展開になっていくのやら
それはまた
次回の講釈へ
この当時から
人前でのパフォーマンスが楽しいことを
覚えてきた俺
今は
人前で歌ったりすることの楽しさが
ひしひしと
感じられます
歌えないつらさ
歌手である
山内惠介さんは
今
どのような心境なのでしょう
スタジオで歌っても
それは
アドレナリンが出ませんよねぇ
ファンがいてくれてこそ
最高以上の
パフォーマンスができるのです
次の
生の惠ちゃん
いつになるのかなぁ〜
