日高晤郎さんの話題を


最近

また、書いたりしています


芸道として

素晴らしい教えを残した方ですからねぇ



師匠に
雷蔵先生、勝先生








日高晤郎さんは
北海道で35年もの間

ラジオ番組をやり切った方です






やり切った  



この言葉は、不適切ですね



晤郎さんは
道半ばにして
亡くなってしまいました


晤郎さんの話芸は
80歳になったら
完成形になるだろうと

ご自身がおっしゃっていましたが


多分
そんなことはなく


その年齢になっても
常に、未完成だ
もっと、もっと勉強しなきゃと
なっていたことだろうと思います

 




ラジオで、死ぬことができた


そんな意味を込めて
やり切ったと、言えるのではと思い

書きました

 

北海道には
日高晤郎ファンが

たくさんいらっしゃいます


なので


俺なんぞが
語れる、何ものでもないのですが





あの日の


突然の訃報には

驚きを隠せませんでした



仕事の休憩中に
テレビ画面に速報が




日高晤郎さんが亡くなりました







ん!? !? !? !?


嘘だろ!?



そんな思いしか
ありませんでした


ただ

最後のラジオでの
弱い声

痛かったんだろうなぁ
辛かったんだろうなぁ

振り返るとね

ただ
マイクの前に立ったら
そんなことは関係ない

プロの話芸人として
全うするだけの方でしたからねぇ



ラジオ前日での
ジュニちゃんとの共演

チャラでのダンス


あれは
日高晤郎のすべてを
見せつけられました






ラジオでは
お客さん、聴衆者との
会話を楽しむことが
大好きな方でした



お天気の気象協会の方
道路交通情報の方


おざなりの案内だけではなく


おふざけなことを語りかけたりして

その個人の個性が
みなさんに、わかってもらえるように


引き出しをあけるのが
上手な方でした


それでキャラ立ちした方も
たくさんいらっしゃいましたねぇ〜




外回りのレポーター
ランラン号の女性は

かなり
追い詰められたりしてましたよねぇ


一方的に
段取り通り進めるだけでなく

そこでも
会話を楽しむことを優先していましたねぇ


泣いてしまった
レポーターもいましたね


何を泣いてる
泣くのはあとで
今は、しっかりレポートしなさい

全く
話せなくなる子もいましたよねぇ



ここでも

思います言葉の指摘をよくしていました

語尾を伸ばすなとかねぇ


そんな
その場、その場での教えが



勉強になったり
同じこと思ってるなどとね





その場で
恥を知り
その場ですぐに
勉強をしなくちゃいけない


そんな思いがありましたからねぇ



まぁ
そんな晤郎さんでは
ありましたが



晩年は
優しくなりましたねぇ




そんな
空気が固まったあとには


笑いで
すぐに空気を変える力もありましたねぇ


それは
一歌手に対しても


同じように
厳しく 
そして
暖かく

迎えてましたねぇ







晤郎さんは




話芸人


まさに
言葉をあやつる
魔術師のような方でした




語り芸として
講談師
神田松之丞さんが

人気を席巻しておりますが


晤郎さんの目には

どう映ったろうなぁと思います





晤郎さんのは

語り芸


語りだけで


登場してくる
その人、その人に

魂そのものから
入り込み語る

演じるというより

その人、当人になっている


そんな芸でした





晤郎さんを語るには

何時間もかかりますので

この辺で、第一弾とさせていただきます



何せ



すべてにおいて

勉強になった

俺の勝手ながらの師匠でもありましたのでね