写真は昨年の夏祭り



日高晤郎ショー

今日もこの時間

いつものように、あの声が聴こえてくるのが当たり前だった



そりゃそうだよ



30年以上もそこにいたんだもん

晤郎さんの声を聴いてきたんだもん







営業の運転中には晤郎さんでした

そこから、いろいろなことを学びました






また、共感することが多かったから
余計に聴いてこられたんだと思う

晤郎さんは、あんなだったから、批判もたくさん受ける

だけども、その何倍もを上回る
愛されてきているから

そういうのは、毅然と押し退けてきた


そういうこと言うのに、匿名でなんて、書いてこなさんなともね



芸能、政治、世間話

命張ってなかったら、言えないこと
たくさん語ってきた

なにか、ニュースがあると
晤郎さんだったら、きっとこういうだろうなぁ

とか、いつも晤郎さんの発言とか
同じ気持ちだったら


やっぱり俺、ずれてないなぁ

とか

俺の物差しにも、なってくれていたのかもしれない





いろんな感情が人間には、ついてまわる

特に、落ち込んでるときには
ふさぎがちになるし

外にも出たくない
テレビも、ラジオもききたくない

まして、他人の話しには、耳もかたむかない




だけど、晤郎さんの言葉は、いつも、心をえぐってくる言葉だった


いろんな方が、そうなってきているときに

いろんな方向から言葉をかけてくれてきた



落ち込んでるときに
そういう言葉たちが、頭をよぎる



あのときの、あの言葉
このときの、この言葉


自然と、晤郎イズムになっていってた







それもね

平々凡々ときた人間には、受信できるアンテナはないのかもしれない


俺は

自分で言うのもなんだけど、波瀾万丈に生きてきていると思ってるので

受信のアンテナは、あったようだ



やはり、経験してきた人間は
相手にも、優しくできるものです




幸せ感じ上手になろうよ



晤郎さんが、よく語りかけていた言葉



まさに、亡くなってしまった晤郎さんを思うと

生きてるというだけでも
幸せなことである

しかも

普通に体が動いて、生きてられるなんてことが、どれだけ、幸せなことだろうか


まさに、幸せ感じ上手





日高晤郎ショーは

晤郎さんが亡くなっても放送している

吉川のりおが、やってくれてる

のりおも、この大看板は重たいだろうけど
君しかいないよ、できるのは


そして、晤郎さんの声が、まだコマーシャルで流れます
スポンサーさんも、愛だよね

亡くなっても、そのまま変わらずに


本当に、この北海道という大地に

日高晤郎は、足跡を残してくれました




写真の祭りのときには、こおり健太、松原たけし、杜このみが、二日間にわけて、来てくれてました

みんな、気軽に握手に応じてました

CD購入コーナーでは、サインも写真も自由なようでした

あんなとこに、惠ちゃんが来たら

今ならば、とんでもないことになっちゃうだろうなぁなんて、思っていた昨年6月

あんなに元気だった晤郎さん




本当に、もういないなんて