アノ大阪の高校、そして、オリンピック柔道の訴えから広まる、指導者問題

日本は、軍国時代にスポーツが入ってきて、そこでの教えから始まってきているらしいので、指導も、そういったことで、受け継がれてきたんだろうね

ところが、今では、あまい子供がおおいので、いざ、それを目の前にしたとき

うろたえて、受け入れられず
また、それにわをかけて、親も文句をいいだす

子供の人権というものが、大きくなりすぎてると思う
子供とて、確かに、一人の人間

ただ、それを、一人の人間として、尊重してよいものだろうか!?

今は、子供の目線にたち、一人の人間として、尊重して、扱うというのが、よしとされ
自由にのびのびと

そうした結果が、いざ社会に出てくると、社会でコミュニケーションもとれない人間となってしまっている

自由にやらせ、誤りがあったときに、それを正して、よい方向へ導くなとがよしとされ

ただ、今は、自由と、わがままをはきちがえてしまっている
産まれたときから、自由に生かされてきていて、何でも通ると思い
思い通りにならなきゃ、ふてくされ

あまりにも、尊重しすぎてきたからだ


さて、我々世代のときには、そんなことがあっただろうか!?

子供は、子供としか、扱われなかった
だから、一歩一歩、成長していき、早く、自由にやれるようになる大人になるのを楽しみにしてきたんではなかろうか

友達みたいな親子関係なんです
と、平然という親が多い
特に、母親と娘の関係には

確かに、親しく、何でも気軽に話しあい、言い合える関係はいいことてしょう

ただ、そこを友達みたいなとの表現はおかしい
親子は、あくまでも、親子

友達と思われては、困る
尊敬の念をもたせなくては、また、もってもらわなければ


そもそも、指導者に渡す前の、家庭での環境をもっと、見つめ直すことが大事なんてはなかろうかなぁ

いざ、そういった子供をあずかったら、キツイ自動車道になるのは、やむを得ずってとこもあるだろうね

まぁ、基本、今は叩くのは、だてになっているから、違う指導を考えなくてはならない、過渡期にはいってきたんだね



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