もう頑張らなくていいよ
昨年12月22日、母が息を引き取りました。84歳でした。最近、施設に面会へ行くたびに「ご飯がほとんど食べれない」「顔色が悪い」そう報告されていました。手も足もむくみでボンボンでした。チアノーゼも両方の指先に出ていて、日に日に濃くなっていました。年内もつか、いや施設は病院とは違い、あとどれくらいとは言われません。こればっかりは〇〇さんの生命力です。と言われてきました。私は面会のたび弱っていく母に「まだ一人にしないで。頑張って。 ごはん食べないと家帰れないよ。」と、ずっと言い続けてきました。面会の帰りには実家に寄って仏壇にいる父に「お父さん、まだお母さん連れて行かんでね。 私一人になりたくないよ。 お母さん見守っててよ。」と、ずっと言い続けてきました。12月22日に施設から母の呼吸がおかしいと連絡が入り、その日終業式だった娘と施設へ向かいました。1週間前の面会より明らかに血色のなくなった顔。濃くなった指先のチアノーゼ。冷たい手。酷くなった浮腫。いつもは寝てるのに目はパッチリあいていて、全く焦点があいませんでした。目を開けているというより、閉じれなくなったという感じでした。父の時も最後はそうだったなぁと思い出していました。2時間くらい経ったとき、施設の方に「すごく言いづらいんですが、面会は15分と規則で決まってて。申し訳ないのですが」と声をかけられ母の状態も安定してたので、帰宅しました。4時ころもう一度来てもいいということだったので、そのあと長男と次男を連れて病院へ行きました。病室へ入るとさっきとまた別人の母がいました。目は半目状態、黒目もそれぞれ違う方向を向いていて、見た目もこれはおかしいとわかるくらいでした。「お母さん!!こっちみて!!しっかりして!!頑張って!!」それでも、私はそんなときでも母に「もう頑張らなくてもいいよ」と言えませんでした。ひん死の母にまだ「頑張って!」と言っていました。1時間たったころ、面会時間が終わりました。あきらかに肩で息をしている母を、後ろ髪を引かれながら残して帰宅しました。とりあえず夕飯の買い物をして帰るころ、着信がなりました。「〇〇さん、たった今お亡くなりになりました。施設へ戻ってもらえますか」私らが施設を出てから1時間後くらいでした。(あとから携帯をみると何度か着信が入っていました。)施設の面会規則ってなんなんですかね。結局最後、看取ることができませんでした。施設に不満があるとしたらそこだけです。でも、最後の瞬間、私たちはいなかったけど、3年間家族同様に母のことを見てくれていた介護士さんたちに手を握ってもらって見守ってもらいながら逝ったそうなので、母は幸せものだなと思います。様子がおかしくなったとき、すぐに私に電話をしてくれていたそうで、「〇〇さん、娘さんもうすぐくるからね」と母に伝えてくれたとき、そーっと目を閉じたそうです。もしかしたら私に見せたくなかったのかも。今はそう思います。最後は「お母さん、頑張ったね。ありがとう。」と声を掛けました。やっぱり「頑張らなくていい」とは言えなかった。それでも、とても安らかな顔をしていたので後悔はありません。