友達のゆきちゃんの事 | 春風あかねのブログ

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歯科衛生士とケアマネージャーの資格を持っています。くも膜下出血からの生還。最近では自己愛性パーソナリティー障害の人との関わりを絶とうと決心。

衛生士学校の時、隣の席だったゆきちゃんのお話です。

彼女はとても美人で(これ衛生士にとってはかなり強力な武器かも)

成績もよかったです。

彼女とは席が隣だったということだけで、普段お弁当を一緒に食べたり、休みの日に遊びに行くとかいう関係ではなかったのですが、普通のお友達として仲良くさせてもらいました。卒業後も会うことはなかったのですが、なぜか年賀状のやり取りだけはしていました。

そんな彼女は卒業後大手のライオンにお勤めし、結婚後は退職しご主人の仕事の関係で香港に行ってしまいましたが、あいかわらず年賀状(一応外国なのでクリスマスカード)が国際郵便で毎年届いていました。

お子さん2人もあちらで育て上げ、数年前に日本に帰国しました。

一度は香港に遊びに行きたかった私ですが、私も子育てと大病の為、それは実現できませんでした。

そんなゆきちゃんから、帰国後電話がきました。

ゆきちゃんと会話をするのは20何年ぶりです。でも、声ですぐわかり、いろいろ懐かしい話から現在に至るまで話をすることができました。

あいかわらず、かっこいいゆきちゃんでした。

ゆきちゃんは、ライオンにお勤めしていた時は全国の学校を訪問し歯科の集団保健指導をしていました。私は地元での1人在宅歯科衛生士ですから、プロとアマの差を感じました。話していてもゆきちゃんに吸い込まれていくような感じですから、仕事となれば、本領を発揮していたことでしょう。

ゆきちゃんは惜しげもなく保健指導のアドバイスをたくさんしてくれました。

ライオンでは当時いつも指導に行くときは白衣ではありません。

白いワンピースや白いスーツなのです。白衣では子どもの目線に立てないということ(上から目線になってしまう)その衣装代は会社が出してくれるそうで、一流デパートで好きなブランドの洋服をチョイスできたそうです。(今はわかりませんが)

当時バブルの真っ最中ですから、泊りで仕事の時もいいホテルに泊まって、食事も豪華だったようです。

しかし、仕事の研修は大変でかなり彼女も勉強したといいます。

帰国後はその経験を生かして派遣会社に登録し自分のしたい仕事だけを選んでやっていると聞きました。

都会ではそういう働き方があるんです。田舎者の私はある意味カルチャーショックでした。

今年の年賀状に彼女はだんだん仕事が増えて忙しいと書いてありました。

うらやましいやら、そんな友達のゆきちゃんは今では私の憧れの歯科衛生士なのです。

彼女は東京にいます。もしかしたらデンタルショーなどでどこかのブースにいるかもしれません。

私もがんばるぞ!!