有事に中国に滞在していると? | 方丈随想録

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もう40年以上も前のことだろうか、川に沿って車を走らせていた。右折して橋を渡ろうと目を向けると、橋に大きな横断幕が掲げられていた。そこには「日中友好永久不変  〇〇町日中友好協会」と大書してあった。その時には、私の脳裏に浮かんだのは、「日中関係は永久に友好関係が続くだろう。当たり前のことをどうして横断幕に書いてぶら下げるんだろう。」という思いだった。ところが現在、日中関係は揺らいでいる。日本サイドは中国に友好的に接しているのだが、中国国内では大々的な反日教育の展開、逮捕理由不明の日本人拘束、尖閣列島へは毎日のように領海侵犯、偵察機による領空侵犯、潜水艦による領海の潜航通過、中露軍用機の日本近海での共同演習、靖国神社への冒涜行為等々・・・明らかに友好関係を毀損しているのは中国である。

ところで、戦前の日中関係では、日本政府の方に問題があった。大隈内閣の「21か条の要求」もそうだし、パリ講和会議における日本の対中姿勢も褒められたものではない。田中義一内閣の済南出兵と張作霖暗殺事件における判断ミスは痛手となった。済南出兵では邦人保護が名目だったが、中国側の反日感情が現地邦人の殺戮に繋がった。それが1928年のことだ。

さて、1928年には済南で日本人民間人が殺害殺されたが、それからほぼ百年後の2024年、深圳で日本人学校の10歳の男児が殺害された。2024年当時の首相は岸田文雄で、中国に渡航する日本人に何ら注意喚起をしていなかった。「日中友好永久不変」というのが政府の考えなのだろうか。政府と日中友好協会とは異なるはずだ。相手国が無礼な非道な違法なことをしてくれば「友好」は外交上成立しないだろう。

1945年8月、日本は降伏して、中国に派遣された軍隊はもとより、中国で経済活動を行っていた日本人はすべての財産を放棄して撤退した。1928年の山東出兵から1945年の降伏に至る過程で、どれほど多くの日本人軍民が亡くなったのだろうか。大雑把に100万人程度だろうか。そこで次に来るかも知れない事態を考えておかなくてはいけない。台湾有事か、尖閣有事か、南シナ海有事か、本土有事か、あるいは西太平洋海域全体の有事か分からないが、可能性としては想定しておくべきだろう。その際、中国に滞在している邦人10万人はどうなるのか。「いち早く情報をつかんで脱出する」という説明があったようだが、「いち早い情報」の獲得はそもそも可能なのか。そして10万人が整然と脱出することが可能なのか。中国沿岸にダンケルクはないし、短期日の内に数百便の旅客機を運行させることが可能とも思われない。したがって、ほぼ全員が拘束され収容所送りになるか、収容所送りにならなくても家庭に残れば中国人暴徒の餌食になるわけである。(襲撃された様子は『ワイルド・スワン』に描かれている。)

更に次の問題が生じる。中国で操業している日系企業のうち特定の企業については、操業継続を求められるだろう。民生品ではあっても軍用品になりえるものとか、中国国内では日系企業でしか生産していないもので、輸入が途絶すると中国企業では代替品の生産ができないものを作っている企業だ。そうした企業に残って中国政府に貢献することは、日本国内から見れば「国家反逆罪」ものだろう。中国に強制されて渋々という日系企業もあるが、率先して協力する日系企業(例えば日本端子)もあるだろう。国家として邦人や邦人企業への対応はきめ細かに検討しておくべきでしょう。