立憲民主党の根本的矛盾とその原因 | 方丈随想録

方丈随想録

感じたこと、思いついたことを気ままに投稿します。

「民主党」という名前の政党の議員の多くが、実は共産主義者だった。というと驚く人がいるだろうが、共産主義の歴史を辿ると驚くべきことではない。

現代の共産主義思想は、19世紀のドイツ人思想家であるマルクスによって構築された世界観である。マルクスはロンドンで活動していた。19世紀半ばからドイツで産業革命が進行し、ドイツでも労働者階級が形成され、労働運動が起こった。こうした初期の労働運動の指導者達(ベーベルとかリープクネヒト)がロンドンに渡り、マルクスとエンゲルスから指導を受けた。このマルクス主義に立つ一派をアイゼナハ派という。ところが、ドイツの労働運動にはもう一つ別の起源があって、それはラッサールという人物が主導したのでラッサーㇽ派といい、マルクス主義とは無縁であった。アイゼナハ派とラッサーㇽ派という異質な労働運動の流れが統合して、社会主義政党であるドイツ社会民主党をつくるのだが、アイゼナハ派が中核的役割を担ったことにより、世界最初のマルクス主義政党(これを「共産党」という)は社会民主党と名乗り、マルクス主義を社会民主主義と称することになる。しかし、ドイツ社会民主党は党の建前は革命政党でも、実質的には体制内の改良主義政党に変質する。それは当初から非マルクス主義のラッサーㇽ派を含んでいたり、あるいは活動家のベルンシュタインが亡命先のイギリスの労働運動から影響を受け、いわゆる「修正主義」を主張したこともあるからだ。ここで社会民主党そして社会民主主義が相異なる思想を表現することになる。一方で共産主義と暴力革命を主張し、一方で議会主義と漸進的改良主義を主張するのだ。ドイツでは、結局前者はドイツ共産党となり、後者が社会民主党として存続することになる。

では、日本ではどうなのか。かつて日本社会党という政党があったが、その内部には社会主義協会というグループがあったりして相当過激な主張をしていた。しかし、総評という労組のナショナル=センターを支持基盤にしていたこともあり、事実上は議会主義に立った改良主義政党だった。現在では、旧社会党が立憲民主党の性格を継承している。「民主党」という名称からは、およそマルクス主義とは無縁なように思えるのだが、日本共産党には参加できない共産主義者の政治的巣窟になっているのだ。そうした活動家は共産主義を直接主張せず、政府や自民党の政策を市民サイドから批判したり、人権擁護を強調する。しかし、一枚皮をめくると新左翼とか中国共産党、朝鮮労働党、朝鮮総連といった共産主義勢力が背後にいることに気付くのだ。「蓮舫」がまさに「白」を装った「赤いキツネ」だったことがバレたわけだ。

立憲民主党は旧社会党やかつてのドイツ社会民主党と同じような体質を持っている。漸進的改良主義と議会主義の立場に立つ党員は、隠れ共産主義者と絶縁して国民民主党と連携あるいは合同を進め、自民党に対抗できる勢力に成長し、更に、イギリス労働党のように政権を担える政党に成長してもらいたいものだ。