日本に「解放の悲劇」は起こるのか!? | 方丈随想録

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戦後の中国史について、小生は中国共産党の勝利と中華人民共和国の成立について否定的に考えていた。他の人はどうなんだろうと訊くと、「いいことだった」と肯定的な意見が返ってきたものだ。貧農が解放されて、ともかく食べていけるようになったのは共産党のおかげだ、というわけだ。中国大陸から遠く離れた外国から「他人事」のように考えれば、そうなんだろう。しかし、「解放」という政治変革の過程を生で経験した人たちの受け止め方はどうだったのだろうか、という疑問があった。中国の共産革命は1949年の中華人民共和国の成立で終わったのではない。革命はすべての家庭の居間にまで侵入してくるのだ。子どもが学校で「親は家庭でこんなことを口にしていた」と言えば、その発言は教員から共産党に即報告され、「反革命的」と判断されれば、たちまち家庭に公安関係の職員が踏み込んで親が逮捕・連行されるのだ。あるいは、地域の革命集会に夜な夜な出席を強要され、一人ひとり自己批判をするか近隣の反革命的な事例を報告することを求められ、自殺に追い込まれるか親友や隣人の逮捕に片棒を担がされる。北朝鮮の政治体制は現在でもこのようなものだ。習近平の中国も次第に先祖戻りをして、北朝鮮のようになるだろう。

マクロ的に見れば共産革命はよかったという印象が起こるのだが、ミクロ的に現実を視れば、いかに共産革命が非人間的なものか分かるはずだ。マクロ的に見た共産主義への肯定的評価は、きれいごとで醜悪な実態を胡麻化したプロパガンダによって出来上がっていることを認識する必要がある。第2次世界大戦(日中戦争)終了後に中国で起こった事実を丁寧にたどり、中国共産党の冷酷さを見事に描いた本がある。香港大学に勤めていた歴史学者フランク・ディコッターの『解放の悲劇』(The Tragedy of Liberation)である。中国共産党による悲劇は「大躍進」や「文化大革命」でも繰り返されるが、中国共産党の初期の統治による悲劇を克明に追跡した著述が『解放の悲劇』である。「歴史は繰り返される」とすれば、現在の「改革・開放」30年の中国は「解放」前の中国に接近していた。しかし、現在の中国は経済が崩壊過程にあり、覇権主義に傾斜し、習近平による独裁政治への道をたどっている。これは、中国が戦後に経験した「いつか来た道」の切り返しなのかもしれない、と感じるのは小生だけではない。自由と家族と財産を守りたいと感じた中国人は中国から脱出を図ろうとするのだ。

中国から脱出を図る中国人にはいくつかのタイプがある。富裕層は先進国かあるいは東南アジアに財産を移して移住する。中流以下の人はエクアドル経由で中米を徒歩で歩いてメキシコからアメリカに密入国する。ここで可笑しいことに誰もが気付くのだが、誰も口にしない。日本に逃げてくる中国人はいるのかないのか。いるとすればどの程度か。

恐らくだが、中国から逃亡したい中国人にとって日本は安全ではないとみなされているのだろう。政治家に親中派が多い。中国の秘密警察の職員が多数活動しており、日本政府は取り締まらない。そして念が入ったことに、中国が裏から全面支援している蓮舫が都知事選挙に立候補している。中国は日本の切り崩しにかかっているが、日本政府は有効な対策が取れない状況だ。何しろ首相があまりに有能なので国家の統治機構が緩み切っている。衆院補選の選挙妨害や都知事選挙のヌードポスター出現と、政治家の節操のなさがこんなところにも出てくる始末なのだ。

有力都知事候補が中国製太陽光パネル販売促進条例しか実績のない小池百合子と、日本政治乗っ取りタレント候補者の「中華ソヴィエト蓮舫」なのだから、都民も日本も余りに舐められすぎでしょう。