2024年は中国からの引き揚げの年 | 方丈随想録

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太平洋戦争における日本人の死者は約300万人である。戦場で亡くなった将兵、無差別爆撃で亡くなった民間人、広島・長崎における原爆被害者、沖縄でアメリカ軍に追い回され、満州でソ連軍や中国人に襲撃され、あるいは抑留されて死んでいった民間人や将兵・・・この悲劇を決して忘れてはならない。しかし「歴史は繰り返す」ものだ。後世の世代は必ずしも優れてはいないし、日本の政治家や官僚も「国民ファースト」を信条にしてはいない。国民は結局のところ、最後は「自己責任」で自分と家族を守らなくてはいけない。

こんな書き出しで何を言いたいのか。それは1990年代に「空洞化現象」と言われるほどに日本の企業が中国に殺到したことがある。当時はバブルが崩壊したり、円高で企業経営が厳しく、安定を誇った金融機関ですら金融危機で動揺していた。「活路は中国進出にあり」というのが常識だったのだろう。アメリカの日本叩きは激しかったし、当時の日本の政治家や経営者は中国に対する「愛着」めいたものが強かった。1989年6月の天安門事件に関して、日本の対中国融和姿勢は他のG7諸国と比べても異常なくらい親中であった。日中国交回復の際、周恩来が田中角栄首相に日中戦争にかかわる損害賠償権を放棄するという言葉に日本国民は感動したこともあるだろう。ここに日本外交の躓きの石があった。中国共産党という信用してはならないものを信用してしまったのだ。

「猫も杓子も」中国へ、という時代になり、鄧小平は「改革開放」を唱え、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガンと歩調を合わせて「新自由主義」へと舵を切った。中国は21世紀の「世界の工場」へと成長の道を歩んだ。日本の企業の中国進出も世界の流れに沿ったものだった。政治家も、経済人も、メディアも「中国へ!中国へ!」という時代だったのだ。しかし、偏屈の小生は思ったものだ。「1945年に中国から無残に総撤退したのだが、次回の総撤退もいづれ来るはずだ。その時上手く撤退できるのだろうか?」と。近くの町に日中友好協会があって、その協会が「日中友好永久不変」とか書いた大きな横断幕を橋の梁に掛けていた。親共なのか騙されやすいのか分からないが、恐らく両者だろうが、真実は習近平が教えてくれている。

最近、ゴールドマンサックスが「中国への投資は勧められない」と言ったそうだが、1990年代に真っ先に中国やロシアに行って儲けたが、流石「機をみるに敏」の企業だ。中国の孤立化は決定的と見たのだろう。将来が読めなければ財産も家族も自分の命も失うことを日本人は高い授業料を払って学んだはずだ。「第2次総撤退」の時期に入ったとみるべきだろう。政府は必要な助言も勧告もしないだろう。安倍首相は企業の中国撤退を支援したが、岸田政権は中国の顔色を窺うことしかしないし、外務官僚は中国の蜜にしびれておよそ邦人の安全などは念頭にない。したがって、2025年は第2の1945年になるかもと考えれば、2024年は自発的な「引き揚げ」の最後の年になるかもしれません。