桐島聡をテロリストにした偏向教育 | 方丈随想録

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東アジア反日武装戦線のテロリストとして指名手配されていた桐島聡が病院に保護され、間もなく死亡した。約半世紀にわたって逃走していた人物が死亡して、一件落着だろうか。

桐島聡の同級生の証言がネットのニュース記事でアップされており、それを見てから小生はふと感じるものがあった。同級生の証言として「桐島聡は流されやすい性格だった」というものである。Wikiで桐島の経歴を調べると、学歴は高校が広島県立尾道北高校、大学が明治学院大学とある。実家は現在は福山市に合併された神辺町のようだ。

ここで小生が注目するのは福山市と神辺町だ。共に広島県東部にある。何が言いたいのかというと、広島県の教職員組合は日教組系で、すこぶる活動が活発なことだ。ただ広島県自体東の備後と西の安芸で運動の性格が異なり、東部では人権教育、西部では平和教育に重点が置かれているようだ。尤も違いを強調する程のことはないかもしれないが。ともあれ、桐島が在籍した神辺中学校も人権教育の盛んな学校の一つだったことは確かだろう。そして、中学校で人権教育の担当者が旧社会党の左派のイデオロギーに沿った教育をしていたことも確かだろう。「影響を受けやすい」性格の桐島が偏向教育の内容をまともに受容すれば立派な革命戦士が誕生する可能性は高い。何故、そんなことが言えるのか。

小生の地元に県立S高校がある。この高校は修学旅行先に韓国を設定していた。歴史教育と国際理解教育ができるという触れ込みだったのだろう。韓国に行って何を学ばせるかというと、かつて日本帝国主義は韓国で悪行三昧を行ったことを実地で確認させるためである。ここで日本人であることの「原罪意識」を植えこみ、反日的革命心情を形成させるのが狙いだ。当県の教職員組合は日共系で、筋金入りの党員かそうでなければシンパが必ず教職員の中にいて、韓国旅行を再検討を切り出す勇気ある管理職はいなかったようだ。伝統行事として継続した。遠足で革命史跡を回る北朝鮮流の洗脳方法なわけだ。山口二郎という政治学者はそこの卒業生だと聞くと、そうなんだ、と納得できる。

元に戻って、桐島が在学した福山市特に神辺中学校の人権教育はS高校の比ではない。S高校は生徒は高校生で相当批判精神もあり知識も自己学習能力もある。中学生であれば「白紙」に近いほど素直に影響される。偏向教育の方法はいたって単純だが、中学生時代にその影響を受けると子どもによっては致命的だろう。やり口はこうだろう。

教員「身近なところに差別を受けて苦しんでいる人を知っていますか。」

生徒「貧しい生活で苦しんでいる人がいます。生活も荒れて周囲も迷惑しています。」

教員「貧しさや粗暴な行為はその人の責任ではありません。周囲の人が善意をもって援助してあげましょう。貧しさを生んでいるのは少数の資本家と金権政治家、そしてアメリカなのです。」

素直で批判的精神に乏しい子どもなら、「貧しい人、苦しんでいる人を救うには国内で革命を、そして国際的には反日・反米の運動をすべきだ。そのためならテロも許される。」と結論付け、早速実行に移すケースも出てくるだろう。

桐島と同じく東アジア反日武装戦線に参加した人には北海道出身者が目立つが、北海道教職員組合も広島県教組同様に社会党左派に連なる急進派であることが理由かもしれない。

結論。桐島も東アジア反日武装戦線のテロの被害者も共に左翼反日偏向教育の犠牲者だったのではないか。