こんにちは。
ラベンダーのお庭にようこそ。
今日は、昨日のつづきですね。
わたしたちを作っているものは何か、その言葉編の四回目。
そして、達磨さんに教えをうけたくて、
寒い冬の日に、雪の中にうもれるようにして
修行中の達磨さんが振り向くのを
待っていた慧可(えか)さんのその後のお話。
そして、このお話は、有名な雪舟の絵があって、東京国立博物館で
最近、展示をされていましたよね。
「禅宗」という題目で、開催されていたような気がします。
そのとき、慧可さんは、自分の覚悟をしめすために、
…自分の左腕をためらいなく切り捨てて、
目の前に座っている達磨さんに差し出したのです。
…。
…何もそこまでしなくても。。
と思われませんか。
でもですね。
もうすでに、達磨さんに、呼びかけて、
何日も経過しているんですよね。
…それって、このままだと、弟子どころか、
相手にもされていないまま、帰るってことになるんですよ。
それは、もちろん、慧可さんの本望ではない。
そしてもちろん、「相手にもされない」
そこであきらめて帰るほどの小さな決意ではなかった。
そして、ためらいもなく左腕を切り取った慧可さんは、
…そこでようやく振り向いた達磨大師に認めていただいて、
やっと弟子にしてもらえるのでした。
そのあと、インドに帰る旅に出るまで、
お弟子さんのような存在は、慧可しかいなかったんだそうです。
つまり生涯、お弟子さんは、慧可さん、ただ一人だったんだそうです。
そこまでして、教えを求める理由を考えてみたいと思います。
もちろん、慧可さんにとっては、「教え」の重みと比べたら、
左腕の存在なんて、
…何の重みもなかった。
というか、左手を失っても生活はできるけど、
…ここで、達磨大師の教えを受けない方が大問題だった。
ということだったんですね。
左手を失うことを選ぶか、運命を悪くすることを選ぶか。
…こういう究極の二択だったんですよね。
そして、「不立文字(ふりゅうもんじ)」と言われて、
ことばによって悟りを開くわけではないと
はっきりと言われている禅宗において、
それでも、「師の教え」を受けるために、
「左手を失ってもかまわない」というまでの覚悟と決意をしめした
慧可さんという方がいらっしゃったということに、
私は深い衝撃を受けたのでした。
慧可さんは、もちろん、
ただ、達磨大師師匠の
「ことば」だけを求めたわけではないとは思うんですけど。
…何も、今、誰も、これだけの覚悟を求めませんから。
…でも、ことばは「運命」を左右するほど、
取り扱いは注意が必要だし、
ほんとうに、ほんとうに、たいせつなものなんですよね。
読んでいただき、ありがとうございます。
