こんにちは。
ラベンダーのお庭にようこそ。
今日は、「想い」の存在が運命をひらく!
その65回目ですね。
今、お話している話題は、
自分が提供できるものを、
「何も持ってなくても今すぐに」、
しかも、思い立ったら、実際に行動できて、
自分のこころに徳をつむことができるという内容です。
つまり、「人間性を高めることができる方法」についてですね。
でも、これは、何もハウツーのお話ではないんです。
「無財の七施(むざいのななせ)」
その1と2をお話したところですね。
1、和顔施(わがんせ)・・微笑みで周りを明るくする
2、愛語施(あいごせ)・・真心を込めて明るく語る。
お次は、こちら、
前半は、「いつくしみの瞳で相手を見つめる」という内容です。
3、慈眼施(じがんせ)・・気配りと穏やかな眼で語る。
それにしても、
今、「慈(いつく)しみ」っていう言葉は、
ほんとうに、一般的には、あまり聞かなくなりましたね。
…ほとんど、使われなくなった言葉って、やっぱり、
ほとんど使われなくなっている概念が背景にあるんです。
「いつくしみ」って、どういう言葉かと言うと、
親がこどもを想う親心のようなものです。
「相手が、どのような状況であろうと」、相手をやさしく包んで見守る。
つまり、「愛する」という言葉が一番近いんですね。
親は、相手が、親を非難していても愛している。
親は、こどもが反発しても愛している。
そして、親は、こどもが何もできないときから、
もう、すでに大人になっていても、
まだ、ずっと、こどものしあわせを願って、ずっと一貫して、
変わらない態度で、愛している。
だから、そういう時にこどもを見つめる瞳は、
いったい、どういうまなざしになるか。
ご想像がつくと思います。
とてもやさしい瞳ですよね。
そのひとみで、周りの人々をじっと見ていて、
相手がどのような状況であろうと、
そのやさしいひとみで見守る。
やさしく見守ることで、「語る」のです。
何を語るのか。
もちろん、相手への「想い」を目で語るのですね。
その想いは、「あたたかいこころ」「やさしいこころ」といった、
ひとことでいうと、
「愛」のこころで相手を見て、
そのひとみで、自分のこころを表現する。
…そうすると、普段、周りが気づかないことでも、すぐ気がつきます。
「今、相手は、これが必要なんだな。」
「どうして、これをしないんだろうか、ああ、今はまだ早いのか。」
「今日は、とてもつらそうだ。風邪でもひかれたのかな。」
…。
どこにいても、誰にでも、こういう態度で接することができているか、
どちらかと言うと、お母さんのこころですね。
それが、「慈しみ」のこころ。
そして、それを目にのせて語る。
…話したくても、話さない。。笑
その代わり、相手に必要なものを見極めて、せいいっぱい、
「気配り」をする。おだやかなひとみで対応する。
…そうですね。
これは、ほんとうに、お金は一円もかかりません。
でも、こういう先を読んだり、相手のことを考えて、
今、一番必要なことは、何か、それを瞬時に判断するのは、
ほんとうに、とてもむずかしいですよね。
それがむずかしいのは、いつもは、自分のことしか、
…普段は、考えていないからなんですけどね。
客観的に相手を見る、やさしいひとみで対応する。
それは、今すぐにでも、実行できることで、それでも、
それは、「自分から離れないといけない」ということから、
自分しか見えていない人には、最もむずかしい施しなのです。
なぜなら、「徳」のない人って、ほんとうに、
…相手にやさしくするよりも、「自分」が一番の中心でいたいし、
ずっとずっと、永遠に、
…自分だけが、「愛」をもらいたいんですもの。
そして、そのうち、自分までうまくいかなくなるんです。。
なぜなら、みんな見て、知っているからですよね。
…このひとは、周りに何も与えない人だって。。
「自分だけしか見ていない」なんて、
まあ、ほんとうに、
…とてもせまい世界に生きているということですよね。笑
自分のことしか考えられないという状態では、
「愛」なんて、見えてこないし、
「慈しみ」の想いとは、かけ離れてしまうんですよね。
だから、そういうひとみで
相手を見て語るなんて、100年、早い。。
…はい、もっとも、自分ができているかどうかは、
…それは別のお話ということで。
…。
そういうふうに自分のこころを
毎日、点検して手入れすることが、「反省」ということなんですね。
読んでいただき、ありがとうございます。
