2025年の現在から80年前、1945年8月6日午前8時15分にウラン型原子爆弾リトルボーイが広島市に投下、1945年8月9日午前11時2分にプルトニウム型原子爆弾ファットマンが長崎市に投下、そして同年8月14に日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏、翌日8月15日正午に敗戦の玉音放送が流され、9月2日に降伏文書に調印し第二次世界大戦は終結しました。
1945年6月23日の沖縄慰霊の日、前述の広島原爆の日、長崎原爆の日、そして8月15日の終戦の日。あの『戦争』と言う現実の日々から80年、日本は『9条』と言う他に例のない憲法に護られ、そして戦争を語り継ぐ方々の決死の努力に寄って、この『平和』としか呼べない尊い日々を送る事が出来ています。
ですが、本当にこの80年を真の戦後80年と捉えても良いのでしょうか?今が夏の季節である事を頭で理解していても、気持ちが全く夏だと動かない程に、私はずっとその違和感を感じています。
現在もフィリピン残留日本人の方々は国籍すらもなく高齢に成り、日本でも在日の方々にはその何代にも渡り選挙権すらありません、土砂の中には人骨が埋もれています、それは誰かの家族です、同じ日本人を守る名目でロシア兵に貞操を奪われた少女達、頭を丸刈りにして逃げた女性達は高齢に成りその真実を伝えています、そして私の父は、あんなモノは駄目だ、絶対に駄目だと、泥沼の奥底を見据える様な暗い眼差しで戦争のほんの一部を私に語ります。
戦後80年を迎える前にも世界情勢は再び悪化し、この日本でも『戦争』や『核兵器』を賛美する事象が絶えなく続いています、これは私達が望んでいる、そして殺された私達と同じ市民であった彼ら彼女らが望んでいた本当の“戦後”であるのでしょうか?
広島・長崎の原爆、そして戦争で受けた心身の深い傷跡を引き継いでいる、それは日本人だけではなく、世界でその傷付いた遺伝子を持って生まれて来た私達は、今しっかりと人として何をしたら良いのか、そして何をしてはいけないのか、その確認をしながら新たにルールを創り出し、そして後世に渡してゆかなければ、また同じ事を確実に何度も繰り返します。
現に、ユダヤ人の方々はホロコースト以前の時代にも殺される程の迫害を受けています、そして未だに全く絶えない白人至上主義による有色人種への差別も根強いままです、残念ながらその遺伝子も伝わってゆくのでしょう、ですが、そのパーソナリティは先天的であっても、後天的に変化を齎す事が出来るのではないでしょうか?その変化とは学ぶ事であり、そして教育ではないでしょうか。
何を1番に私達は学べば良いのか、それは多くの方々が指摘していますが『理性』だと私は思います。『理性』とは、道理や論理に従って判断し行動する能力の事です。
フランスを代表する現代アーティストだったボルタンスキーはこう言ったそうです、“兵士は子供にキスした2時間後に他の子供を殺すことをやってのける”と。そして『戦争論』のクラウゼヴィッツはこう言ったそうです、“暴力を理性が制御できなくなったとき、戦争は暴走し、破滅に向かう”と。
何が人としてしてはいけない事なのか、それはなぜ人としてしてはいけない事なのか、この基本的な事を徹底して私達は確認し合いながら学び直し、そして“戦後”の教育として子供達にも残さなければ、現在の日本でも起きている『差別』から人を殺すまでの暴力にまた突き進んで行ってしまいます。
そして、この日本と言う国は世界ではまだ起きていない、原爆を受けた唯一の国です。石破さんを始め、全ての国会議員にお願いがあります、『核兵器禁止条約』にどうか日本も批准して下さい。戦後80年に9条を持つ日本が『核兵器禁止条約』に批准したと言う事実は、世界を変える一滴にきっと成ります、そして世界はそれをずっと望み続け、そして待ち続けています。
そして現代のホロコーストでもあるガザのジェノサイドを止める為の『パレスチナ国家認証』をすぐにでもして下さい、ガザの人々には、そしてガザの子供達にはもう生きる時間が残されてはいません、一刻も争う事態です。『9条』を保持している日本と言う国が出来る事は沢山ある筈です、どうか勇気を持ちそして誇りを持って行動をする事を私は強く望んでいます。
そして、私達市民が出来る事とその力は、私は実に大きいのではないかと思っています、私達市民は世界で一体何人いるのでしょうか?その貴方の考えや知恵を、そして其々が出来る事をして下さい、ボイコットで世界を動かせる程の影響力が私達にはあります、選挙も諦めないで下さい、選挙権が無い方々が存在しています、その方々の為にも考えに考えてその大事な1票を投じて下さい。
長く成りましたが、私も残りの時間をこの文章を読んでくれている方々や世界の苦しんでいる方々、全ての方々がいつか報われる日が来る様に、出来る事が小さくて本当に申し訳なく思っていますが決して最後まで諦める事はせずに生きてゆきたいと思っています。そしてこの戦後80年と言う日々が、どうか世界が変わる切っ掛けに成れたならばと祈りを込めて、そして戦争で亡くなった全ての方へ深く哀悼の祈りを捧げます。
最後まで読んで頂きどうもありがとうございます、私は貴方を愛しています、それをずっとずっと忘れないでいて下さい、愛を込めて。

