森永製菓工場見学①懐かしいお菓子に盛り上がり♪ | KOYUMIN CAFE☆

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森永製菓の工場見学に行ってきました!

森永エンゼルミュージアムMORIUM」と

鶴見工場製造ラインのガイド付きツアー!


創業120周年を記念して新設された

MORIUM (モリウム) 


当日は15分前集合

入り口で受付し、ガイドの説明を聞き、

黄色い目印をつけてツアースタート!


最初は1階「シアタールーム」の巨大な

パノラマスクリーンで、森永製菓の歴史や

商品の製造工程の映像などを鑑賞。


次に「ヒストリーコーナー」で、

創業者 森永太一郎氏のエピソード

製品の歴史や当時の宣伝ポスターなどを見学

西洋菓子製造のパイオニア

森永太一郎

1865年(慶応元年) 佐賀県伊万里生まれ。


陶器商として24歳の時にサンフランシスコに

渡った時に西洋菓子と出会い、

「栄養のあるおいしいお菓子を日本の

   子どもたちに食べてもらいたい」という

強い想いで、異国の地で11年間も修行。

1899年(明治32年)に帰国し、赤坂溜池に

わずか2坪の「森永西洋菓子製造所」を開業。

当時は馴染みのない西洋菓子は相手にされず、

菓子見本を入れたガラス張りの箱車を引いて

売り込んだそう。

創業時はドロップ(飴)やキャラメル、

チョコレートクリームを製造販売していたが

在米中の市場調査で邦人にもっとも好まれた

マシマロー (マシュマロ)主に製造。

マシマロー缶 

アメリカでマシュマロは、

エンゼルフード(天使の食べ物)呼ばれていて

これが森永製菓のエンゼルマークの原点👼


1905年(明治38年) 最初のエンゼルマーク

他社から相次いで類似品が販売されたため

「本物の証」とした考案されたんだそうあんぐり


機械化が進み、大量生産が可能になると、

単品販売からお菓子を詰め合わせた

進物缶も販売。

アメリカンメキストスポンジメキスト

メキストは “詰め合わせ”という意味。


手書きポスター

詰め合わせにはこれらのお菓子が

入っていたのかなニコニコ


ナナバ (バナナ)は日本の菓子業界の王座を

占めるほど好評だったキャンディ🍌

バナナドロップス・スター・フローレット

チョコレートクリームは今のクリームと違い

ュガークリームの上にチョコレートを

薄く覆った「玉チョコ」と呼ばれるもので、

宮内省御料としても納入されたのだそう。

“森永といえばキャラメル” だけれど、

他の商品の人気は上がっても、

キャラメルだけは伸び悩んでいたそう。


バターとミルクたっぷりのキャラメルは

当時の日本人には乳臭く濃厚すぎるもので、

米国産の原料との品質の違いや、

高温多湿の気候で保存性にも問題があり

また衛生管理のため一粒づつワックス紙で

包装していてとても高価でした。

 

明治の終わり頃になると乳製品の栄養価が

注目され、バターやミルクが愛好され始め、

1913年(大正2年)乳製品配合を増やした

ミルクキャラメル発売すると人気に!ひらめき


そして、それまでバラ売りしていたものから

いつでもどこでも

食べられる、

紙サックの

携帯用キャラメルを

博覧会で販売すると、
爆発的に売り上げたのだそうひらめき


1914年(大正3年)

ポケット用ミルクキャラメル (20粒入10銭)

一般市場でも発売すると、生産が
追いつかないほどの大ヒット商品に!

ミルクキャラメルのポスターと化粧箱

「煙草代用」というキャッチフレーズで

話題になったポスター

1918年(大正7年)には
日本で初めてカカオ豆からの一貫製造による
ミルクチョコレートを発売!

以降、様々なチョコレートを次々に発売

乳原料確保のため乳業事業にも乗り出し、

森永ミルク(練乳)、ミルクココア、

森永ドライミルク(国産粉乳)発売にっこり

1923年(大正12年)には、それまで全て
海外輸出用だったビスケット国内で発売!


昭和になると・缶詰類の生産が開始し、

コーヒー(微粉末)ゆであずき缶など発売。

戦時下は物資不足の中、薬品事業を開始。


森永薬品株式会社を創設し、強力消化酵素に

高単位のビタミンBを加えた栄養強化剤

 酵母剤スタウト製造。

1944年(昭和19年)には

日本初の ペニシリンを製造開始

菓子原料の統制解除、砂糖の配給も開始され
森永はキャラメルの特別自由販売許可を受け
1950年(昭和25年)にミルクキャラメル復活!


自由販売初日の銀座のデパート菓子売場には

開店早々から行列ができたそうひらめき


その後、菓子類の価格統制も撤廃され

自由販売の時代になり、食生活が洋風化し、

森永の食品が続々販売。


インスタント食品にも力を入れ、

スープポタージュ、スープコンソメ(チューブ入)

ホットケーキの素インスタントコーヒー 

インスタントポテトマッシュなどを発売。


森永のホットケーキは現在も

市場占有率トップなのだそう🥞


銀の包み紙が懐かしいフィンガーチョコに

ウエファース!

どちらも大正6年に発売されたんですってあんぐり


1960年代

懐かしのコーヒーキャンディ缶!ひらめき


ハイクラウンとハイソフトは少し高いけど

上質で大人な感じが好きでよく食べてた♪


スピンもチョコフレークもよく食べたなー

無くなっちゃってかなしー悲しい


チョコボールの初代オモチャの缶詰

チョコレートのパイオニアか作るアイス♪

モナカやクッキー、クレープ、板チョコなど

お菓子とアイスの組み合わせ♪


1970年代

サンキストに栗チョコレート!🌰

昔の記憶が蘇る〜!


小枝の高原CMも覚えてる📺


1959年(昭和34年)に森永がディズニーと

日本で初めて著作権使用許諾契約を結び、

ディズニーキャラクターを使った商品を発売

その後もサンキスト・グロワーズ社や

チュッパチャプス社などとの提携し話題に!


何度とブームがきてるチュッパチャプスは

1977年(昭和52年)発売。


サンキストタブレットは遠足のお供だった♪


今はなきエンゼルパイの黄色箱!

中がマシュマロで2個入りだったよね指差し


ポテロングもロングセラーだねー🥔


ぬか床が無くても揉むだけでぬか漬ができた

ぬかよろこび  とことん漬け菜!だって!

ネーミングのセンス!指差し


1980年代

みぞれバーのグレープフルーツが今、
セブンで復活してるそう!

平成はアイスボックスやinゼリーを発売。

1990年代

2000〜2004年

夏でも溶けないチョコレート

焼きチョコ ベイクの独自技術は

複数の特許を取得したそう。


2000〜2009年

 2010〜2020年



森永はキャラメルの他にも、日本で初めて

製造販売したものがたくさんあるのね


懐かしいお菓子に盛り上がり、

次はいよいよ工場見学!


つづくーーー