招かれざる来訪者たち(part64) | アニメとか、ゲームとか

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必要としている世界は確かにある。例え自分が必要とされない存在でも。

お疲れ様です。

 

神都ブルオミシェイスを目指す一行。

 

しかしその道中のゴルモア大森林は各所に結界が張られていました。

 

何かを決意したフランは自身の故郷であるエルトの里へと続く隠された道を出現させます。

 

そのうえで自身は入り口に留まり、ミュリンという子を連れてきてほしいとヴァンに頼みます。

で、言われた通りやって来たわけなんだけど答えてくれる人は1人もおらず。

 

ヴィエラは非常に排他的な種族です。ここに来る前にジャハラで出会ったガリフ族と比べると来訪者に対する視線や扱いは天地の差です。

 

どうすれば聞き出せるのか一行が困惑していると・・・

「早々に立ち去れ」という警告が。

 

ここ、エルトの里の長でありフランの姉であるヨーテが一行の前に姿を見せました。

 

第一声の時点でお察しですがやはり敵対的。ミュリンに会えたらすぐ出て行くというヴァンの言葉にも「会えるものか」と冷たく返します。

 

協力は得られないと判断しヴァンたちはこの場を去ろうとしますが・・・

そこに「森の声が聞こえた」と入り口で待っていたフランが現れました。

 

フランはミュリンがこの里にいないことを森の声を聞くことで知りヨーテに直接尋ねに来たわけです。

 

しかし同族に対しても相変わらず冷たいどころか、ミュリンのことも含めて「森を捨てたヴィエラはヴィエラではない」と一際容赦ない言葉をかけるヨーテ。

 

森を離れた代償としてフランはヴィエラ特有の力が弱まりつつあります。

 

なのでミュリンの不在は聞き取れてもミュリンの居場所を伝える森の声までは聞き取れていません。

 

ヨーテも「鈍ったものだ。ヒュムと交わった報いだ。」と冷たく突き放します。

だから見捨てるのか、というバルフレアの言葉に一瞬沈黙するも「里の総意」と答えたヨーテ。

 

「ヴィエラは森と共にあらねばならん」「それが森の声であり我らの掟だ」と厳格な姿勢を崩しません。

 

ただ・・・何も思わないほど無情でもなかったんだろうね。

 

ヴァンの熱意に負けたのか、ヨーテはフランに代わって森の声を聞きミュリンの居場所を一行に伝えると早々に立ち去ろうとします。

このセリフは深く考えさせられるよね。

 

自由を求めて戦うというのがFFⅫだと思うのですが、ここでは真逆のものとでも言うべき掟やそれを徹底する人物が登場します。

 

森と共に生き掟を順守する生き方はヴィエラとしても1つの生き方としても正しいもののハズです。

 

しかしながら、森を離れ広い世界を自由に生きるというのもまた1つの生き方として確かに存在します。

 

FFⅣのクルーヤのセリフに「正義よりも正しいことよりも大事なことがある。」という名言があります。

 

同じくFFⅣのリディアのセリフに「大事なのは心・・・そうでしょセシル!」というこれまた名言があります。

 

ヴィエラにとって森と共に生きることは正義だし里の掟に従うことは正しいことです。

 

ただそれが唯一絶対ではなく、自分の心に素直に従うという選択肢だって選ぶことは出来る。

 

ヨーテは正しさを選びフランは自分の心を選んだ。

 

姉妹で信じたものの違いが決定的に表れたセリフであり、人には様々な生き方があってそれを選ぶ際の基準は多種多様だということを感じさせるセリフだと思う。

うおっ!下書きするのに1時間以上かかってる!

 

8月25日に下書きしました。