最近ふと考えました。
 「老後」って、いったいいつから始まるのでしょう。
テレビや雑誌ではよく「老後の資金」だとか「老後の暮らし方」だとか、そんな言葉を目にします。

聞くたびに、どこか遠い未来の話のような気がしていました。

でもある日、ふと気づいたのです。

年齢だけを見れば、もしかしてもうその“老後世代”に片足を入れているのではないかと。

私は今も美容院を経営しています。

ありがたいことに、国民年金も受給しながら、毎日サロンに立っています。

主人はすでに年金生活者。

書類の上だけ見れば、私たちはもう立派な「年金世代」です。

役所的には、きっと“老後”という分類に入っているのでしょう。


でも実際の生活はというと、そんな実感はあまりありません。

私は毎朝サロンのシャッターを開け、お客様を迎え、ハサミを握って仕事をしています。

カットをしながらおしゃべりをしたり、カラーの待ち時間に世間話をしたり。

お客様と笑い合う時間が、何より楽しいのです。
美容の仕事は、体を使う仕事でもあります。

ずっと立ちっぱなしですし、腕も使います。

でもありがたいことに、今のところ足腰も元気。

多少疲れることはあっても、まだまだ仕事を続けたいという気持ちのほうが強いのです。

そんな私とは対照的に、主人はすでに「ゆったり年金生活モード」。

朝は新聞をゆっくり読み、昼はテレビを見て、夕方になると散歩。

とても穏やかな生活です。

悪く言えば、かなりのんびり。よく言えば、人生を満喫しているとも言えます。


ある日の夕食のあと、主人がぽつりと言いました。
「たまには夫婦で近場でも旅行に行こうよ」
その言葉を聞いた私は、いつものように答えました。
「老後にね」
我ながら、ずいぶん軽やかな先送りです。

今までも何度か同じことを言ってきました。

仕事が忙しいから、もう少し落ち着いたら、もう少し時間ができたら。

そんな理由をつけて、つい後回しにしてしまうのです。


ところが先日、ある記事を読んで、ちょっと考え込んでしまいました。

そこに書かれていたのが「健康寿命」という言葉です。
平均寿命ではなく、「元気に自立して生活できる年齢」のこと。

男性の場合、その平均は72歳くらいだそうです。

それ以降は、何らかの不調を抱えながら生活する方も多くなるのだとか。
その数字を見たとき、私はふと主人の年齢を数えてみました。

……あら。
思ったより、時間がないではありませんか。
もちろん、これは平均の話です。もっと元気な方もたくさんいます。

でも「いつか老後に」と言っているうちに、本当に出かけられなくなってしまったらどうしましょう。

そう考えたら、ちょっと反省しました。


夕食後、私は主人に言いました。
「ねえ、この前の旅行の話だけど」
主人はテレビを見ながら「うん?」と振り向きました。
「近場の温泉くらいなら、行ってもいいかもね」
その瞬間、主人の顔がぱっと明るくなりました。

そんなに嬉しそうな顔をされると、なんだかこちらまで嬉しくなってしまいます。
とはいえ、私は完全な引退生活をするつもりはありません。

今の仕事が好きですし、お客様と会う時間も大切です。

だから、旅行に行くとしても、短い休みを上手に使って、無理のない範囲で。
まずは一泊の温泉旅行くらいがちょうどいいかもしれません。

近場なら安心ですし、帰ってきてもすぐ仕事に戻れます。


ただ一つだけ心配なことがあります。

それは主人が、家でゴロゴロする生活に慣れすぎてしまうこと。

テレビばかり見て、運動もあまりしない。

それでは健康寿命どころか、体力も落ちてしまいそうです。
そこで私は、ある計画を思いつきました。
「ねえ、将来さ」
主人に言いました。
「私の美容院で働かない?」
主人は一瞬ぽかんとしました。
「え?」
「雑務係。タオルたたみ担当」
さらに続けます。
「観葉植物の水やり係と、お客様へのお茶出し係もあるわよ」


主人は少し考えてから、笑いながら言いました。
「それ、給料出るの?」
「もちろん出るわよ。お昼ごはん付き」
そんな冗談を言い合いながら、二人で笑いました。
でも案外、本当に悪くないかもしれません。

サロンにはお客様もたくさんいらっしゃいますし、誰かと話すだけでも元気になります。

家でじっとしているより、きっと健康にもいいでしょう。
「定年後の再就職先は、妻のサロンです」
そんな肩書きも、なかなか面白いではありませんか。


老後という言葉は、どこか重たく聞こえます。

でも本当は、年齢だけで決まるものではないのかもしれません。

何歳になっても、笑って過ごせるなら、それが一番いい老後なのでしょう。
動けるうちは一緒に動く。
 笑えるうちは一緒に笑う。
そんなふうに過ごしていくことが、私たちらしい老後の形なのかもしれません。