最近、老後のことを少し真面目に考えるようになってから、暮らしの中のあれこれを見直すことが増えてきました。
大きなことはなかなか変えられませんが、小さなところなら何とかなるのではないかと、ひとつずつ手をつけてみています。

その中で、まず思い切ってやめてみたのが新聞でした。
長いこと当たり前のように取っていたのですが、ふと「これ、本当に毎日しっかり読めているのかしら」と考えたのがきっかけでした。
いざ広げてみても、文字が細かくて、最近は少し読むのが大変に感じることも増えてきました。
結局、見出しだけ眺めて終わる日もあり、「これで月に5千円は、なかなかの金額ね」と思ったのです。
テレビやインターネットでもニュースは十分に見られますし、「これは一度やめてみましょう」と、思い切って解約しました。
やめてみると、意外と困らないものですね。
ニュースそのものには不自由しませんし、時間にも少し余裕ができたような気がします。

ただひとつ困ったのが、特売のチラシです。
今までは、新聞を広げると一緒に入っていたチラシを何気なく眺めて、「今日はこれが安いのね」と買い物の参考にしていたのですが、それがなくなると、少しだけ不便に感じます。
ある日などは、スーパーに行ってから「今日は特売だったのかしら」と思いながら買い物をして、あとで「昨日だったみたいですね」と気づき、「これはちょっと悔しいわね」と、ひとりで笑ってしまいました。
こういう小さなことも、習慣が変わると違和感があるものですね。

そしてもうひとつ、見直してみたのが外食です。
これも、少し減らしてみようかと考えて、ここしばらくはなるべく家で食事をするようにしてみました。
確かに、数字だけを見れば、外食を減らせばその分はしっかりと節約になります。
ただ、やってみて気づいたのは、それだけではないということでした。
外食というのは、単に食事をするだけではなく、気分を変える時間でもあったのですね。
「今日は何を食べましょうか」と話しながら出かけて、ゆっくり座って、誰かが作ってくれたものをいただく。
その時間そのものが、ひとつの楽しみだったのだと、改めて感じました。

ある日、家で食事をしながら、「なんだか少し静かですね」と夫がぽつりと言ったことがありました。
その言葉を聞いて、「ああ、外食は会話も少し増えていたのかもしれませんね」と思ったのです。
もちろん、毎回行く必要はありませんが、たまに出かけることの意味というのも、やはりあるのだなと感じました。
ですから今は、「減らすけれど、なくさない」というくらいの距離で付き合うことにしています。
それくらいが、ちょうどいいのかもしれませんね。

こうして暮らしを見直していると、自然と昔のことも思い出します。
若い頃は、もっと質素な生活でも平気だったように思います。
今ほど便利なものも多くなかったですし、無くても何とかなることがたくさんありました。
それでも不便だとはあまり感じていなかったのは、今思うと不思議です。
きっと、そのときの生活が当たり前だったからなのでしょうね。
今は、いろいろなものが当たり前にある暮らしに慣れてしまっていて、それを減らそうとすると、どこかで少し不自由さを感じてしまう。
「昔はできていたのに」と思いながらも、「でも今さら全部は戻れませんね」と、思わず苦笑いしてしまいます。

ある日、照明を少し暗めにして過ごしてみたことがあったのですが、最初は「これくらいでも大丈夫かしら」と思っていたものの、しばらくすると目が疲れてしまい、「やはり明るいほうがいいですね」と、すぐに元に戻してしまいました。
また別の日には、「今日は少し節約を意識して」と思って、冷蔵庫の中のもので何とかしようとしたのですが、結局あれこれ考えているうちに時間がかかってしまい、「これはこれで手間がかかりますね」と、少しだけ反省したこともありました。


こういう小さなことの積み重ねの中で、「どこまでなら無理がないのか」という感覚が、少しずつ見えてくるような気がします。
節約というのは、ただ我慢することではなく、自分にとって心地よい範囲を探すことなのかもしれません。
無理をしてしまうと続きませんし、かえって気持ちが疲れてしまうこともあります。
だからこそ、「これは減らしても大丈夫」「これは残しておきたい」と、ひとつずつ選んでいくことが大事なのでしょうね。


老後のことを考えると、どうしても不安はあります。
けれど、こうして暮らしを見直してみると、削ることばかりではなく、「残すもの」にも意味があるのだと感じます。
今も新聞はありませんし、外食も控えめです。
それでも、少しゆったりとした時間が流れていることに気づきます。
減らしてみてわかること、そして減らせないもの。
その両方を大切にしながら、これからの暮らしを整えていけたらいいですね。
そんなことを、静かに思う一日でした。