最近、家の中の家電たちが、まるで示し合わせたかのように、次々と調子を崩している。

最初は電子レンジだった。
温めはできるのに、なぜか「チン」という音が鳴らなくなったのである。
最初は「あら、静かでいいわね」などと軽く考えていたのだが、これが思っていた以上に不便だった。
音が鳴らないものだから、温めたことをすっかり忘れてしまう。

ある日のこと、夕食のおかずを温めたまま、そのまま食卓に出し忘れてしまい、日の昼ご飯のときに電子レンジを開けて、かっぴかぴになったお皿を見つけたときには、自分でも思わず笑ってしまった。
「これは昨日の私からの贈り物かしら」と言いながら、結局また温め直すことになったのだが、こういうことが何度か続くと、さすがに困ってくる。
さらに困るのは、音が鳴らないせいで「今、温めていたかどうか」が分からなくなることだ。
一度など、同じものを二回温めてしまい、取り出したら必要以上に熱々になっていて、思わず「これはサービスしすぎね」と苦笑いしたこともあった。

そろそろ買い替えかしら、などと考え始めた矢先、今度は洗濯機である。
これがまた、なかなか気難しい。
途中でピーピーとエラー音を鳴らして止まってしまう。
そのたびに呼び出されるような気持ちで駆けつけて、ボタンを押したり、蓋を開けたり閉めたりして、なんとか動かす。
まるで機械と会話しているようで、「今日はどうしたの」「もう少し頑張ってくれないかしら」と、つい声をかけてしまう自分がいる。

あるときなどは、何度押しても動かず、少し間を置いてからもう一度ボタンを押したら、急に何事もなかったように動き出したことがあった。
その様子に「気分だったのかしら」と、本気で思ってしまったくらいである。
それでも何とか最後まで洗濯が終わる日はまだいいのだが、ついに先日、脱水ができなくなってしまった。

仕方なく手で絞ることになり、これが思った以上に体力を使う。
朝から洗濯物と格闘して、腕がじんわり疲れた状態で店を開けることになり、「今日は美容院なのか、トレーニングなのかしら」と、ひとりで苦笑いしてしまった。
しかも、手絞りというのはなかなか奥が深い。
力を入れすぎると手が痛くなるし、弱いと水が切れない。
途中で「これは昔の人は毎日やっていたのかしら」と思い、少しだけ尊敬の気持ちが湧いてきた。

そして追い打ちをかけるように、今度は冷蔵庫である。
中身はしっかり冷えているのに、ときどき「ヴヴ~~」と、なんとも言えない音を出すようになった。
最初に聞いたときは、「今、何か言いました?」と冷蔵庫に話しかけてしまったほどだ。
どうやら機嫌が悪いわけではなさそうだが、この先どうなるのか、少し気がかりではある。
その音が夜中に聞こえると、余計に気になってしまう。
一度など、気になって起きてしまい、冷蔵庫の前でしばらく様子を見ていたこともあった。
何をしているのだろうと思いながらも、「見守るしかないのよね」と妙に納得してしまった。

こうして振り返ってみると、不思議なものだなと思う。
なぜか家電というのは、同じようなタイミングで次々と不調になる。
思えば、10数年前にも同じようなことがあった。
新婚の頃に揃えた家電たちが、ある時期に一斉に寿命を迎え、慌てて買い替えた記憶がある。
つまり、今壊れ始めているのは、そのときの“2代目たち”ということになる。
そう考えると、「長いこと、よく頑張ってくれましたね」と、少し労ってあげたい気持ちにもなる。

とはいえ、現実問題としては、なかなか頭が痛い。
家電というのは、どれも生活に欠かせないものばかりで、優先順位をつけるのも難しい。
しかも、こういう出費には補助金が出るわけでもない。
美容院の設備ならまだしも、家庭用の電子レンジや洗濯機に「これは必要経費です」と言ってくれる人はいない。
「さて、どこからどうやってお金を工面しましょうか」と、電卓を叩きながら、つい深いため息が出る。
 

そんな中、ふとお店のことを考えてみた。
ドライヤーやスチーマーなど、毎日使っている機械はたくさんあるのだが、意外と長持ちしているものも多い。
よく考えてみると、仕事で使う道具は、毎日丁寧に扱っている。
使ったあとに軽く拭いたり、調子を見たり、少しの手間をかけている。
一方で、家の家電はどうだろうか。
忙しさにかまけて、つい「動いて当たり前」のように使っていたかもしれない。

ある日、お客様との会話の中で、こんな話をしたことがあった。
「人の体も機械も、手をかけた分だけ応えてくれるのかもしれませんね」と。
そのときは美容の話としてお伝えしたのだが、今になって、自分の暮らしにもそのまま当てはまるのではないかと思えてきた。
だからといって、今さら電子レンジに「いつもありがとう」と声をかけるのも、少し照れくさいのだが、せめてこれからは、もう少し丁寧に扱ってあげようかと思う。

とはいえ、壊れるときは壊れるのも事実である。
それもまた、物の流れなのだろう。
「一斉に来なくてもいいのに」と思いつつも、どこかで「まあ、そういう時期なのかもしれませんね」と受け入れている自分もいる。
こういう出来事も、少し見方を変えれば、暮らしを見直すきっかけなのかもしれない。
そう思いながら、今日も電子レンジをのぞき込み、
「今日はちゃんと取り出しますからね」と、小さくつぶやいてみた。
こんな日々も、案外悪くないのかもしれませんね。