TVBS新聞の昨日の記事からです。
李昂轟不讓博愛座!許常德酸「沒同理心」挺蔣萬安 中肯觀點獲讚
知名作家李昂近日怒轟年輕人博愛座不讓位,甚至點名蔣萬安市長,請對方正視這項問題。爭議鬧上版面後,資深音樂人許常德也分享自己的觀點,直言:「規定來的愛都不會是愛,沒有心甘情願的同理心,這個議題就無需擴大到要市長回覆。」認為李昂應該靜下心來給建議,而非意氣用事。
著名な作家李昂は最近、シルバーシートを譲ろうとしない若者を批判し、さらには蔣萬安市長の名を挙げてこの問題に向き合うよう求めた。 この論争がメディアに取り上げられた後、ベテランミュージシャンの許常德は自身の見解を共有し、率直にこう述べた、「決まりから来る愛は愛ではない。心からの共感がない。この問題を拡大して市長の返答を求める必要はない。」 李昂は衝動的に行動するのではなく、落ち着いて提案をすべきだと述べている。
許常德與李昂曾在節目上,針對外遇議題彼此激烈舌戰,近日李昂感嘆自己身體不適,並抱怨2名年輕女性態度惡劣,另外一位男性則在裝病,該事件也隨即燒遍各大論壇。對此,許常德跳出來闡述觀點,坦言若沒有心甘情願的同理心,這個議題就無須擴大到市長回覆,他指出博愛座是跟愛有關係的設計,從來不是規定,「只要有需要都可以請入讓座」。
許常德と李昂はかつて番組内で不倫問題について熱く舌戦を繰り広げたことがある。最近、李昂は体調が優れないと嘆き、若い女性2人の態度の悪さに不満を漏らし、一方男性は具合が悪いふりをしていたという。この事件はすぐに大きな話題になって広まった。 この点に関して、許常德は自らの見解を表明し、心からの共感がなければ、この問題を市長の答弁まで拡大する必要はないと率直に述べ、シルバーシートは愛に基づく提案であって決まりではなく、 「必要がある限り誰でも座れるはず」と言った。
許常德也認為,李昂應該可以提出更智慧的圓滿方式,心平氣和地給予建議。貼文也馬上獲得大批網友讚賞,一致認同許常德的論點相當中肯。此外,疑似受李昂痛斥的當事年輕女性,也在昨(21)日於Dcard還原整起經過,她說李昂氣色比自己好很多,稱對方當時並非透需求,而是頤指氣使地說「我再試一次,看誰要讓座給我」、「這是博愛座,誰要讓座給我,沒有人要讓座給我?」如今卻反倒遭對方批評,感到相當無奈。
徐常徳はまた、李昂がより賢く、より円満な方法を考え出し、冷静に提案できるはずだとした。 この投稿はすぐに多くのネット民から称賛を受け、許常德の議論は非常に的を射ているということに多くのネット民の称賛を得た。 また、李昂から叱責されたと思われる若い女性も昨日(21日)、「Dカード」で事件の一部始終を語り、李昂は自分よりもずっと元気そうに見え、相手は要求を表明しなかったと述べた。 「そのときは、『もう一度やってみましょう。誰が私に席を譲ってくれるか見てみましょう』と偉そうなことを言ってた」 「ここはシルバーシート。誰が私に席を譲ってくれるかしら?誰も譲らないかしら」 しかし、今は本人から非難され、とても無力な気持ちになっているという。
許常德臉書全文:
博愛座
從字面上
都在提醒每個人
這是跟愛有關係的設計
不是規定
規定來的愛都不會是愛
沒有心甘情願的同理心
這個議題就無需擴大到要市長回覆
要這麼討論
李老師的級數是可以提出更智慧的圓滿方式
博愛座的範圍是可以博大到跟任何人都有關
只要有需要都可以請人讓座
博愛座應不應該是年長者的保證位子
這個可以討論
市長和李老師可以心平氣和給個建議
現在就看兩位大人的情商和智慧
如果學生真的需要學到一點什麼的話
#兩個大人的回覆一個官腔一個邏輯不通
許常德の Facebook ページの全文は以下の通り
博愛シートは文字通り
みんなに思い起こさせるのは
愛にもとずく提案です
決まりではありません
決まりから来た愛は愛ではない
心からの共感がない
この問題を市長の返答を要求するほど拡大する必要はない。
このように議論しましょう
李先生のクラスは、より知恵がありで円満な方法を提供できるでしょう。
博愛シートの範囲は非常に広く、誰にでも関係があります。
必要に応じていつでも誰かに席を譲ってもらうことができます
博愛シートは高齢者のための保証された席であるべきでしょうか?
これは議論できますね。
市長と李先生は冷静にいくつかの提案をすることができます。
さあ、二人の大人のEQと知恵を見てみましょう
生徒が本当に何かを学ぶ必要がある場合
#大人二人からの返答は表面的かつ非論理だった
…
李昂の小説
…
今日の単語「頤指氣使」yí zhǐ qì shǐ
「頤指氣使」yí zhǐ qì shǐ
アゴで使う、高慢な態度で
教育部の『辭典』には次のように意味が説明されています。
…
昨日、金曜日から話題にのぼっているニュースです。
李昂がどちらかというと
形勢不利なようです。
李昂の小説は
台湾に留学したばかりの頃、
台湾小説の読解の授業でいくつか読みました。
許常德の言い分のほうが
私はひっかかります。
「博愛座」という名称ですが、
「愛」にもとづいて譲ると限ったことではないと思います。
そういう名前がつけられていますが、
もともとはハンディキャップがあるかたや
老人や具合が悪い人や妊婦に譲るために作られた区画だと思います。
李昂は強い人だと思われて
攻撃されているのでしょうが、
以前、舌戦を繰り広げた相手をこんなふうに公然とさとして
それは本当に愛に基づいた行動でしょうか。
…
ところで…
私は以前、市政府から景美へ帰る651のバスの中で
三人の老人が誰からも席を譲ってもらえず、
頭に来て、途中でバスを降りるのを見たことがあります。
私と同じ、景美の「滬江中學」のバス停で
怒りに任せてバスを降りた老人たちは
そこでひとしきり若い人たちの悪口を言ったあと
別のバスに乗り換えて、新店方向に帰っていきました。
夜10時ごろのバスでした。
公務員たちはみんな残業でとても疲れていたんだと思います。
誰一人として老人に席を譲りませんでした。
…だから、台湾の人たちも
とても疲れているときは譲らないのです。
私自身は「博愛席」に座るとき、
周りを見渡して老人がいないのを確認してから座ります。
他の席が空いていたら、まずはそちらに移ります。
「博愛席」に座る人に対して
台湾の人々はなかなか厳しいモラルを持っているので…
「博愛席」が、本当に博愛にもとづいて譲られるには
もう少し社会が円熟するのを待たなければいけないんだと思います。
キリスト教の土壌がない国では特に…。