最近、「老後」という言葉がやけに現実味を帯びてきた。
少し前までは、どこか遠い未来の話だったはずなのに、気づけば本を読んでも、動画を見ても、

「将来に備える」という言葉が当たり前のように出てくる。
30代というのは、たぶんそういう年齢なんだと思う。
若すぎず、でもまだ完全に大人になりきっているわけでもない。
だからこそ、「今」と「これから」の両方を同時に考えることになる。

僕も例外ではなくて、つい最近、将来のために積立投資を始めた。
毎月決まった金額をコツコツ積み上げていくやつだ。
「これで老後の不安は少し減る」
そう思ったのは事実だし、その考え自体は間違っていないと思っている。
ただ、始めてみてから、ひとつ気になることが出てきた。
(これ、今を削ってないか?)
という感覚だ。

例えば、外食を少し減らして、その分を積立に回す。
ちょっといい食材を買うのをやめて、代わりに節約する。
一つ一つは小さなことだけど、それを積み重ねていくと、確実に「今の楽しみ」は減っていく。
もちろん、それが全部悪いわけではない。
むしろ、無駄を減らすという意味ではいいことだと思う。
でも、
(未来の安心のために、今の満足を削り続けるって、どうなんだろう)
と、ふと思うことがある。

この前、久しぶりに実家に帰ったとき、その感覚が少しはっきりした。
特に何かあったわけではない。
ただ、いつも通りの時間を過ごしただけだ。
テレビを見て、適当に会話をして、食事をして。
その中で、ふと親の様子を見ている自分がいた。
以前よりも、動きがゆっくりになっている気がする。
立ち上がるときに、少しだけ時間がかかる。
会話の中でも、「最近は無理しないようにしてる」とか、「昔みたいには動けないね」という言葉が増えていた。
それを聞いて、
(ああ、これが“年を重ねる”ってことか)
と、妙に納得した。

特別な出来事じゃない。
でも、確実に時間は進んでいる。
そして、その先にあるのが「老後」なんだろう。
これまでは「将来のために備える」という考えがメインだった。
でも、その日から少しだけ視点が変わった。
(その“将来”って、どんな状態なんだろう)


ただお金があるだけで安心なのか。
それとも、ある程度自由に動ける身体や時間があることが大事なのか。
たぶん、その両方なんだと思う。
どちらかだけでは足りない。
でも、両方を完璧に手に入れるのは、たぶん難しい。
だからこそ、バランスが必要になる。


その日の夕方、特にすることもなく、実家のリビングでぼんやりしていた。
窓から入る光が少し柔らかくて、テレビの音が遠くで流れている。
その中で、何もしない時間を過ごしている自分がいた。
(こういう時間、最近あったかな)
普段は、どうしても「何かしている時間」が多い。
仕事でも、勉強でも、身体のケアでも、常に何かしら動いている。
それはそれで充実しているけど、こういう“何もしていない時間”は、意識しないと生まれない。
実家にいると、それが自然にある。
そして、それが妙に心地いい。

でも同時に、少しだけ怖さもある。
(このままここにいると、動かなくなりそうだな)
安心できる場所というのは、良くも悪くも“力を抜ける場所”だ。
それは必要なことだけど、抜きすぎるとバランスが崩れる。
帰り道、なんとなく考えていた。
老後って、こういう時間が増えていくんだろうか。
ゆっくりして、無理をせず、穏やかに過ごす時間。
それは悪いことじゃない。
むしろ、多くの人が望んでいる状態かもしれない。

でも、そのときに「何もできないからそうしている」のか、「あえてそうしている」のかで、意味は大きく変わる気がする。
だから今のうちに、身体も整えておきたいし、ある程度の自由も持っていたい。
そして同時に、「今をちゃんと楽しむこと」も、忘れたくない。
積立投資は、そのための一つの手段だと思っている。
でも、それが目的になってしまったら、たぶん違う。
未来のために今を犠牲にしすぎるのも違うし、今だけを見て何も備えないのも違う。
その間のどこかに、自分なりの答えがあるはずだ。

整体の仕事でも、よく感じる。
身体は、どこかに偏ると不調が出る。
だから、少しずつ整えていく。
無理に変えようとせず、でも放置もしない。
その感覚に、少し似ている気がする。

家に帰ってから、ふとスマホを見た。
積立の金額は、相変わらず少しだけ上下している。
それを見て、
(まあ、こんなもんか)
と思えるようになっている自分がいた。
少し前までは、あれだけ気になっていたのに。
たぶん、「長く続けるもの」として、少しだけ受け入れられてきたんだと思う。

未来のためにやることと、今のためにやること。
どちらかを選ぶんじゃなくて、両方をどう組み合わせるか。
それを考えるのが、今の自分のテーマなのかもしれない。
老後のために生きるわけじゃない。
でも、老後を無視して生きるわけでもない。
その間を、うまく歩いていけたらいいなと思う。