◎このブログは、長女りっちゃんの先天性心疾患を乗り越えた5年間の記録です。
過去の出来事なので、私の記憶が曖昧な部分もあります。
また、現在のブログと同時に投稿していくので
分かりやすくする為、過去のブログのタイトルには◆マークを付けます。
長い記録になりますが、よろしくお願いします。


◆りっちゃん⑦のつづきです。








破水する前日の朝、トイレに行ったらおしるしの様な出血がありました。

看護婦さんに知らせると、すぐにルート確保してくれて💉出産にそなえてシャワーの時間を早くしてくれました。





その夜、なかなか寝付けなくてソワソワして

夜の病院のトイレ嫌だな~と思いながら、トイレに立ちました。(古めの病院で病室からトイレ離れてました。私は、めちゃくちゃ怖がりです)


病室に戻ってベッドに横になったら、胎動が凄く激しくて

どうした~?と思っていたら破水しました。




すぐにナースコールして、分娩室の隣の部屋に移動し、点滴しながら陣痛がくるのを待ちました。


陣痛は、じわりじわり。

その間に家族に連絡をして、夫は県外なので来れないし、

面会制限の為、病院に来てもらえるのは1人と決められていたので、私の母が来る事になりました。






分娩室に移動し、いよいよです。

でも、陣痛が強かったり、弱かったり、まだ私にも余裕がありました。


すると、先生が帝王切開にするか。と準備を始めました。



回旋異常でした。


回転しながら降りてくるはずの赤ちゃんが、回れない。だから降りてこない。





助産師さんに、

少しだけの時間、自分の楽な態勢とってていいよ。

と言われました。

私は横向きになって、準備を待ちました。



でも、横向きになったら…いきみがきました!

それを見た先生が、吸引分娩に切り替える。と

私に「赤ちゃんを産むお手伝いをさせて頂きますね。」と言いました。




そして5月5日 午前5時、吸引分娩によって

りっちゃんが誕生しました。





産声も聞けたし、胸の上で写真も撮ってくれました。

元気だ!あたたかい。動いてる!生きている!!

嬉しい。幸せでした。











同じ日、もう一組の親子が私の後に出産し、

母子同室のできる大きい部屋に、私とその人が同じ病室になりました。








産後、私は小児科の先生に呼ばれました。

りっちゃんの病状の説明です。


「やはり、心室中隔欠損症です。欠損は6㎜でした。それと、動脈管と卵円孔も開存したままです。

3つの欠損があり、思ったより心臓に負担がかかっています。

肺高血圧を起こし、心肥大しています。

その為今日から1日3回、利尿剤を服用します。

そして、黄疸も強く出ているので黄疸の治療もしていきます。」






…うそだ。

胎児エコーでは3㎜だった欠損が、生まれてみたら6㎜に大きくなってた。

生後数日で閉じるはずの動脈管と卵円孔も開存したまま。

生後3日で、薬?






りっちゃんは、その後の調子も良くはならなかった。

先生から何度も呼ばれて、何度も説明を受けた。


つらい。本当は夫も一緒に聞く説明を全て、自分1人で聞いた。

面会制限中だから、数日休みをとって県外から来ても赤ちゃんには会えない。


赤ちゃんに会えないなら、わざわざ遠くから来なくてもいいよ。退院してから、沢山会って。と言った。



先生から聞いた説明を、私の家族、夫の家族、夫にその都度伝えた。

みんな心配していたし、どうなった?と、とても気にしてくれていた。









母子同室の広い部屋に、私と同じ日に出産した

もう一組の親子が、もう何日も赤ちゃんと一緒に同室になっていた。




赤ちゃんが泣いたら、

オムツを替えて、ミルクをあげて

お母さんが、よしよし。と優しい声で言っていた。



カーテンで区切られた私のベッドには、出産してからずっと。りっちゃんは来ていない。


向こうの赤ちゃんの泣き声が聞こえる度、私も泣いた。

つらくて、つらくて、どうして私は同室になれないんだろう。って



先生からの説明も、それを家族に伝える事も、同じ病院に居るのに我が子に会えない事も

全てが辛かった。


赤ちゃんに会えなくてもいい。

私が辛いから、私に会いに来てくれない?

夫にそう言えば良かった。




助けてほしかった。













つづく。



良く