※注意!!

 この記事には、『イエスタデイ』『エルヴィス』『ソウルフル・ワールド』のネタバレが書かれています。未視聴の方はご注意ください。

 

 

 

 近頃、タイトルに書いてあることを、強く思います。

 

 1年ほど前、私は有名になれば自動的に幸せになれると思い込んでいました。まったく、大した脳みそです。そんな単純なことを考えられる平和な脳みその方が、よっぽど幸せですよ。

 

 

 

 「あれ、有名=幸せではないのかな」と最初に思ったのは、映画『イエスタデイ』を観たとき。

 

 

 

 ビートルズに憧れる主人公ジャックは、ビートルズが存在しない世界で、彼らの曲を自分の曲だと偽り有名になりますが、華々しかったのは最初だけ。過度な期待やプレッシャーが重なり、恋人とも別れることになります。

 

 ジャックは最後のライブで、曲を作ったのは自分ではないことを告白し、恋人とのヨリも戻します。こうしてジャックは、平凡な人生を歩み始めました。

 


 …ちなみに、過去に「イエスタデイ」の感想をまとめて記事にしています。


 「その17」まであり、非常に長いですが、こちらも読んでいただけると嬉しいです^ ^

 

 

 

 

 

 


 そして今年、映画『エルヴィス』を観ました。

 

 

 

 序盤のエルヴィスは唯一無二の歌声とパフォーマンスで有名になり、美しい妻も手に入れ、まさに映画のような人生を送ります。

 

 しかし、イエスタデイのジャックと同じく、エルヴィスは過度な期待とプレッシャー、観客から受ける大きな愛に潰されてしまい、亡くなります。期待や愛は人を殺すのだ…恐ろしくなったことを覚えています。

 
 

 

 


 

 ここまで来ると、ぼんやりと「ああ、有名と幸せは繋がってないのか」と気づいていました。決定的となったのは、ピクサー映画『ソウルフル・ワールド』を観たときです。

 

 

 

 主人公のジョーは、子供の頃からジャズ・クラブでピアノを弾くのを夢見ている、大人の男です。夢を叶えるために奮闘し、中盤、とうとうその夢を叶えるのですが、「何か違う」と違和感を覚えます。そして、一緒にジャズクラブで演奏した女性に、こんな話をされます。

 

 

 海の中に若い魚がいた。彼は年長の魚に言った。

 

「海を探しているんです」

 

 年長の魚は、「海か。今いる所がそうだよ」

 魚は、「これ? これは水です。僕は海が欲しいんだ」

 

 

 …結局、人は現状の幸せに気づかず、さらに求めてしまうものだ、ということなのでしょう。その欲はとどまることを知りません。そして魚は、自分が海にいるのだと認めずに、満たされないまま海で死んでゆくのです。

 

 そのあと色々あって…「一瞬一瞬を大切に生きる」とジョーは決意し、物語は幕を閉じるのでした。

 

 

 

 今まで、多くの人に愛されない自分を嫌い、満たされず、「ああ、何かで有名にならなきゃ。愛されたい」と思ってきましたが、この3本の映画は、そんな私の思いを覆したのでした。まさしく、青天の霹靂です。

 

 映画製作者が伝えたかったことが、心に重く伝わってきた気がして、とても嬉しくなりました。

 

 

 要するに、「最高の幸せと、最悪のどん底の中で生きる」か、

 「ありふれた幸せと、ありふれた悲しみの中で生きる」か、ということなのでしょう。

 

 前者の人生もいいけれど、後者の人生もいい。

 

 

 みんながみんな、一等星になれるわけじゃない。だけど、いちばん注目される一等星が、いちばん幸せな星というわけじゃない。

 

 そして、どんな星も、朝が来れば見えなくなる。夜になれば輝くのも、朝が来れば姿が消えるのも、みんな同じです。一等星も、二等星も、三等星も。

 

 

 

 …まあこんなことを書いても、多くの人に愛されたいという気持ちは、ちょっと残ってるんだけど^^;