「ホームタウン」東京移転20年と言うことについて 其の弐 | ヴェルディの星

「ホームタウン」東京移転20年と言うことについて 其の弐

ホームタウン東京20年「TOKYO CONNECT20」についての中編です。今回はJリーグ開幕以降について。

 

1993年、ヴェルディは「読売ヴェルディ」としてスタートしよう、としたら開幕直前の1993年3月にJリーグから通達が来て「ヴェルディ川崎」に改名させれられます。まあこの件でナベツネvsカワブチのバトルが勃発するわけですが、それはまた別の機会に。

 

Jリーグは予想をはるかに上回る盛り上がりを見せます。日本各地から「我が町にもJクラブを」との声が。

この時期東京都調布市の米軍基地跡にスポーツ公園を整備する話が進行しており、そのランドマークとしてJリーグ開催可能のスタジアムを建設する構想がありました。ただスタジアムだけ作って使うチームが無ければ採算が取れない。東京都の鈴木知事は水面下でヴェルディを誘致し、スタジアム建設費の負担も読売新聞の渡辺恒雄社長(当時)に要請、内諾を受けていました。

実はJ開幕時には等々力をホームにしたヴェルディですが、都内にしかるべきスタジアムが出来たら東京に戻って良いとの言質は得ていたそうです。木之元興三氏の自著や渡辺氏の証言で明らかに。

 

とは言えこう言う案件は水面下で根回しをし、禍根を残さないように進行しなければならないもの。しかし1993年12月唐突に渡辺氏は読売新聞府中工場の落成式で「隣の調布に出来るスタジアムにヴェルディは移転予定」と発言。当時から渡辺氏の言動は週刊誌、夕刊紙が大いにネタにしており、この発言もセンセーショナルに取り上げられます。

 

この動きに合わせ調布市もヴェルディ誘致を表明、そして調布市の商工会議所はヴェルディと東京ガス、青年会議所は東京ガスに絞って誘致を始めます。そしてこれを受けてヴェルディ自身も調布のスタジアムへの移転を表明します。朝日新聞は夕刊紙、週刊誌のような「ヴェルディ、川崎市を蹴り飛ばす」と言うセンセーショナルな見出しを。天下の朝日新聞がねえ…。

 

以降世間、メディアからヴェルディは鬼畜のようなバッシングを受けることになります。大洋やロッテが川崎から移転した時は大して言われなかったよなあ…。ビートたけしは週刊ポストで「結局人気あるから叩かれるんだよな、ヴェルディは」と発言していました。連日メディアは「極悪非道な独裁者ナベツネvsジェダイの騎士カワブチ」と言うステレオタイプな報道を…。

 

クラブハウスにも脅迫・嫌がらせ電話が殺到。でもこれヴェルディのファンから、と言うよりはアンチヴェルディが調子に乗って、更に「野球の恨みをサッカーで」と考えたアンチ巨人が便乗しただけのような気もするが…。

 

確かにこの一連の騒動は、ヴェルディ側がその強さ・人気から「何をやっても許される」と言うゴーマンな態度をとり、順を追って進行しなかった故なのは間違いありません。しかしメディアの過剰な「ヴェルディを叩けば売れる」的報道は常軌を逸してたと言わざるを得なかったと…。「ヴェルディを応援するやつは非国民」とでも言うような空気さえ生まれてきました。

しかしクラブハウスのすぐそばに出来るスタジアムを使ってくれと誘致され、それに乗ることがそんなそんなに問題あることだったのか?等々力より現味スタの方がはるかに近い場所なのに…。

 

結局ヴェルディは移転計画を白紙撤回して、この問題は一応は収束します。しかしもはや拭い難い禍根を川崎市、そして調布市との間に残してしまうことに。川崎市にはこの先長くいることは出来ない雰囲気に。そしてこの時の調布市との禍根も20年以上経った今でもヴェルディに暗い影を落とし続けることになっています。それについてはまた次回に。

 

最後に追加。このブログでは珍しくFC東京寄りのことをw この時の「被害者」はヴェルディだけではありませんでした。この時の移転問題のとばっちり(だけでもないだろうが)で東京ガスはプロ化断念の発表を。東京都もスタジアム建設を凍結。東京ガスのプロ化、東京スタジアムの建設は共に4年遅れることになりました。そう言う意味では関係無かったFC東京のサポにこの騒動で迷惑かけたのかなと…。