「ホームタウン」東京移転20年と言うことについて 其の壱 | ヴェルディの星

「ホームタウン」東京移転20年と言うことについて 其の壱

今年はホームタウンを東京に移転して20年と言うことで、ユニフォームはその2001年のオマージュとか。「TOKYO CONNECT 20」と言う標語も。そして「それ以降ホームタウンを変更したクラブはない」と言う表現、何かひっかかるな。

 

 

過去「ホームタウン」変更で我がクラブは鬼畜の如く叩かれ、一方その後移転した千葉(市原→千葉)、京都(京都→亀岡)、そして近々移転する長崎(諫早→長崎)は「移転」じゃなく「拡大」と言う屁理屈使って何事も無かったように進行してるが…。

じゃあ「ホームタウン」って何なのか?ちょっとまとめてみます。

 

まず「ホームタウン」と言う言葉は(「フランチャイズ」のような)制度でなく、またサッカー用語でもない一般名詞です。ボクシングで地元有利の判定(奈良判定?)を「ホームタウンディシジョン」なんて言いますし。ずばりそのまま「本拠都市」のことです。

 

Jリーグ開幕時、リーグは参加希望するクラブに「ホームタウン」を定めるよう指示します。「ホームタウン」とはつまりホームスタジアムがあるエリア。サッカーの場合、民設のスタジアムがほとんどなく、Jリーグ的にはスタジアムのオーナーである地方自治体にスポンサーになってもらえ、と言う意味に近いことでした。

 

企業チームは地域との結びつきなど希薄でしたから、プロ化に際しての移転はそれほど抵抗なく進みました(古河:横浜→習志野、三菱:東京→浦和)。

しかし読売サッカークラブは地域と共に歩んできたクラブチームです。創部の際、サッカー協会の「東京都はクラブが多くて大変だから、まずは(クラブの少ない)宮城県リーグにでも加盟して、日本リーグに上がってから東京に移転すれば?」と言う意見にも、「クラブは地域と共にあるもの」と言って一喝します。そして東京都協会に加盟し東京都リーグBから参戦することに。

 

つまり本来の「ホームタウン」は1969年から我がクラブはずっと東京だったのです。クラブ自体もランドにあり、50年間一歩たりとも動いていません。

 

Jリーグの言う「ホームタウン」とは、スタジアムのオーナーである地方自治体にスポンサーになってもらうと言うこと。読売クラブは日本リーグ時代、国立、駒沢、西が丘、そして等々力を使っていました。東京のクラブとして国立の使用を希望し、国立競技場もそれを受け入れることを表明しましたが、Jリーグ側から「国立は中立地にするから不可」と言われ白紙に。西が丘も駒沢も規定を満たさず、消去法として残ったのが等々力でした。

 

読売クラブとしての選択肢は「等々力をホームスタジアムにし、川崎市をホームタウンにし、神奈川県協会に『移籍』する」か、「Jリーグ入りを断念する」しかありませんでした。アンチヴェルディの人にはあの時Jリーグに参加しなければ良かった、なんて無責任なこと言うのが未だにいますが、プロ化のために作られた読売クラブがJリーグに参加しないと言う選択肢はありえませんでした。Jリーグ側にも地域クラブチームとして歩んで来た読売クラブに配慮する、と言うことは一切ありませんでした。

 

1991年2月14日、Jリーグオリジナル10発表。読売クラブは等々力陸上競技場をホームスタジアムにし、川崎市をホームタウンにして参戦することが発表されました。これが後に大きな禍根となり、そしてヴェルディは人権侵害とさえ言える酷い誹謗中傷を受けることになるのですが…。

長くなったのでそれについてはまた。