巨人軍ユニフォーム物語 其の壱 | ヴェルディの星

巨人軍ユニフォーム物語 其の壱

プロ野球は侍ジャパンのプレミア12がこれからですが、一応オフ突入。と言うことでオフ企画。「巨人軍ユニフォーム物語」。
 
私が巨人ファンになったのは1975年、第1期長嶋巨人1年目。小学2年生でした。実はこの年ユニフォームも変わっています。順を追って説明。
 
川上巨人ユニフォーム(1963~74年)
 
第1期長嶋巨人ユニフォーム(1975~80年)
 
1975年、長嶋新監督就任でこのように変わりました。よくわからないかもしれないので説明。
袖とズボンのラインが細い2本(川上巨人)から太い1本(長嶋巨人)、胸の
「GIANTS」「TOKYO」のロゴが巨人軍伝統の花文字=早稲田文字(川上巨人)からゴシック体(長嶋巨人)に、それぞれ変更されています。このゴシック体ロゴはメジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツのものがモデル。
 
新しもの好き、メジャー大好きの、いわゆる一つの長嶋新監督の発案でこうなったと言われています。
 
当時私が入った少年野球チームは監督が巨人のOBで、その名もジュニアジャイアンツ。ユニフォームもそのままジャアインツでした。しかしテレビで見るものと微妙に違う。少年野球チームのものは川上V9時代のタイプだったのです。
この頃買った漫画「三冠王 王貞治物語」(大島やすいち。あの「バツ&テリー」の作者)で、水原時代、川上時代、長嶋時代のユニフォームが丁寧に描かれていて、巨人軍のユニフォームに関心を持つようになりました。
 
この1975年は球団史上初の最下位に終わったからか、翌76年マイナーチェンジ。背番号の上に「NAGASHIMA」「OH」と言ったネームが入るようになります。この年は最下位から一気の優勝でした。
 
長嶋巨人V2、王選手715号(ベーブルースの記録を破る)、756号(ハンクアーロンの記録を破る)、800号、江川投手入団など、少年時代の思い出の詰ったユニフォームでした。
 
このユニフォームは長嶋監督が退任した1980年限り。翌81年から川上時代のものが復活します(但し背中にネームが入る)。
現監督の原辰徳が入団したのがこの81年。故に長嶋監督時代のユニフォームを着ている姿は無さそうですが、実は入団記者会見、キャンプ・オープン戦は旧来のユニフォームを使用。その当時の写真を持っている方はお宝ですよw
 
巨人軍は伝統ある球団故、ユニフォームもそれほど大きなモデルチェンジは行っていません。しかしそれでも数年置きによく見ないとわからない変更が。それをこれから数回に渡り紹介して行きたいと思います。