我が青春のクルマ 1989
1989年
・昭和天皇崩御、「平成」へ改元
・消費税施行
・日経平均株価史上最高値38,957円記録
・川崎市竹やぶ1億円騒動
・中国・天安門事件
・美空ひばり死去
・参院選挙、社会党躍進、自民党大敗
・幼女連続誘拐殺人事件
・横浜ベイブリッジ開通
・幕張メッセ開場
・被疑者の呼び捨て報道を辞め「容疑者」に
・ベルリンの壁崩壊、東欧革命
・マルタ会談、冷戦終結
・盛田昭夫・石原慎太郎「『NO』と言える日本」、吉本ばなな「TUGUMI」ベストセラー
・任天堂「ゲームボーイ」発売
・サントリー「鉄骨飲料」発売
・「一杯のかけそば」
・「セクハラ」「オバタリアン」
・「巨人はロッテより弱い」(加藤哲)
・「デューダ」(学生援護会CM)
・「24時間戦えますか」(三共リゲインCM※時任三郎)
・「やまだかつてないうまさ」(大塚製薬ファイブミニCM※山田邦子)
・「♪そーれ そーれ 鉄骨飲料」(サントリー鉄骨飲料CM※鷲尾いさ子)
・日本シリーズ、近鉄に3連敗から巨人4連勝日本一
・F1日本GP、セナ・プロストシケインで接触、プロストがチャンピオンに
・WSPCでメルセデス、シルバーアロー復活、開幕戦鈴鹿で1-2。この年チャンピオン獲得。ル・マン24時間でも1-2フィニッシュで37年ぶりの制覇
・富士GC19年の歴史に幕
・プリンセス・プリンセス「ダイアモンド」「世界でいちばん暑い夏」
・長渕剛「とんぼ」
・Wink「愛が止まらない」「寂しい熱帯魚」
・工藤静香「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」
・斉藤由貴「夢の中へ」
・浜田麻里「リターン・トゥ・マイセルフ」
・松任谷由美「アニバーサリー」
・爆風スランプ「ランナー」「リゾラバ」
・ZIGGY「GLORIA」
・SHOYA「限界LOVERS」
・竹内まりや「シングル・アゲイン」
・田原俊彦「ごめんよ涙」
・宮沢りえ「ドリームラッシュ」
・永井真理子「ミラクル・ガール」
・薬師丸ひろ子「語り継ぐ愛に」
・ザ・ブルー・ハーツ「トレイン・トレイン」
・美空ひばり「川の流れのように」
・南野陽子「涙はどこへいったの」「トラブルメーカー」
・森高千里「17才」
・「魔女の宅急便」「彼女が水着にきがえたら」「メジャーリーグ」「ゴジラvsビオランテ」「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」公開
・「春日局」「同・級・生」「愛しあってるかい!」「君の瞳に恋してる!」放映
・「ガキのつかいやあらへんで!」「知ってるつもり?」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「ギミア・ぶれいく」「ニュース23」「テレビタックル」「おぼっちゃまくん」放映開始
・「ザ・ベストテン」放映終了
大学3年。相変わらずバイト三昧。2台目の愛車はR30スカイラインRSを中古で。まさにバブル全盛期だが、この時代の大学生らしい生活とはまったく無縁。日本シリーズの3連敗4連勝巨人日本一に熱狂。原の満塁ホームラン、中畑の現役最後のホームランに涙。
無縁と思いがちながらバブル景気でモータスポーツ界も潤い空前の大ブーム。サーキットにはニューマシンだけでなくレースクイーンも闊歩。そしてこの年こそ日本車のヴィンテージイヤーに。
・日産スカイライン(R32)
「とんでもないがとんでもいい」「超感覚スカイライン」
先代のR31「7thスカイライン」が世間・メディアからぼろくそに叩かれたのを受け、桜井眞一郎から開発主管を受け継いだ伊藤修令が捲土重来、汚名返上をかけて作り出した魂のスカイライン。徹底したマーケティングリサーチで、ファンが望むスカイラインとは何かを研究、出した結論は「スカイライン=走り」。リヤシートの居住性、トランクにゴルフバックがいくつ積めるか、ではない。
当時の日産自動車は「901活動」を展開中。1990年には世界最高の走行性能を作り出すと。そしてポルシェさえ上回る走りを掲げて開発したのがこのR32スカイライン。少々居住性を犠牲にしてでもダウンサイジング、走りを優先。それこそがスカイラインだから。
そして伊藤のもう一つのミッションが「GT-Rの復活」。R31を発売した直後の、1985年富士スピードウェイのインターTEC。R30スカイラインはボルボに惨敗。「レースに勝てるスカイライン」の復活を決意。「GT-R」を名乗る以上、負けることは許されない。グループAのレギュレーションを徹底研究し、出した答えが排気量2600cc、4WD。最低車重、ホイールサイズから2.6リットルが有利、グループAは改造範囲が狭いため、巨大なパワーを受け止める大きなタイヤが履けない。そのためにパワーを振り分ける4WD。
そうして市場に投入されたR32スカイライン。若者、ファンだけでなく、辛口の評論家まで絶賛。その走りはポルシェを超えたと言われる。
まさに日本の、いや世界の自動車史に残る名車、それがR32スカイラインだった。
・日産フェアレディZ(Z32)
「スポーツカーに乗ろうと思う」
4代目。バブル期らしく最初から3ナンバーサイズで設計。日産史上最もかっこいいスポーツカーと呼ばれる。エンジンは全車V型6気筒3.0リットル。NAとツインターボ。ツインターボのVG30DETTは幻に終わったMID4‐Ⅱ譲り。当時の規制値一杯の280馬力を発生。日本での発売は7月だが、先行してアメリカで発売。レース用のIMSA-GTO仕様も日本発売を前にデビュー。キャッチコピーは「スポーツカーに乗ろうと思う」。
・日産パオ
日産の「パイクカー」第2弾。
1987年のパイクカー「Be‐1」に次ぐ第2弾。ベースはBe-1と同じくマーチ。Be-1が限定生産だったのに対し、パオは受注生産としたためBe‐1を上回る台数を販売した。
・日産エスカルゴ
パオ同様のパイクカーだが、パルサーバンがベース。Be‐1やパオと異なり4ナンバーの商用車である。かたつむりのエスカルゴとカーゴ(貨物)を掛け合わせた造語。パオ同様受注生産と言う形を取り、1万台以上を販売した。
・日産マーチスーパーターボ
「トップガン」のテーマ「デンジャー・ゾーン」
ターボチャージャーとスーパーチャージャーを併用したダブルチャージ車。世界的にも他にグループBのランチアデルタS4くらいしか例が無い。元々前年に国内競技専用モデルマーチRとして発売。カタログモデルとして1989年1月追加。但し国際競技公認はこちらのマーチRで取得することになる。1600ccクラスに編入させるため、排気量を930ccにダウン(ターボ係数1.7を掛けるため)。補器類が多くなりスペースの関係でパワステ未装着。
CMテーマ曲はトップガンのテーマ「デンジャー・ゾーン」。
・トヨタセリカ(T180)
ニューエアロフォルム
5代目。引き続きフルタイム4WDのGT‐FOURもラインナップ。後にワイドボディ化。91年9月にはWRC用ホモロゲモデル「GT‐FOUR RC」を5000台限定リリース。内1800台が国内向け。海外では90年WRC王者のサインツの名を冠した「カルロス・サインツ・リミテッドエディション」として販売。92年にサインツがこのマシンでWRC王座に輝く。
CMキャラクターはエディ・マーフィを起用。
・トヨタMR2(SW20)
先代がカローラベースの1.6リットルだったのに対し、このモデルはセリカがベースのミッドシップ2シーター。エンジンも2.0リットルツインカム16バルブの3S-Gとそのターボ。末期モデルはバブル崩壊によるスポーツカー需要の低下で注文生産となる。
・トヨタセルシオ
「最高と言う名のセルシオ」
1989年にトヨタが北米で立ち上げたプレミアムブランド「レクサス」のフラッグシップモデル「LS」として登場。それまで「大衆車」とみなされて来たトヨタがメルセデス、BMWと言った高級車市場に乗り込む。そして日本国内ではトヨタブランドとしてクラウンの更に上に当たる最上級車として「セルシオ」として登場。同時にトヨタのCIマークエンブレムを初めて装着。バブル景気に乗りヒットする。
エンジンは最上級モデルは4.0リットルV8を搭載。この年の「日本カーオブザイヤー」を受賞。
・マツダファミリア
「新ファミリア系列」
7代目BG型。キャッチコピーは「新ファミリア系列」。先代同様3ドア、4ドア。そして5ドアはリトラクタブルヘッドライト採用の独自スタイルとなり「アスティナ」のサブネーム。CMテーマ曲はサディスティック・ミカ・バンドが。
フルタイム4WDモデル「GT-X」も継続ラインナップ。1.8リットルに拡大される。WRCでは1989年、91年にグループNクラスチャンピオン獲得。1992年1月にはインタークーラーの位置を変えたモデル「GT-R」を投入(上の画像モデル)。しかしマツダの業績悪化でこの年限りでWRCワークス活動撤退。93年にもグループNクラス王者に輝く。
・ユーノスロードスター
5月にアメリカで「マツダMX‐5ミアータ」として発売。日本では9月に「ユーノスロードスター」として発売。当時マツダはトヨタ、日産並に国内販売網の5チャンネル展開を始めており、その新チャンネル「ユーノス」のブランド名を冠する第一号車。このためこのクルマを「ユーノス」だと誤解する人が多かった。
現在も販売が続くロングセラーカーだが(4代目)。現在の車名は「マツダロードスター」。マツダの多チャンネル化は経営の失敗の典型と今に語り継がれている。
1989年当時、世界的に絶えて久しかったライトウェイトオープンスポーツカー。記録的な大ヒット車になり、以降MG、ホンダ、BMW、メルセデス、ポルシェと、オープントップスポーツカー市場が活性化することに。
・ホンダインテグラ
「カッコインテグラ」
「インテグラ」としては2代目。このモデルから「クイント」が消える。3ドアクーペと4ドアハードトップ。当時の4ドアハードトップブームもあり大人気車に。
キャッチコピーは「カッコインテグラ」。CMキャラクターはマイケル・J・フォックスで、日本語でこのコピーを叫んでいた。CMテーマ曲はヒューイ&ザ・ニュースの「パワーオブラブ」(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテーマ曲)。
当時天皇に在位されていた現上皇陛下のプライベートの愛車でもあった。
・スバルレガシイ
「もっとクルマになる」「GT維新」
レオーネに代わるスバルの主力4WDセダン。トップグレードのRSには2.0リットル水平対向4気筒16バルブDOHCターボのEJ20を搭載。大ヒット作となりスバルの経営危機を救ったクルマと言われる。
発売の翌年の1990年より、子会社STI(スバルテクニカインターナショナル)と英国プロドライブとのジョイントで、マルク・アレンを擁しWRC(世界ラリー選手権)にフル参戦を開始する。初優勝は4年目の1993年のニュージーランドラリーと時間がかかったが、以降受け継いだインプレッサによりスバルにワールドチャンピオンがもたらされる。
CMコピーは「もっとクルマになる」「GT維新」。CMテーマ曲はロッド・スチュアート「セイリング」ほか。マルク・アレンを擁してのWRCへの参戦を告知。後期型はブルース・ウイルスを起用。
まさに日本車のヴィンテージイヤー。今に語り継がれる多くの名車が多く誕生した。