チームを渡り歩く、背の高いコーチといえば、
西武→広島→ダイエー 高山 郁夫 さんです!
身長が188cmで、足が長いスラッとした体型。
今年まで中日ドラゴンズの2軍コーチを務められていらっしゃいました。
そんな、高山さんは、秋田商業高校の出身。
高校3年次の春の選抜高校野球大会準決勝にて、帝京高校の伊東 昭光(のちヤクルト)と投げあい、0対2で惜敗。
その後、怪我もあり、日本ハムファイターズから1位指名があったもものの、プロへは行かず、親交のあった根本陸夫の薦めで、プリンスホテルへ入社しました。
そこで怪我の治療に時間を費やし、
1984年に西武ライオンズの練習生へ。その年のドラフト会議にて、3位指名され、西武ライオンズへ入団します。
プロ入り1年目には、8月vs南海戦で、プロ初勝利。
1989年には、ローテーションの谷間を埋める活躍で、5勝を挙げるものの、
近鉄バファローズとのダブルヘッダー第二戦の先発登板で、4失点のノックアウト。
その失点には、ラルフ・ラブライアントの4打席連続ホームランも。
チームの5連覇を止めてしまうキッカケとなってしまいました。
高木 宣宏投手との交換トレードで、広島東洋カープへ移籍。
スリークウォーターから、サイドスローに転向するものの、1軍での活躍をすることが中々できず戦力外通告に・・・
ダイエーホークスへ移籍しました。
1年目には、先発1回、16試合に登板したものの、2年目には8試合の出場に留まり、現役引退。
引退後は、東京にて会社勤めをしていたものの、
2005年 西武時代からの同僚 石毛宏典氏の誘いがあり、愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。
チームに所属していた、西山 道隆投手をソフトバンクホークス指名まで導きました。
2006年からは、福岡ソフトバンクホークスの投手コーチに就任。
コーチングの姿は、「チームのお父さん」
味方チームの投手が死球を与えた場合は、誰よりも誤り、
好投をすれば、投手の頭を撫でる
交代の際には、選手の肩を抱く姿など良いコーチオーラが溢れていました。
2014年からはオリックスバファローズの投手コーチに。
現在もチームに所属している、ディクソン投手からは、
「日米を通して、僕が指導を受けたなかで、彼は最も素晴らしいコーチのひとりです。」
と尊敬されていました。
2016年は、中日ドラゴンズの2軍コーチに。そして、2017年オフ、退団が発表されました。
今後はどこのチームにいくのでしょうか。
高山コーチの今後の動向に注目です。