忍者打法といえば、この選手
大洋・横浜 市川 和正 さんです!
ハーフスイングを体勢でごまかし、スイングを中々取らせない打法が忍者打法と呼ばれました。
市川さんは、東海大学を卒業後、1980年ドラフト4位で大洋ホエールズに入団します。
このカードは、1990年カルビーのカード。 レギュラー奪取には時間が掛かりました。
入団当初は、若菜 嘉晴選手の控えで、最多出場は1985年の44試合でした。
1988年から古葉 竹識監督に重宝され、レギュラーを獲得します。
1989年の対巨人戦 最終回にバッターボックスにウォーレン・クロマティ選手を迎えたところで、初球に真ん中高めつり球の直球を中山 裕章投手に要求。
中途半端な高さであったため、敬遠の球を打たれ、サヨナラ2ランに!
市川さんは、ベンチで号泣していました。
その後、監督が須藤 豊に変った1990年から、谷繁 元信選手の成長、西武かた秋元 宏作選手の加入もあり、第三の捕手に。出場試合数も71試合と減少します。
そして、新生ベイスターズになった1993年 この年は1試合も一軍出場をすることができず、シーズン終了直前に戦力外通告を受けます。
長くホエールズを支えた、高木 豊、屋鋪 要、山崎 賢一選手らと共に球団を去りました。
引退後は、生命保険会社に就職。巧みな話術でトップセールスマンになられました!